瀬崎祐の本棚

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るなりあ  38号  (2017/04)  神奈川

2017-05-16 21:21:35 | 「ら行」で始まる詩誌
 女性3人の詩誌。各自が2編ずつを載せている。

 「春の判れ」氏家篤子。
 偶然に隣りの席にいる二人の老嬢の話が聞こえてきているのだ。一人が遠くへ去っていくようで、取り止めもない会話で別れを惜しんでいるようなのだ。それは別れのためにはどうしても必要なことなのだろう。わが身を振り返ると、

   あんなふうに別れをしないでしまった別れが
   いまさら
   わたしを悔やませつづけている
   別れを失った のだ

 素直な気持ちで読める作品。誰にも判る普遍的な感情がそこにはある。”別れを失う”という表現にも惹かれた。

 「年の瀬」萩悦子。
 綱をつかんで瀬を渡ろうとしているようだ。瀬の流れは速く、その行為に怖れもあるのだろう。しかし、自分を鼓舞している。それは、自分の中に在るものを越えようとしていることなのだろう。そして越えた向こう岸には「蕾がそこここに/色を違えて膨らん」でいるはずなのだ。さあ、渡るのは今だ。

   気づかなかったとは
   言わせない

   渡れないとは
   言わせない

 「皿」鈴木正枝。
 皿を作るのが好きな人は、どの皿にもうさぎを描いた。昔うさぎを殺したことがあるからだとのことだった。その人が遠くへ去るときに「わたしの半分 と言って」、皿を半分くれたのだ。

   大皿には獣の肉を
   中皿には青菜や根菜をのせ
   うさぎといっしょに食べた
   時にもち米を半ごろしにした団子の小皿など
 
 大切に使っている皿には、血塗られた物語が張り付いている。その皿から食事を取るとき、わたしの中に少しずつ溜まってくるものはないのだろうか。魅力的な作品だけに、最終部分がいささか甘くなった気がしたのは残念だった。
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