世界遺産、ヨーロッパ、田舎、街角、デッサン、スケッチ旅行、ラムアート絵画クラブ。サイクリング趣味、健康に自転車で走ります

世界わがスケッチの旅紹介。ヨーロッパ、地中海地方、エジプト、イスラエルなど24国、国内旅行等。ラムアート絵画クラブ。

ミュシャ 祖国への旅路 に思う 世界わがスケッチの旅

2017-03-21 | 海外旅行


***********


「華麗なるミュシャ 祖国への旅路」という番組を見た。


   パリでのくらし、ミュシャ、彼が世にでるキッカケをもたらした、ルネッサンス劇場。人生を変える時、出会いが誰にでもあるものだ。
しかし、それをものにできるのは、努力だけでもないし、運命だけでもないし、本当に整わなければならない要素があってこそだと思う。
なんだかな、一度だけの人生ならって思う。それなら、ゆっくり歩くことも、急ぎ足でチャンスをつかもうとするのも、それは、それでどちらも素敵ではないでしょうか。
人は、生まれやがて死にます。順序よく死に向って歩いていきたいものです。このミュシャの番組は、パリからプラハへの移動のお話です。なぜ、どうしてどうやって、パリで有名になったのに、、やがて故郷のチエコに移動し故郷で大作へと進んで行ったのでしょう。
その2つの都市のスケッチを私もしているので、なんだか想いだすことも多いので、楽しみながら振り返ってみるのも面白いと思ったものです。
パリのルネッサンス劇場で、ミュシャはある日、有名なサラ・ベルナール、フランスの舞台女優からポスターを依頼された。ミュシャは、アイリスの花で髪をかざり、自己演出の天才たる彼女を夢のような表現でかざることに才能を発揮させた。一躍有名になり、ミュシャの仕事は大変な盛況へとなっていった。
ミュシャのデッサンは、とても丁寧ですばらしい表現力に感心させられる。あのデザインの花かざりは、大きさを変えて、並べたその変化をうまく表現の微妙さになっていることに、なるほどと感心させられた。
 ここで、パリの私のスケッチを。思い出のために。


 
 さて、ミュシャが、パリを去ったのは、1910年で50歳の時だった。
彼の好きな曲とは、スメタナ「わが祖国」だったとある。それを、クレメンティヌム内の礼拝堂「鏡の間」で聞いたとある。
ここは1720年以降に建設され、天井には豪華なフレスコ画、壁には金の漆喰化粧や大理石の細工が施されていたようだ。
聴くところでは、床のモザイクタイルを映し出せるように鏡が多くはめ込まれて素敵な礼拝堂だと。
ミュシャが感動したように、クラシック音楽のミニ・コンサートを今度行く機会があれば、聞いてみたいものだ。
ところで、ミュシャのポスターは、パリでよく見たが、チエコで私が印象に残っているのは、絵のなかに見る村人がこちらを見つめている、何か語りかけていそうな民衆の眼差しがとても忘れられないで残っている。絵の前にたって、ぎょっと驚いたことを忘れられない。それは、スラブ叙事詩と言われてる歴史絵巻であった。1911 ~1926年頃に描かれたものです。描かれた場所、アトリエはズビロフ城の中の大広間ということでした。
村人たちの想いを深く刻み込んだ、語りかける描写。村人一人一人の個性を綿密に、存在感を大切にして、村人を主役にした絵画を描き続けたのです。なんて、胸うつお話ではありませんか。

プラハのスケッチ 



ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« マリアの山からの景色  世... | トップ | エペソ 世界わがスケッチの旅  »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。