金曜辺りからの風邪が少し良くなった昨日。
午過ぎに衆院補選の投票に行き、
その足で出席と回答してあったイベントへ。
何年前になるだろう、突如耳慣れない
ホームカミングデーってのが
其所此処で聞かれるようになり、
どうやら定着を見たようだ。
検索すると、その意味には当たらず
様々な大学が「それ」を呼び掛ける、
まぁ謂わば「宣伝」にヒットする。
少子化で経営が大変な大学が、
卒業生の母校愛を喚起するツールで
そこから新たな志願者を、
或いはOBOG自身が再び学ぶ呼び水と
考えているのだろうか?
ゼミやサークル単位で集うのだけれど
私が顔を出したのは「三劇団合同」。
字面から解るように、大学公認の
三つの演劇研究会のOBOGの集まり。
東洋大には白芸、昏々睡々、曙の
三劇があって(昏睡は解散したが)、
かつて芝居に青春を捧げた(?)
私以外の二十人弱が参集した。
そう実は私は、学生時代、
その何処にも在籍していなかった。
けれども、この企画の言い出しっぺの
林久美子が気を聞かせて
派生劇団にまで資格を広げてくれて
図々しくも出席と応えた(^^;
私の制作キャリアのスタート
「観音芝居」は昏睡を辞めた
藤生佳恵の旗揚げした劇団だった。
林が卒業後に立ち上げた
「さくらプロデュース」にも関わった。
……まぁ古い話はこれくらいにして。
林が大学で働いていた頃一度やって、
以来、気づけば八年も経ったらしい。
三劇それぞれのネットワークで
拡散をはかり、十月二十三日に
文京区白山に来ることができたのは
私が最年長で、下は十くらい下まで。
子連れでの参加も数組いて、中には
「うちのは二十二。もう働いてる」
つまりは、そういう時の流れだ。
曙の団長だった千代延和義なんぞは
校友会の中でも大きな組織のひとつ
「不動産建設白山会」会長に収まっていた。
心の中では祝意も多少ありながら、
みな、爆笑しながら大いにいじるの巻。
集った面々は(特に女子は)
多少ふくよかになっていたりしたが、
分からないほどではなかったが、
再開発がいまだ進むキャンパスから
当時の面影は完全になくなっていた。
それでも。
懐かしい気持ちはなくならない。
二次会~という名の、むしろそこから的~
飲みの席をオブザーバーは遠慮して、
白山から巣鴨まで歩いてみる。
苦学生の割合の高かった洋大生は
都営線二駅分を歩くのが常だった。
その道すがらも懐かしい風景
・・・と思いきや、そりゃそう、
頑張ってくれている処もあったけれど
白山通りに面した店はコンビニはじめ
チェーンの進出が如実であった(>_<)
そうそう。のこのこ半部外者ながら、
結果的に今も演劇に関わる身として
「最近も芝居を見ているのか」を
確認するのも目的の一つだった。
その答えは、予想通り。
体育会系の出身者が、その後も
そのスポーツを続けているか否か、
その回答と同じってことだ。
てなわけで。
集客とゆーのは、まことに難しい。
と、白山と巣鴨の中間、千石あたりで
改めて思えば・・・そこは十年前、
閉館した三百人劇場があった辺り。
午過ぎに衆院補選の投票に行き、
その足で出席と回答してあったイベントへ。
何年前になるだろう、突如耳慣れない
ホームカミングデーってのが
其所此処で聞かれるようになり、
どうやら定着を見たようだ。
検索すると、その意味には当たらず
様々な大学が「それ」を呼び掛ける、
まぁ謂わば「宣伝」にヒットする。
少子化で経営が大変な大学が、
卒業生の母校愛を喚起するツールで
そこから新たな志願者を、
或いはOBOG自身が再び学ぶ呼び水と
考えているのだろうか?
ゼミやサークル単位で集うのだけれど
私が顔を出したのは「三劇団合同」。
字面から解るように、大学公認の
三つの演劇研究会のOBOGの集まり。
東洋大には白芸、昏々睡々、曙の
三劇があって(昏睡は解散したが)、
かつて芝居に青春を捧げた(?)
私以外の二十人弱が参集した。
そう実は私は、学生時代、
その何処にも在籍していなかった。
けれども、この企画の言い出しっぺの
林久美子が気を聞かせて
派生劇団にまで資格を広げてくれて
図々しくも出席と応えた(^^;
私の制作キャリアのスタート
「観音芝居」は昏睡を辞めた
藤生佳恵の旗揚げした劇団だった。
林が卒業後に立ち上げた
「さくらプロデュース」にも関わった。
……まぁ古い話はこれくらいにして。
林が大学で働いていた頃一度やって、
以来、気づけば八年も経ったらしい。
三劇それぞれのネットワークで
拡散をはかり、十月二十三日に
文京区白山に来ることができたのは
私が最年長で、下は十くらい下まで。
子連れでの参加も数組いて、中には
「うちのは二十二。もう働いてる」
つまりは、そういう時の流れだ。
曙の団長だった千代延和義なんぞは
校友会の中でも大きな組織のひとつ
「不動産建設白山会」会長に収まっていた。
心の中では祝意も多少ありながら、
みな、爆笑しながら大いにいじるの巻。
集った面々は(特に女子は)
多少ふくよかになっていたりしたが、
分からないほどではなかったが、
再開発がいまだ進むキャンパスから
当時の面影は完全になくなっていた。
それでも。
懐かしい気持ちはなくならない。
二次会~という名の、むしろそこから的~
飲みの席をオブザーバーは遠慮して、
白山から巣鴨まで歩いてみる。
苦学生の割合の高かった洋大生は
都営線二駅分を歩くのが常だった。
その道すがらも懐かしい風景
・・・と思いきや、そりゃそう、
頑張ってくれている処もあったけれど
白山通りに面した店はコンビニはじめ
チェーンの進出が如実であった(>_<)
そうそう。のこのこ半部外者ながら、
結果的に今も演劇に関わる身として
「最近も芝居を見ているのか」を
確認するのも目的の一つだった。
その答えは、予想通り。
体育会系の出身者が、その後も
そのスポーツを続けているか否か、
その回答と同じってことだ。
てなわけで。
集客とゆーのは、まことに難しい。
と、白山と巣鴨の中間、千石あたりで
改めて思えば・・・そこは十年前、
閉館した三百人劇場があった辺り。