櫟庵主人の学芸員日記

櫟庵の主人による日々の雑記

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大雪の高野山

2009年12月23日 | Weblog
 毎週月曜日は、高野山大学に講義(2コマ)に行っています。ふだんは自家用車で約1時間半強といったところなのですが、例年、この時期になると雪の心配があります。高野山は標高約850メートルですから、和歌山で降っていなくても、少し寒い日が続くと、高野山上では雪だったり、路面が凍っていたりして、車では行けません(もちろんスノータイヤなどにすれば別ですが)。そうなると、南海電車を乗り継いで、倍の約3時間かかって山上まで登ることになります。
 ここのところ寒波が続いていたので、先日の月曜日も危ないと思って電車で行きましたら、案の定、山上は約20センチほどの積雪、しかも着いた時は吹雪いてました。写真は1年ぶりに乗った高野山のケーブルカーです。南海電車の終点から約5分、このケーブルで山上まで登り、さらにバスで約15分乗って山内へと入っていきます。ホント、電車で行くと高野山って遠いです。。。車で行くのには慣れたので、車だとそう遠いとは感じませんが、電車だととても疲れる気がします。ちなみにこのケーブルカー、駅自体も階段駅で斜面になっていますが、車体の床も傾いているので、乗り込んだ瞬間バランス感覚を崩してフラッと倒れそうになります。何度乗ってもこの感覚には慣れません。。。
 高野山大学での講義も今年度でおしまいです。大学へ行くのもあと1回、後期試験の日を残すのみとなりました。
 そして、年度末までもあと僅かとなりました。残り少なくなった和歌山での日々を、悔いの残らないよう過ごしたいものです。
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たたら遺跡見てきました

2009年12月12日 | Weblog
先日は、島根県奥出雲地方に、友人と「たたら遺跡」を見に行ってきました。「たたら」とは、粘土で築いた炉の中に砂鉄と木炭を交互に入れ、「ふいご」と呼ばれる送風機で風を送りながら木炭を燃焼させ、砂鉄を分解・還元して鉄を得る日本古来の製鉄方法です。奥出雲地方は、良質な砂鉄がとれ、さらに中国山地の奥深い森林が豊かな薪炭材を提供できたことから、古くからこの「たたら」による製鉄がさかんに行われ、江戸時代においては国内で流通する鉄の7割ほどがこの奥出雲地方で産出されたとも言われています。写真は、「菅谷高殿」と呼ばれる国の重要民俗文化財の建物で、中に巨大な炉の跡が残り、かつてのたたら製鉄の様子を偲ぶことができます。周辺には関連する施設があり、地元の方々が交代で詰めて、不意の来客にも丁寧な解説をしてくれます。ぼくたちが行った時も、おばあさんが一人で懇々とお話し下さいました。ちなみに、建物の前に立っている印象的な木はカツラだそうで、この地で製鉄の方法を教えた金屋子神という神を乗せた白鷺が降り立ったという神木で、このときはほとんど落葉していましたが、四季を通じて、黄色・緑・ピンクと葉や花の色を変化させるとても素敵な木です。なおこの菅谷高殿、映画「もののけ姫」で、歌を歌いながら女たちが「ふいご」を踏むシーンのモデルになった場所でもあります。
 この他にも、今回の旅では、たたらを支えた田部家の屋敷、鉄の歴史博物館、たたらと刀剣館などを回って、少しは「たたら」というものがどういうものなのか分かった気がします。とくに、たたらと刀剣館では、現代の刀鍛冶の人たちがちょうど鉄の鍛錬を実演していて、より理解が深まった気がします。この時期の奥出雲は底冷えする寒さでしたが、とても良い旅でした。。。
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秋も終わり…(笑)

