@高田馬場

高田荘とbar馬場より。

追いコンとか

2006年04月03日 23時20分45秒 | 馬場
 馬場です。実家のネット設備が壊れていて、毎日書こうという誓いをいきなり破ってしまった。気を取り直して、初日に続きblogをはじめる前夜に考えていたこと。

 すべてをさらけ出そう。そう僕に決心をつけさせたいくつかの出来事があった。その中でもやっぱり最初に書きたいのは政友会の追いコン。会員は知っての通り、追いコンで僕はちょっとした映像を流した。一次会では四年間を振り返るための卒業アルバムのようなものを、二次会では三、四年ひとりひとりのメッセージを。でも、実はこれを上映するまで一本道できたというわけではなかったのだ。

 正直言って、三年次の引退式で政友会の活動をほぼ終えているのだから、いまさら卒業を政友会で祝ってもたいして感慨はわかないだろう。そう僕は思っていた。だから去年の十二月頃、福田歩美が追いコンで卒業ムービーを作ろうという企画を打ち出した時、僕もそうしたことは好きだから簡単に話に乗って計画を立てたものの、いざ作り始める段階になって面倒くささが勝り、要らないんじゃないのかなと考えはじめた。最終的には彼女の熱意に負けて作るような流れになったのだけれど、僕は上映をはじめるその瞬間まで結果には半信半疑でいた。

 しかし僕の不安は完全に外れて、結果は最高だった。卒業生はとても喜んでくれたし、僕らより下の学年にも何かしら伝わるものがあったんじゃないかと思う。けれど、誰より感動したのは、僕ら現四年ではないだろうか。少なくとも僕にとっては三年間でもっとも忘れがたい一日だった。

 一次会。感情をむき出しにすることの少ない卒業生たち。流れる映像を見てそれぞれの四年間を振り返っていた。時々起こる笑い。そして、涙を堪えている誰かを思わせる静寂。僕は自分で言うくらいセンチメンタルな人間なので、当然のごとくその時すでにめちゃめちゃ泣いていたのだけれど、その後のひとりひとりのメッセージがいけなかった。いろんなことが思い出されて、泣きに泣いた。あんなに泣いたことはなかった。でも、それは僕だけではなかったんじゃないだろうか。普段はクールな西村さんが涙、もしかすると鼻水さえをも垂らしながらひとりひとりに抱きついてくる勢いだったし、さらにクールな清水さんに至っても僕よりさらに泣きじゃくっていて、化粧は大丈夫だろうかなんて涙目の僕が勝手に心配するくらいだったのだから。

 二次会。僕は準備にかかりきりであまり話せなかったのだけれど、上映を催促するタツキさん、僕と目も合わせなかった澤田さん、奥の方でこっそり飲んでいる小村さん。ひとりひとりが、なんとなく期待しているのがわかった。ギリギリで完成して(終電等で間に合わなかった人、ごめんなさい!)流しはじめると、酔っ払った木下さんはびぃびぃ泣いていた。絶対に揃わないだろうと思っていた僕ら、OBOG、卒業生の、実際は期日までに完璧に揃った熱い言葉が、胸を打つ。一次会二次会を通して、それぞれの政友会に対する思いがあの場に表れていた。

 そして三次会。もうみんな疲れているからわりとグダグダだ。そんな中、何人かで集まって、時々笑い、そしてしばらく黙る四年生たち。僕のいた席の卒業生三人が、意外な組み合わせに思える合コンの話で盛り上がる。そんな他愛無い一コマからも見え隠れするお互いの想い。そうしているうちにも、ひとり、ふたりと帰っていく。見送りに行く人。席から立とうとしない人。でも、誰もが同じ思いを抱いていることが分かる。僕は彼らの表情を見て、俺もこんな顔をしてみたい。そう心から思った。

 夜明け頃、高田馬場の改札。握手と抱擁。そして別れ。最後まで残った何人かも、別々の道へと足を踏み出す。みんなそれを知っていて、噛み締めながらも新たな日々へ進んでいったのだと思う。僕は彼らからしたら部外者に過ぎないのかもしれないが、そうした思いが僕にまで伝わってきて、涙が再び止まらなくなった。

