たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

「変わる事」は「悪い事」じゃないのに。

2007-02-15 03:47:28 | Weblog
 俺は、1日、ものすごく友達と騒いで、自分も確実に楽しんで、むしろ仕組んだ側の人間であったとしても、その友達らと別れるととてつもなく不安になったりすることがある。今まで、こんなに喋ってて、いきなり電車で1人とかだと、急激な変化に耐えられず、だから別の友達とかにメールを送って、んで返信がなかなか来ないとさらに不安になりーっという感じだ。(みんなー、いつも、そんなメールで、ごめんねー(笑))

 俺は普段あんなに、変化を恐れるべからず、とこのページでも言ってるくせに、自分が人一倍、変化を恐れている。でも、だからこそ、それではいけないと思い、変化を求める一歩を踏み出せるのかもしれない。

 こないだ、みんなの前で、意見をいうとき、1人の女の子が空気を変えるなよーって目で、俺を見てるのに気付いた。でも、実際、空気が俺の味方をしだすと、その子さえもその俺の作った空気に対してあいそ笑っていた。そのときは、人間は、つくづく変化する瞬間に弱いなーなどと短絡的に考えていたけど、今から思えば、俺は、それ以下のことで怖がってるじゃないか。
 でも、周りの人間はどーも俺がそこまで考えてるとは見えてないらしく、俺は楽観的にものごとをみてるよーに見えるらしい。楽観的なのは事実かもしれないけど、たまにマジメなことをサシで言って、ビックリされるのは困る(笑)。

 それにしても、変化することによって、信頼関係が確認できたり、さらにレベルアップしたりするのに、多くの人は俺より怖がっていないにも関わらず、良い変化まで拒絶しすぎてるんじゃないかなーって思ったりする出来事が、近頃多いなー。
 
 人生(そんな大きなものじゃなくて生活とかでも…)を電車に例えるなら、各駅停車から急行に、特急から各駅停車に変えたり、もしくはレールの方向そのものを乗り換える瞬間に、恐怖を覚えすぎているんじゃないかなーっと思う。いや、俺も恐怖を覚えてるんだから、変化を実行しないというほーが正しいかも。
 同じレールに乗りすぎて、変化(乗換)を起したいのにも関わらずなかなか起せず、同じ色の電車に乗り続けることしかできずに、ついには崖へ落ちる恐怖を、俺らの身体は微塵も感じてはくれない。
 そして、乗換乗車ばかりする者を必要以上にバカにし、自分たちの乗っている電車は正しいはずだと根拠なく信じきる事が、そんなに楽しい、しかも良い生き方だとは思いたくない。

 もーっと簡単に、変化を取り入れることができるレールのひき方を最初にしておいてくれれば、俺もだいぶ簡単に変化することができるのに(笑)。
 そんなことを感じる、今日この頃です。今日は、『人間失格』なんかを読んでたから、余計にね。
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