ウェブ深夜便

多情多恨に揺れながら、せめて潔さだけは失わず、残された日々を駆け抜けたい。

家には寝に帰るだけの日々

2016-10-13 06:00:13 | 備忘
 昨夜は11時に寝た。今朝、目が覚めたのは3時だった。睡眠時間はおよそ4時間。熟睡した。毎日たいていこんなものだ。3時から2時間ばかりうとうとして5時近くに起きた。典型的な老人型の睡眠である。
 このあと、会社までの電車の中で1時間ばかり寝るのでトータルで6時間ほど寝たことになる。年齢的にはそんなもんだろう。

 20代から30代前半にかけて、「家には寝に帰る日々」だった。仕事がらみとはいえ、けっこう遊ぶ時間もあったし、若かったので疲れ知らずだった。苦痛と感じた記憶はなく、だが、編集の仕事が楽しかったかどうかは判然としない。自分たちの仕事はそんなもんだと信じて疑わなかった。
 いまじゃ労働基準法でこんなバカな真似は表向きできないだろう。少なくとも一定規模の組織の人間は。
 
 当時はぼくよりもはるかにきつい環境で仕事をしている人間がぼくの周辺にはたくさんいた。毎日、明け方に帰るから近所ではキャバレーのマネージャーだと思われていたとか、昼過ぎに出かけていくとき、子供から、「パパ、またきてね~」と言われたとか、そんな話がマスコミ関係者の中でなかば自慢げに語られていた。
 
 いまにして、再びぼくは家に寝に帰るだけの生活になっている。仕事が忙しいのではなく、老いたからだ。
 午後8時前に帰宅する。着替え、夕飯を食べるとすぐに眠くなってソファーで爆睡する。食べてすぐ寝ると牛になるという。牛になろうが馬になろうが知ったこっちゃない。寝たくなくても起きていられないのだ。
 しかし、判で押したように夜中から明け方に目が覚める。しばし、時間をつぶしてまた寝る。夜明けとともに犬の散歩を終えると風呂へ入り、朝食を食べて出勤する。これで1週間を乗り切る。

 20代なかばのころ、仕事が明け方までかかってしまい、先輩とタクシーに分乗して杉並の家まで何度となく帰った。家の前まで乗りつけるのは先輩に悪いので環状7号線で降り、10分ほど歩いて家路をたどるのだが、歩道橋を渡るとき、橋の上から環7を見下ろして行き交うクルマを凝視する年寄りたちを見かけたものだ。椅子を持ち出した座って見下ろしいる人もいた。

 ぼくもいまや深夜から明け方に目が覚める年寄りになった。歳相応にリタイアしていれば、たまには近くのファミレスへ出かけていってコーヒーと軽食を頼み、新聞を片っ端から読んだり、アイパッドを持参してフェイスブックに投稿でもしているのだろうか。いや、現役の知り合いたちが熟睡している夜明け前のフェイスブックはやっぱりむなしい。耐えがたいほどの孤独に身を置くよりは、起きたままほんの数時間辛抱して朝を待つだろう。

 とにもかくにも、また再びの「家には寝に帰る日々」もそう長くは続かないはずだ。明け方に目が覚めてしまっても、睡眠時間の不足を心配しないでもいい日々がもうすぐやってくる。それならば、いまから夜明け前の豊饒な時間をせいぜい楽しんで過ごしておこう。

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