瀬崎祐の本棚

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グッフォー  67号  (2017/03)  北海道

2017-04-20 19:12:24 | 「か行」で始まる詩誌
「べつの樹」海東セラ。
 いつもの幻惑させられる作品とは少し趣を異にして、今作は現実的な肌触りを保っている。見慣れた木の幹からたしかに異種と思われる幹が生えているのだ。しかし、それはやはり同じ種類なのだと教えられる。何か耐えなければならないようなことがあって、”べつの樹”を生やさなければならなかったのだろう。それに気づいた話者も、

   うっかり植栽ごと愉しまれていた樹に、まったく気づいていなかった
   かといえばそうともいえない。発芽のときから少しずつ慣らされた目
   に、育まれ愛しまれいつのまにか、自分からべつの樹が生えている。

 「ちいさな町で」中村千代。
 私は紙でできているような家に彷徨いこんでいく。そこで人々は「いくつもの窓にぶつかりながら不揃いの靴は虹の色合いでふぉーるふぉーるまわっていた」のである。だから「こころを叩きながら一緒にまわる自分がみえた」のである。まるで人形セットのような、ここではないどこかの風景の中で、私のひとときの物語がくり広げられている。こういった世界へ、私たちはときおり彷徨いこんでは詩を書くのだろう。

   淡いひかりはまだそこにあって温めているのだと 
   遠いひとも近いひともなにかを抱えてやってきて膝
   を折り 祈り消してゆくことばと携えてゆくことば
   を託して帰ってゆくのだ

 「遙かな人」小林明子。
 「沈んでいく石を拾うために/彼女はためらいもなく/水の中に手を入れた」とはじまる。沈みつづける石を追って彼女は体ごと水に入っていく。残された者たちは見ていることしかできない。

   振り返らず
   言葉も残さず
   しだいに光から遠ざかりながら
   彼女の背中は固まっていく
   ようやく拾った石を
   おさな子を抱くように胸にかかえて

 次に振り返ったときには、彼女は別の人の顔になっているのではないだろうか。それが石を追いかけ、拾いあげる行為の意味なのだろう。
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