梶尾義博の部屋

梶尾義博という謎の人物(画像のチワワの手下)がさまざまなことをつぶやきます。

中身が見えるもの

2017-03-20 20:10:58 | 教育
恋愛にせよ、愛情にせよ、神の愛にせよ、中の仕組みが「見えちゃったら」、そこで一気に冷めてしまうわけです。
別にアダルトのモザイクのことでないです。
伏せ字とか、よく説明できないものが、愛なのです。
キリストが十字架にかかって死んで、そのあとで復活した、キリスト教を説明しようとすると、これだけなのですが、それが「わたしと何の関係があるの?」っていうところからしか、愛は説明できないんです。

人間がいちばん悩むのに「生きる意味」があります。
これ、生きてる間は絶対わかりません。
また「死ぬ意味」もあります。
これも、死ななきゃわかりません。
生きるとか、死ぬとか、意味を考える「必要がないから」です。

必要のないものを考えることに執着すると、たとえば「愛ってなに?」っていう疑問に必ずぶつかります。
答えは「かたちのないものを考える必要がない」、または「あなたのいのちを生かしてるもの」が愛なのです。

いのちは何でできてるか?で、答えは「愛でできてる」と答えました。
理科では、木を燃やすと熱が出て、それでモノが動く、と説明します。
からだをモノと考えると、糖分を与えると、細胞が燃焼して「エネルギー」になる、それを「生命」という、と説明します。
ところが、「生命」でなく「いのち」の場合、「こころ」と「からだ」があるわけです。
「からだ」がいくら満たされても、「こころ」がまったく満たされないと、人は死ぬのです。

キリスト教業界用語の場合、聖霊と呼びます。
これ、こころを満たすもの、こころのエネルギーとなるもの、のことです。
情緒が非常に安定すると、からだに必要なものを「欲しがらなくなります」。
なぜなら「こころ」が満たされてるからです。
情緒が非常に不安定になると、さまざまな「依存物質が必要になる」のです。
アルコール、ニコチン、食べもの、女遊び、コーヒーなどの刺激物。
嗜好品がなぜ子どもの頃に必要でないのに、大人になると必要になるのかは、「情緒が非常に不安定になるから」です。
ところが、睡眠中の人間がまったく刺激物を欲しがらないように(かえって刺激を嫌う)、情緒が非常に安定していると、何も必要としないのです。

睡眠中の人間に必要なものは「目覚め」ですよね。
寝たら起きる。
寝た子は起こすな。
死んだ人間にも必要なのは「復活」なんですよ。
こころが満たされない人にも、同じように「復活」が必要なんですよ。

キリスト教業界用語で「目を覚ましていなさい」があります。
寝たらいけないのでなく、寝ていいんです。
ようするに「寝ぼけたことを言ったりしたりするな」ということです。
ピントをキリストに、もっと言えば、自分の心に合わせていなさい、です。
自分の心が「したくないこと」や自分のからだが「欲しがらないもの」ばかり与えるな、ということです。

ネット依存症になると、いわゆる情報が錯綜します。
3.11のときに、日本中がパニック状態になったように、情報がパンクして、どれが本当なのか分からなくなります。
いちばん大切な情報は、「神様が握ってる」んです。
そのため、私たちには「わからない」。
いちばん知りたい情報が「わからない」。
ところが、何が愛なのかどうかは、どんなに人間の知性が愚かでも「わかる」。

私たちのいのちは常に「愛」を求めていて、それが「愛か愛でないか」はわかる。
「愛でないもの」を必要とする人間は、最初から「人殺し」なのです。
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