2009年11月21日 | Weblog
 なんと前回の更新が8月だったんですね。確かに忙しかったんですが、さすがにこれは開きすぎというもの。でも最近あんまりネタもなくて。。。
 ところで最近、「Skype」というソフトの存在を知りました。皆さんはご存じでしたか? 要するにパソコン内蔵のマイクと、パソコンがつながっている電話やLANなどの回線を使って、離れたところにいる人と電話のような感覚で通話ができるというもの。つまり電話機が要らない電話というわけですね。無料でダウンロードでき、しかも通話自体も無料で行えるということで、全世界に数千万人のユーザーがいるとのことです。パソコンに向かって会話ができ、しかも無料で使えるというところが受け入れられているのでしょう。千円前後で量販店で買うことのできるイヤホンマイクを使えば、通話の品質はさらに向上します。
 先日、ある大学での講義を頼まれて、いろいろな事情から大学まで出向くことができなくなったので、この「Skype」を使って遠隔授業のようなことをやりました。「Skype」を使って僕がしゃっべている音声を先方のマイクで拾い、それを教室のスピーカーから流すというもの。教室では僕の声と、あらかじめパワーポイントで作って送っておいた板書の画面がスクリーンに映し出されるだけで、「教室に教師のいない授業」が実現したわけです。しかもこのときは、この音声と映像を、離れた別のキャンパスの教室にも転送して、別キャンパスでも同じ授業が受けられるという離れ業までやっていました。
 何だか「未来の学校」を見ているようで、自分でやっていることながらリアリティがあまりなくて、とくにぼくにとっては目の前には学生の顔がない代わりにパソコンの画面だけある、という何とも形容しがたい経験をさせていただきました。やっぱり会話は相手の顔を見ながら、というのが基本なのでしょうが、聴いていた学生の授業に対する感想ペーパーの中には、「先生の顔が見なくても意外と話は聞けるものだ」という感想があって、さすがバーチャルリアリティの世界で鍛えられた人たちは違うと思った次第。ぼくなんかきっとあの教室には耐えられないだろうなぁ。ある人に聞くと、最近の大学の授業には、こんな形のものも増えているとか。何とも末恐ろしい。。。ちなみにSkypeでは、カメラ付きのマイクをつなげば、テレビ電話のような感じで映像のやりとりもできるようです。
 写真は、本文にはまったく関係ありませんが、夜の羽田空港の展望デッキで撮ったANAの飛行機。連休でもないのに、この日の羽田はものすごい混雑でした。。。
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夏も終わり・・・

2009年09月12日 | Weblog
 こちらでは朝夕の冷え込みが増してきました。空を見上げると、青空にいわし雲。もうすっかり秋ですね。ぼくの一番好きな季節です。
 先日、勤務先の博物館でも特別展が始まりました。秋は展覧会のシーズンですので、お客さんの出足もいいようです。願わくば、次の展覧会もこの調子で…。
 写真は、今年の夏休みに函館で撮った夜景です。よく「100万ドルの夜景」などと言われますが、たしかにキレイで、2回も山に登って見てしまいました(1回はロープウェイで、もう1回はバスで登りました)。函館の町は半島になって海に突き出しているので(写真でも夜景の周囲の黒い部分は海です)、湿度が高く、しょっちゅう霧に包まれてしまうそうです。ぼくが登った時も、1回は雲海に阻まれてまったく夜景が見えなくなってしまう瞬間があり、そのことを実感しました。
 今年の夏休みは、念願だった知床にも行けました。何度も開拓が試みられつつも、そのたびに厳しい自然に拒否され、開拓失敗を繰り返してきた知床。人と自然の共生が諦められかけたその矢先、開拓跡地を「列島改造」の乱開発から守るために始まったのが「100平方メートル運動」でした。この運動は、開拓跡地を一口数千円の寄付を集めることで買い上げ、植林と緑の維持が進められ、全国で約5万人が参加する、日本で最初のナショナルトラスト運動へと発展していったのです。原生の自然が人の活動によって守られるという、新たな共生の枠組みが示されたのです。ぼくも早速、知床に行った記念の意味も込めて、この運動を継承し、知床本来の植生を回復する運動に参加(募金)することにしました。
 食欲の秋でもありますね。おいしいものをたくさん食べて、元気にこの秋を楽しみたいものです(ここのところの野菜の高値続きが気になりますが。。。)
 
 
 
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夏も終わり・・・

2009年09月12日 | Weblog
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中世史サマーセミナー

