敏腕Pの日々のつぶやき

テアトルシアター代表。担当舞台作品について他、演劇やスポーツ等々の雑感を気の向くままに。

尊徳と掛川~ぶらり掛川余話

2018年01月16日 | 身辺雑記


昨日は「ぶらり掛川」の二回目。
最後に図書館の話からの遊戯空間。



本日劇場入りとなります。
仕込と場当たりの一日。

さて。
掛川市立中央図書館(冒頭写真)。
城の東側にあり、しかも入口に
二宮金治郎が薪を背負って立つ。
いやはや、一見豪商の屋敷かと
思わされる、かなり豪勢な造り。

幼名・金治郎こと二宮尊徳は
神奈川の生んだ偉人だよな~と
神奈川県民のわたしは思うのです。

実際、1787年相模国足柄生まれ。
経世済民を目指し唱えた
「報徳思想」で知られ、主に
農村復興政策に秀でた男である。
地元の小田原で手腕を発揮した他
下野(現栃木)、駿河(現静岡)
などでも庶民を救い、69歳で没。
(死没地は栃木県今市市。
2006年合併により現在は日光市)

その駿河に、四大門人の一人
岡田良一郎がいて、遠江報徳社を
1875年設立。のちに大日本報徳社
(1911年)に改称し、全国にある
報徳社の中心となった……らしい。



これが今の大日本報徳社。
場所は図書館の真ん前です。
図書館前の金治郎像から見ると
目の前が、報徳社の図書館。



衆議院議員も務めた岡田は、
現在の掛川信用金庫の設立や
現掛川西高校の初代校長など
地域振興に力を注いだ人物。

ちなみに長男・良平は文部大臣、
京大総長のほか東洋大学学長を
僅か二年(1923-24年)務めている。
第五代となるが、先代境野哲を巡る
学内扮装の末に着地した学長だ。

で。
室町幕府将軍・足利尊氏の弟
直義の饗応役となった塩冶判官と
鎌倉の執権・高師直との揉事から
始まる仇討の物語『仮名手本~』
いよいよ明日から、です。

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