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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

純粋な人 海老原

2015-03-07 20:58:12 | つながり

海老原 寛
「野生生物の保護がしたい!」と意気込んだ小学生時代の私。大学に入るときまでその気持ちは変わっていなかったが、このときは生き物のことを本当の意味で知らなかった。そのことに気付くことができたのは、麻布の野生研に入ったからだった。
 初めて高槻先生を知ったのは、麻布で定期的に開催している「野生動物学セミナー」だった。定期的にとは言っても、高槻先生が麻布に来たのは私の入学と同じ年だったので、そのときはまだ試験的なものであったのかもしれない。まだ1年生で研究とはなにかもよくわからず、先生と話をする勇気もなかった私は、その場で関わりを持つことはなかった。それから数か月後、高槻先生が希望者を募って、大学近くの谷戸を散策するというイベントがあった。友達に紹介をしてもらった私はそのイベントに参加し、初めて高槻先生と行動を共にすることになる。高槻先生のはじめの印象は、まったく覚えていない。それでも、植物や虫のことを楽しそうに話す、先生の顔は鮮明に覚えている。
 その活動をきっかけにして、私は研究室に通うようになった。金華山でのシカの捕獲調査に参加したり、様々な動物の解剖や標本作りをしたり、当時は高槻先生と一緒に辻大和さんが一緒に麻布におられたので、サルが好きだった私は辻さんの作業を手伝いに行くことも多かった。参加するのに勇気を振り絞っていた野生動物学セミナーにも毎回通うようになり、懇親会の食事の準備までするようになっていた。ニンジンやトマトが嫌いな先生用に、わざわざそれらを避けて料理を取り分けたのもいい思い出である。ちなみに、そのときの言葉で記憶に残っているのは、「ナス科は毒があるから食べない!」という名言(!?)である。今は食べられるようになったようだ(笑)。学祭で展示をおこなったこともいい思い出である。「ホンモノを見せる」という信念の下、ロードキルで死んでしまった中型哺乳類の頭骨を並べた展示は、標本を作るところから自分たちでおこなった自信作となった。何も知らない大学1年生だった頃からたくさんの経験をさせていただき、私はどんどん野生生物の世界に惹かれていった。
 3年生になって正式に研究室生となり、結局は修士まで高槻先生の下で研究をすることになっていた。最初提示された研究テーマの中にサルのテーマはなかったが、サル好きな私のことを理解してくれ、サルの研究をさせてもらった。学年は変わっても今までのようなイベントは数多くあったので、やっていることはそう変わらなかった。変わったことといえば、本格的に「研究」というものに携わるようになったことで、そこで先生の厳しい面を今までよりも見るようになる。ゼミでの意見や日常の議論など、頭を抱えることが多くなった。先生は自分で「自分は厳しい」と言うし、私も先ほど厳しいと書いたが、実は私は、高槻先生が厳しいと思ったことは一度もない。ただ単に、いつでも事実をひたむきに求めているだけなのだと思っている。そんな姿勢は学ぶ部分が多かった。しかし、そう思えば思うほど、自分には到底できないことなのだということもわかった。先生は本当に純粋なのだと思う。純粋だからこそ、くもりのない眼差しで生き物を見つめることができる。そして、純粋だからこそ、事実をひたむきに求めているのだと思う。
 私は今、野生動物に関わる仕事をしている。結局、大学生活の6年間も高槻先生の下で過ごしたが、その環境から離れて改めてわかった財産がたくさんある。まず、「しっかり観察する」ということ。ホンモノをしっかり見ることは、仕事上でも不可欠なことであるし、なにより楽しい。また、様々な哺乳類はもちろん、植物や虫などすべての生き物に対して興味を持てたということも、大きな財産となっている。現在の日本は野生動物による社会問題であふれており、私の会社では、その中でもシカとサルの仕事が多い。幸い、シカが専門の指導教官の下でサルの研究をしていた私にとっては、大学時代からの財産を生かすことができる環境となっている。シカやサルの仕事では、個体をよく観察する力が必要になるし、植物の知識も大いに役立つ。観察力も植物の知識もまだまだ未熟であるが、学生時代に少しでも意識していたことが大きな力となっている。これらは高槻先生の下で学ぶことができたからこそ身についたことであり、とても感謝している。
 高槻先生が退官するということは、生態学にも日本の自然環境にも大きな影響があると思う。高槻先生がいなくなれば、これほどシカと植物の関係をしっかり研究する人がいなくなってしまうからだ。日本はシカによる植生被害が大問題になっており、シカの研究者が必要不可欠となっている。しかし、これは私の印象であるが、シカをどう減らすかとか植生をどう守るかとか、そのような研究ばかりがあふれているような気がする。もちろん、この手の研究の多さがシカの大問題を表しているということにもなるのだが、これでは、生物学としてのシカの研究がおもしろくなくなっていってしまう。シカと植物の関係をしっかり観察して、シカという動物を理解していくような環境がないと、そのような人材が育っていかないのではないか。そして、そのような人材を育てることができるのが高槻先生だけだったのではないかと。「シカのことが知りたい」という純粋な気持ちで研究をしていくということが、本当の意味での研究の面白さだということがわからなくなっていってしまうのではないだろうか。
 高槻先生は退職をしてしまうが、きっとこれからも研究者として生きていくのだろうと思う。むしろ大学の仕事がなくなって、今までより精力的に研究活動に没頭するのではないかとさえ思っている。先生がいるうちにできる限り多くのものを吸収していきたい。そうして得た知識や技術、感覚を自分のものにして、さらには次世代につなげていくことが、一番の恩返しなのではないかと考えている。
(2013年 麻布大学大学院修士課程修了)

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