2009年08月29日 | Weblog
 先日、これまで準備を進めてきた中世史サマーセミナーが無事、終わりました。ご参加いただいた80余名の皆様、本当にありがとうございました。個人的には、今回のセミナー開催を今年最大の仕事と思って準備してきただけに、終わったとたん、何だか全身の力が一気に抜けた感じで、無事に終わった達成感というよりは、緊張が一気にほどけた脱力感に近いものを感じています。
 今回のサマーセミナーは、真夏の炎天下の中、高野山町石道(参詣のための登山道)を歩き、さらに山上でシンポジウムと文書見学を行うという過酷なスケジュールだっただけに、主催者としては内心ヒヤヒヤで、傷害保険などに加入してみたものの、実際にはそれは気休めでしかなく(傷害保険では熱中症は保障対象外)、本音を言えば雨でも降ってバスでの移動になれば、と思っていたほどでした(笑)。しかし、フタを開けてみると、当日は気温もそれほど高くなく、尾根を渡る風がむしろ心地よく爽やかで、若い参加者が多かったかともあって、予定時間より早めに目的地である丹生都比売神社に到着することができました。ただ、念には念をと思って途中2ヶ所でペットボトルの補給部隊と万一のための救援部隊を配してあったことが奏功し、ぼく自身、用意された2本のペットボトルを到着までに飲みきってしまいましたので、やはり水分補給は大切だなぁと思った次第。とにかく無事、ゴールインできて今はホッと胸をなで下ろしています。
 サマーセミナーの特徴は、こうした「歩いて体感する」ことともうひとつ、中世文書の実物を見学することにあるのは言うまでもありません。今回も3件の文書群を見学しましたが、運営側としては、博物館などの公共施設に保管されているものではなく、個人宅保管や新出の文書など、ふだんはなかなか見ることが難しいものを見てもらえるよう、見学する文書群の選定にも意を尽くしたつもりです。参加人数に比して見学する文書の数が少なめで、やや窮屈な思いをさせてしまったかも知れませんが、リスクなどを勘案してできる限りの数を用意したつもりです。ただ、個人的に残念だったのは、皆さん写真を撮ることに熱心で、実物の「観察」がおざなりになっているんじゃないかな、と思えた点です。最近のデジタル技術の進歩は確かに目覚ましいものがあることは分かっていますが、中世文書を携帯のカメラで撮る姿を見た時には、何だか時代を感じてしまいました。まぁ、こんなことを感じるぼく自身が、年を取ったということなんでしょう。そう思えば微笑ましい光景ではありましたが(笑)。
 高野山でのサマーセミナーと言いつつ、高野山の山内を案内できたのは最終日になってからで、しかも高野山の全体像についてまともに説明する機会もなかったので、初めて高野山に行った方にとってはちょっと不親切なセミナーだったかも知れません。最終日の午後は3コースに分かれての行動になったのですが、玄人向けの「女人道」コースが一番参加人数が多かったところからみて、やはりそこは手練れの中世史研究者の集まり、高野山初心者であってもそんな配慮は無用だったのかも知れません。また、全体を通じて、現地での説明は抑えめにしました。サマーセミナーは単なる観光旅行ではありませんので、参加した個々の研究者で関心も視点も違うと思ったからです。その分、レジュメを多めにして解説を加えたつもりですので、今からでも現地の様子を思い返しつつ、レジュメを見直してみてはいかがでしょうか。
 さて、これで今夏最大の学界イベントも終わり、そろそろ9月の声も聞こえてきました。秋はいろいろと学会・展覧会も目白押しですね。私は頼まれた原稿の締切も目白押しです(笑)。不義理を重ねないよう、今から少しずつ準備します。。。
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サマーセミナーへ!

