
朝日新聞社と森林文化協会が選定する「にほんの里」100選がこのほど決まりました。景観や生物多様性、集落活性化の取り組みなどの観点を軸に、4400件余りの応募の中から100件が選ばれて、先日の朝日新聞紙面にその写真と主な評価点が掲載されていました。和歌山県からは2件、那智勝浦町の口色川地区とかつらぎ町の天野地区が選ばれていました。全体を見渡すと、各県から2〜3件ずつ選ばれているようで、その辺は選定の段階で偏りが出ないよう、そうとうバランスに注意して選定が進められたことがうかがえ、選定委員会の苦労が忍ばれます。同様の「100選もの」では、農林水産省が選定した「棚田100選」において、県内からわずか1件しか選ばれなかった和歌山県に住む人間としてはありがたい気もするのですが、意地悪い見方をすれば、逆にバランスを重視するために同一県内で苦汁をなめざるを得ずに落選した地域もあるのかなと思うと、こうした「100選もの」のあり方についてを考え込んでしまいます。
ところで、今回、和歌山県内から選ばれた2つの地区は、ぼくにとってはいずれも展覧会の実施のための調査などで、長いこと関わりを持ってきた地域で、なじみの深い2つの地区の今回の入選は個人的にもとても嬉しいことでした。展覧会では当然、美術品の展示が中心となるわけで、調査の大半も展示が可能な文化財の所在調査が中心となるわけですが、ぼくとしては、そうした文化財の調査の一方でこれらの地区の景観のもつ魅力、美しさにとりつかれてきましたので、今回の選定でそれが広く認められ、評価されたことをまずは素直に喜びたいと思います。

ただ、今回の選定で、その選定の基準に、景観のもつ「歴史性」があまり重視されなかった点には、景観の歴史を研究する者としてはやや残念に思わざるを得ませんでした。美しさの基準には様々な価値観があり、その意味では、「歴史のある景観」という基準もそうした多様性の中のひとつに過ぎませんが、人間の自然に対する働きかけが長い時間をかけて積み重ねられ、その結果作り出された景観には、時間や人為の蓄積とその調和という、独特の価値が存在すると思うのです。そこには短期間でたやすく生み出されたものには決して備わることのない味や深みがあるとともに、人間が生きるために必死になって取り組んできた営みやその方法を、時代の厳しい流れの中や変化の荒波の中にあっても変えずに今まで守り通してきたことの「尊さ」というものが、景観の中に埋め込まれ、反映されていると思うのです。そうした歴史的により古い景観をもつ地域というのは、現在、ほぼおしなべてかつての元気を失い、衰退の一歩を歩んでいます。今回、「日本の里100選」に選ばれた多くの地域では、集落活性化のための取り組みが行われ、そうした現在の取り組みをこうした「100選」入選で応援することも決して悪いことではないと思いますが、その一方で、かけがえのない価値をもちながら、荒廃と衰退を重ねてゆくかつての「美しい里」がたくさんあることを忘れてはいけないと思います。和歌山県内から選ばれた2地区も、確かに地元住民の団結によって集落活性化の不断の努力が重ねられ、ぼく自身も地元の方々の人の温かみとしなやかな強さを強く感じてきました。しかし、「高野山参拝の表参道であり、1600年の歴史をもつ」ことが評価されて入選したかつらぎ町天野地区の田園景観は、近年の圃場整備によって大きく様変わりした景観ですし、「人口の3分の1が町外からの移住者」で、そうしたIターン定住促進の取り組みが評価された那智勝浦町口色川地区も、歴史的には同じ色川地域でありながらさらに奥地にあり平惟盛の隠れ里としての伝承やより規模の大きな棚田景観を有する大野地区のほうがより古い景観と言え、そうした歴史的観点が今回の選定では活かされなかったことが如実にうかがえます。
もちろん、これらの2地区の景観に全くの価値がなかったと言うつもりはまったくありません。先ほども書きましたように、ぼく自身はなじみの深い両地区には他ならぬ愛着を感じていますし、入選で元気づけられる地元の方々の顔を思い浮かべると、本当によかったと思います。けれど、かけがえのない価値をもちながらもこうした「100選」から漏れ、落胆し自信を失ってしまうかも知れない地区の方々のいることを思うと、やはりこうした「100選もの」の功罪両面を深く考えないといけないな、と思う次第です。ぜひ今回選ばれなかった地区の方々も、「100選」だけが絶対的な価値ではないことをよく認識していただき、決して自信を失うことなく、今まで通りのたゆまぬ営みを、末永く続けていって頂きたいと思います。そうした絶え間ない営みこそ、何にも代え難い絶対的な価値だと、ぼく自身は信じて疑いません。
ちなみに、写真は、和歌山県那智勝浦町にある色川の棚田。