鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

協栄橋はペンケへ通じる道

2016年10月16日 | Weblog

写真は協栄橋の下を流れる雨竜川。橋の向こうはヌップ。

ふるさと鷹泊の中でも思い出深い場所の鷹泊ダム、ダム湖を後にして次は、協栄橋を渡った先にあるペンケへ行ってみた。(ペンケとはアイヌ語で上流の意味で、鷹泊よりも雨竜川の上流にあることを示す。)

昭和30年代、ペンケは山奥の大変辺鄙なところという印象を持っていた。クラスメート2人がペンケから通学していた。豪雪地帯の鷹泊での冬期の通学は大変だったと思う。雪が降った日には深雪の中、馬そりが先導した道を歩いて学校に通っていたのではと思う。バス通学などあり得ない時代、学校へ通うのも大変な山の奥で米作りをしている農村地区というふうに思っていた。

あの時代、車はほとんどなかったし、ブルでの道路の除雪が始まったのは昭和40年くらいだったはず。昭和30年代は、幌加内へ向かう道を途中で左折して山沿いの道を進んだ先がペンケであった。数年前にペンケへ行こうとして、道が途切れてしまっているのに気づいてびっくりした。数年その後にヌップから協栄橋を渡ってペンケへ行く経路を発見した。なるほどこの経路のほうが道路の除排雪にはいいのだと思った。

写真下はペンケ付近の地図。昔は右下の幌加内へ向かう道を左折して、ペンケへ向かった。今はヌップから協栄橋を渡って行くようになっている。

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