2009年07月13日 | Weblog
長い梅雨もようやく終盤に近づいてきたようです。今日は九州の方で梅雨明けとか。近畿地方ももう間もなくでしょう。梅雨が明けたら、いよいよ夏本番です。
 夏と言えば、今年は学界の大イベント、サマーセミナーを和歌山で開催することになっていて、現在、その準備が急ピッチで進んでいるところです。現在、申し込み受付中ですが(「和歌山地方史研究会」のHPをご参照下さい!)、今年は、5年前に世界遺産に登録された高野山への参詣道、高野山町石道を2時間かけて歩きます。中世文書の見学も盛りだくさんですので、ぜひ皆様のご参加をお待ちしております!
 高野山町石道は、そのルート沿いの1町(約108メートル)ごとに道標がわりの卒塔婆が立っている参詣道で、もともと古代には卒塔婆は木製でした。しかし、弘安年間に入って、鎌倉幕府の高野山興行政策の一環として、木製卒塔婆は石造の五輪塔状の石柱に建て替えられ、180本の町石一本一本に寄進者の名前が刻み込まれました。それらの中には幕閣の枢要人物や皇族・貴族から、名も知れない一般民衆に至るまで、実に様々な人の名が刻まれており、町石の建立が大きな社会的広がりを持つ大事業であったことがうかがえます。
 今回のサマーセミナーは、こうした中世人の息吹が今に確かに息づく高野山町石道を歩きます。途中、いくつもの絶景ポイントがあり(写真はそのひとつ)、景観的にもとても優れたコースだと自負しています。若手の中世史研究者の皆さん!、今年の夏は是非、高野山中世史サマーセミナーへ!!
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企画展オープン!

2009年06月14日 | Weblog
 昨日、準備を重ねてきた企画展がオープンを迎えました。今回は、「荘園」という、自分の専門分野ではありながら、「展示」という形で分かりやすく伝えるのはいかにも難しいテーマです。しかも、時節柄、この展示のための予算がまったくついていない中での企画で、当然多くの制約があります。ただ、自分としては、次につながるテーマもみえてきたという点で、準備の過程はそれなりに楽しいものでした。
 先日のブログにも書きましたが、今回の展示では、和歌山県かつらぎ町出身で、荘園研究の先駆者とも言える西岡虎之助に関する資料も集めて展示してみました。和歌山の師範学校を卒業後、2年余りという短い期間ですが、かつらぎ町内の小学校で教鞭を執った西岡。準備の過程で、これらの小学校に調査や資料借用に何度か足を運んだこともあり、少しは西岡の名前が郷里で再認識されるようになったようです。会期中、郷里からも展示を見に来て下さることになっています。こういうリアクションがあることが一番、展示を準備していて励みになります。
 東大の史料編纂所に入ってからの西岡の業績については、今さら言うまでもないでしょう。皇国史観がはびこる中でも一貫して民衆史の立場を堅持し、荘園絵図などの(当時としては)新しい資料の発掘にも熱心で、それらの成果を生かした教科書の執筆にも取り組みました。西岡がほぼ単独で執筆したと思われる昭和30年の実教出版版の高校日本史の教科書には、すでにカセ田荘絵図が掲載されており、現在、同絵図はほとんどすべての中学・高校教科書に掲載されるに至っています。
 また、これは不勉強かつ迂闊だったのですが、西岡は戦前に創立された歴史学研究会の会誌『歴史学研究』の創刊号に、論文を寄稿しているんですね。展示に使えそうな西岡の著書がないか、インターネットの古本サイトを検索していて偶然気付いた次第で、お恥ずかしい限りですが、今回それも展示してみました。また、これは早くから稀覯本となっていたものですが、西岡が早稲田の学生と大学図書館の一室を借り切っておこなった荘園絵図の展観(模写本による展観)に際して、ゼミ生がガリ版で作成した解説集があります。荘園研究者や早稲田の関係者の間では「伝説」と化しているあの出来事の息吹を伝えるもので、僕自身も、早稲田出身の人間として、これを手に取った時はかなり感動しました。インターネットの実力を改めて感じた次第。
 こんなふうに書いていると、今回の展示はまるで西岡虎之助の展示なのかと勘違いされそうですが、決してそんなことはございません。いちおう、「荘園」なんていう言葉を中学以来久しぶりに聞いたという人にも分かりやすいようなパネルも用意しました。そうした「作り物」にもご注目下されば幸いです。。。
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墓参