 引退してからこそ話す機会が少なくなったけれど、どこかで繋がっていた卒業生たち。きっと、本気でぶつかりあったからなんだろう。僕はその場を直接見ることはあまりなかった。でも、例えば宏遠の小村さんの原稿を読んでも分かるように、仲間と本気で語り、感情をぶつけあい、喧嘩するくらいの経験をしてこそ、分かり合えるものがあるのだと思う。家に帰ってあらためてそれを考えていて、眩しかった卒業生達を、羨ましく思う気持ちが強くなった。

 僕は卒業生からとても多くのことを学んだ。それまで「先輩」と呼びうる人と接したことがなかったからもあるのかもしれないが、大学ではじめて出会った驚くべき人達に心酔した。僕がぶつかっていくと、いつだって逃げずに真正面から返してきてくれた。時には、先輩から僕に向かってくることさえあった。

 それを思うにつけ、最近はこういう疑問が浮かんでくるようになった。そうした人以外と、僕はどれだけ本音でのぶつかり合いをしてきたろう? 語り合いが好きだと言っておいて、どれほど自分自身を人に伝える努力をしただろう? 僕がしてもらったようにすることができているだろうか?
 
 これは庄司や福田歩美と話していてますます強く思うようになった。僕(ら)はすごく愛されていたと思う。でも、今の三年生はどれだけ僕(ら)に愛されていると思っているだろう? そしてまた、どう三年生が弁解しても、僕が卒業生に感謝しているほどには、僕に感謝してくれないに違いない。そして、それは端的に僕(ら)のせいなのだ。

 サークルなんてそんなものかもしれない。そもそも、政治に興味を失ったと書く僕が、なぜ政友会に留まり続けるのだろうと自分でも考えることがよくあった。でも、やっぱり出会った仲間達だった。みんなすごいいい奴で、僕は大好きだ。たぶん、それだけだ。でも、それだけでもいいと思う人もいてくれるだろう。

 僕はご存知の通り四年では卒業できない。追いコンの帰り道、一緒になった卒業しないある四年生に、追いコンに参加した気持ちを聞いてみた。普通の奴らが喜ぶようには喜べない、そう言っていた。相当に失礼な話だったように思う。その人はすこしも卑屈になることなく常に明日を見ている人だ、というのは庄司の言なのだけれど、その言葉通り、笑って同期を送り出し、同じように僕にも答えてくれた。そのおかげで、僕は勇気付けられた。みんなが卒業する時に、僕も笑って全員を送り出そうと。そしてあわよくば卒業しない僕に対して、後輩たちが泣いてくれるような先輩になりたいと。

 そういう思いを胸に、僕は四年目の政友会の活動をやっていきたいと思っている。このblogはその一環としてはじめたと言っても、決して言いすぎにはならないと思う。何ほどかを為すような四年目にはならないだろう。でも、何か一つ胸を張って四年目を送ったと言えることができるとしたら、きっとこれしかない。まぁ五年目のことは五年目になってから考えよう。

 そういう思いを秘めて、僕はまた授業に行かなくなるのかもしれないが・・・。

2 コメント

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Unknown (ほさか)
2006-04-04 22:24:11
本来は、去年送り出されるべきところを、突然の乱入失礼しました。



人にはいろんなペースがあります。



それを現代社会は、一律に管理しようと押し付けがちです。

人のことは気にせずに、

無理せず自分のペースで歩んでいってください。

経験的にそれが一番かと。



五年経験者の先輩より
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ほさかさん! (ばば)
2006-04-04 22:51:07
自分のペースというのがようやく最近わかってきました。

2,3年前は、無我夢中で走り続けていたような気がします。

それはそれでとてもいい経験をたくさんできたのですが、

そのぶん、保坂さんをはじめ先輩方にはご迷惑をかけてばかりでした。



今このように言ってもらえると、

そういったことをも思い出して、とても勇気付けられます。

ありがとうございます。

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