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鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

雨竜川とともに開けたペンケは豊かな農業の地

2016年10月20日 | Weblog

写真はペンケ地区の水田

鷹泊の歴史を調べてみると、辺鄙な山奥と思っていたペンケに対する考えを改めなければと思った

以外や鷹泊中心部とペンケとではほとんど同じ時期に開けたようで、多度志町史によると「ペンケの開拓は明治31年5月に始まり、大正4年に分村した当時はすでに一を形成していた。しかし大正15年に鉄道駅が鷹泊にできてからは圧倒的に鷹泊がにぎわうようになった」とある。

 それどころか、稲作は鷹泊地区よりもペンケ地区がだいぶ先に始まっている。「明治35年ペンケで、初めての水稲収穫があったが、鷹泊地区で水稲を作り始めたのが大正13年である。ペンケ地区での稲作は雨竜川の水を引いて行ったが、鷹泊はため池の水を利用して行っている」との記載もある。

この地に立ってみて、ペンケは雨竜川との距離が短いから水を引くことが容易なこともわかった。

ペンケは思っていた以上に広く、稲が豊かにみのっていた。

子供達の多かった昭和30年前後のペンケの戸数、人口は、昭和28年に22戸、135人。昭和36年は19戸、118人という統計記録がある。今は、見渡したところ一桁の戸数のようであった。

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