瀬崎祐の本棚

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詩的現代  20号  (2017/03)  群馬

2017-03-15 17:01:54 | 「さ行」で始まる詩誌
 今号の特集は荒川洋治。
 本人の詩作品「民報」や、詩集「北山十八間戸」からの同名作品も載っている。「これから思うこと」と題した一文では、「一編の詩を書くときは、その一編のなかで、自分がこれまでに行ったことのないことをしたい、という思いがあるからだ」と、至極当然のことを書いているのだが、「最初から自然に書く。ことばがことばであると見えないうちに書く。それはできないことなのだろうか。」といわれると、これにはなるほどと思ってしまう。

 荒川のかつての「娼婦論」や「水駅」「鎮西」に心惹かれた人の中には、その後の大きな転換に戸惑った人も少なくないのではないだろうか。特集では9編の荒川洋治論が載っており、彼の“転換地点”に言及しているものもある。

 愛敬浩一「荒川洋治論のために」では、「無意識な転換がまずあり、レトリックで武装する必要がなくなったとき、逆に、荒川洋治自身が生身の方をレトリックのように見せたということかもしれない。」として、「その時、荒川洋治は初めて、<時代>を少し読んだのかもしれない」と述べている。

 村島正浩「「娼婦論」の行方 現代詩作家荒川洋治の立ち位置」では、詩集「渡世」の作品に触れて、「この作品群は、詩は言葉に過ぎない、或いは過剰に言葉であるとの「娼婦論」の痕跡を残しながら、詩へと向かった作品である」と述べている。

 また髙橋英司「IQ下官も詩を書くぞ」は、くだけた口調でいながら、皮肉交じりにかなり鋭い点をついていた。

 詩作品では樋口武二「待ち人来たらず」。
 「或いは疾走する風景」との副題がつけられている。川べりの喫茶店で友人を待っていると、「疎遠だった叔父」や「尻尾を垂らした女」があらわれたりするのだ。

   待ちつづけることの意味は、とうの昔に失われ、煙草をふかす
   ひとも、痩せた狐のようなおんなも やがては遠い幻となって
   消えていくだけのことだ (略) 待つことは乾くことであり、
   失うことでもある

 夢と現実のあわいの風景が私を取りまいている。どちらの世界の風景に入り込めば私は存在し始めるのだろうか。それまでの私は、それこそ夢の中にいるような頼りなさで、何も信じることができずにいるほかはないのだろう。
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