2009年05月10日 | Weblog
 5月に入って暑いくらいの毎日が続いています。
 5月は亡くなった父親の命日があることもあり、毎年必ず、墓参りをすることにしています。父はぼくが和歌山に就職した年に、それを見送るかのように亡くなりましたので、今年でもう8年がたつことになります。早いものです。
 帰りの飛行機までまだだいぶ時間がありましたので、日本橋に出て、妻と二人でとあるホテルのレストランで少し休んでいると、なんだかやけに外が賑やかになってきました。ちょっと都心の喧噪には似合わない、お祭りの囃子声のようでしたので、外へ出てみると、何基ものお神輿が車道を練り歩いていました。そう言えば、朝も神田駅にお降り立った時、神輿が練り歩いているのに出くわしたのを思い出し、今日が神田明神のお祭りだったことに気付きました。神田明神のお祭りは、江戸の三大祭りとも、日本の三大祭りともいわれるお祭りで、神田、日本橋、丸の内など、108ある氏子町会のそれぞれの神輿が都心の町中を練り歩く神幸祭とその後の神輿宮入れでハイライトを迎えます。1基の神輿は各町会の人々数十人でかつがれますが、それが何十基も続くわけですから、神幸祭は丸一日かかります。ちょうどぼくたちが外へ出ると、ホテルの入り口前に、ハッピを着て大きな提灯を持った方が二人、立っておられました。
やがて、神輿が通りを練り歩きながらホテルの前に着くと、向きを変えてホテルの入口のほうへと向かってきます。先ほどの提灯を持った方は、神輿をお迎えしていたわけですね。
神輿はホテルの玄関前に到着すると、そこで威勢のよいかけ声とともに勢いよく振られ、ここでいったん休憩となりました。
 その後神輿は、また再び担がれてもと来た道を帰っていきましたが、偶然出くわしたとは言え、東京都心の真ん中でこんなお祭りに出会うとは、ちょっとびっくりです。東京に生まれながら、テレビなどではよく見ていたものの、本物の神田祭を見たのは初めてで、妻と二人、人混みにもまれながらもしばし見入ってしまいました。。。
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西岡虎之助

2009年05月02日 | Weblog
 悪い癖が出て、またしばらくの間、更新を怠ってしまいました。
 新年度に入り、気分も新たに次の仕事に向かっていますが、当面、6月に控えている担当の企画展の準備が少し忙しくなってきました。今度の展示は「荘園」ですが、オーソドックスな内容では5年前にも一度、荘園をテーマにした展示をやりましたので、今回はそれと一部重複しつつ、少し趣を変えて、荘園史の先駆者・西岡虎之助に関する資料を並べようかと思っています。西岡は和歌山県かつらぎ町の出身で、町内にはその生家も残っていますが、そこには個人的な遺品などはほとんど残されていないようです。それでやや諦めかけていたのですが、西岡が卒業した地元の小学校や、和歌山の師範学校を卒業した後に教壇に立った小学校に、関連の資料がないか調べてみると、少しだけですが、当時の記録が残っていました。西岡が地元の小学校で教壇に立ったのはわずかに2年足らずで、その後退職して東大に進学するわけですが、それらの小学校では、後に偉大な歴史家として知られるようになったこの「巨人」をとくに顕彰することもなく、学校の「百年史」などの記念誌
を作る際にも、とりたてて取り上げたりはしていません。その意味では、残念ながら西岡は、郷里ではまったく「忘れられた偉人」となってしまっているようでした。それだけに、郷里で教壇に立っていた確かな記録であるこれらの資料は貴重です。西岡が子どもたちに歴史を教えていた時代は、軍国主義的な教育が世にはびこる以前の、比較的リベラルな時代ですが、その時期の学校の歴史教育の基本方針を
記した記録なども残っており、青年西岡虎之助の思想形成に影響を与えたかも知れないこれらの資料もまた、貴重な記録と言えそうです。
 展示は6月13日からです。また少しずつ、調査で分かったことや感じた雑感などを記していくことにします。
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