高校は毎日毎日楽しくてたまらなかった。
多分、中学が結構管理的で煩かったから
余計そう思ったのだろう、制服もなくて
夏なんかタンクトップに短パンにサンダルで
毎日口笛吹きながら通っていたのを覚えている。
●
で、部活にも入らないから、授業が終われば
遊び放題。とはいっても先立つものがいるので
昼はカフェ、夜はバーという店でバイトを始めた。
確か、スタート時の時給が600円だったはずだ。

今でもその店は存在している
また、JAZZに詳しくなったのも、このバイト先のおかげだ。
初めて自分が店でかけたのはHerbieのMaiden Voyage
だったような。。。まさにJAZZの世界への処女航海。
●
そんな高校からは何を教えられたかと
いうと、何をするにも各自の自己責任、
ということではなかったかと思う。
とにかく、進路指導というものが全くないし
何をしようが自分の責任でやる分にはほぼ自由。
その代わり、勉強しなければ浪人するだけだし
社会のルールに従わなければ捕まるだけだ。。。
これはこれである意味シビアだが、生徒を一人前の
大人として扱ってくれていたのではないか、と思う。
酒も煙草もやったが絶対見つからなかった。
そして、バイトをしながらもZ会の答案だけは
締切に間に合うよう、頑張って取り組んでいた。
#Z会の返信用封筒は白かったので、未提出の答案が
たまっていくことは「白い悪魔」と呼ばれていた
●
3年時の担任のS先生(女性)とは今でも年賀状を
やりとりしているのだが、彼女にはこの学校の
雰囲気を象徴するかのようなエピソードがある。
卒業式の後のこと。式も終わって皆ホームルームに
戻ってくる。進学が決まった者、浪人が決まった者、
皆とりあえず今日は飲もうや、という話になる。
(ま、未成年とか何とかいう話はもう時効だろう)
居酒屋への予約をどうするとか集合場所をどうするとか
段取りを教室でばたばたとしていたその時、S先生が
自分のところへやってきた。
S「J君、今日これから飲み会やるんでしょ」
J「やりますよ〜 最後だし、先生も来ます?」
S「そうね、皆と一緒で1年間楽しかったし、行きたいん
だけどね。やっぱり、私は立場上行けないから。。。」
J「そうすか、残念ですけど、まあしょうがないすね」
S「でも、気持ちだけ参加、ってことで。はいこれ(^_^)/」
と、先生は自分に何と餞別として2万円を渡してくれたのだ。
どこの高校に、飲み代を出してくれる担任の先生がいるだろうか。
この瞬間、もう一度入り直すとしてもこの学校だ、と感激した。
そんなわけで、最高の高校生活だった。(続く)
注:標題サブタイトルは、母校の校歌の一部
多分、中学が結構管理的で煩かったから
余計そう思ったのだろう、制服もなくて
夏なんかタンクトップに短パンにサンダルで
毎日口笛吹きながら通っていたのを覚えている。
●
で、部活にも入らないから、授業が終われば
遊び放題。とはいっても先立つものがいるので
昼はカフェ、夜はバーという店でバイトを始めた。
確か、スタート時の時給が600円だったはずだ。

今でもその店は存在している
また、JAZZに詳しくなったのも、このバイト先のおかげだ。
初めて自分が店でかけたのはHerbieのMaiden Voyage
だったような。。。まさにJAZZの世界への処女航海。
●
そんな高校からは何を教えられたかと
いうと、何をするにも各自の自己責任、
ということではなかったかと思う。
とにかく、進路指導というものが全くないし
何をしようが自分の責任でやる分にはほぼ自由。
その代わり、勉強しなければ浪人するだけだし
社会のルールに従わなければ捕まるだけだ。。。
これはこれである意味シビアだが、生徒を一人前の
大人として扱ってくれていたのではないか、と思う。
酒も煙草もやったが絶対見つからなかった。
そして、バイトをしながらもZ会の答案だけは
締切に間に合うよう、頑張って取り組んでいた。
#Z会の返信用封筒は白かったので、未提出の答案が
たまっていくことは「白い悪魔」と呼ばれていた
●
3年時の担任のS先生(女性)とは今でも年賀状を
やりとりしているのだが、彼女にはこの学校の
雰囲気を象徴するかのようなエピソードがある。
卒業式の後のこと。式も終わって皆ホームルームに
戻ってくる。進学が決まった者、浪人が決まった者、
皆とりあえず今日は飲もうや、という話になる。
(ま、未成年とか何とかいう話はもう時効だろう)
居酒屋への予約をどうするとか集合場所をどうするとか
段取りを教室でばたばたとしていたその時、S先生が
自分のところへやってきた。
S「J君、今日これから飲み会やるんでしょ」
J「やりますよ〜 最後だし、先生も来ます?」
S「そうね、皆と一緒で1年間楽しかったし、行きたいん
だけどね。やっぱり、私は立場上行けないから。。。」
J「そうすか、残念ですけど、まあしょうがないすね」
S「でも、気持ちだけ参加、ってことで。はいこれ(^_^)/」
と、先生は自分に何と餞別として2万円を渡してくれたのだ。
どこの高校に、飲み代を出してくれる担任の先生がいるだろうか。
この瞬間、もう一度入り直すとしてもこの学校だ、と感激した。
そんなわけで、最高の高校生活だった。(続く)
注:標題サブタイトルは、母校の校歌の一部










S先生、そんな方だったとは。。。
私はあんまりいい思い出がないんだよな、あの先生とは。
ちょっと考えが変わりました。
よかった、Jさんのブログ読んでて。
使うのを忘れたのはここだけの秘密です(+_+)\バキッ
#2次会まで来た人だけがその恩恵を受けられた
旬報に名前載せようとがんばったけど
1回くらいしか載らなかったかなぁ。
Jさんとは逆にサッカー漬けの毎日でした。
朝練・昼ダッシュ・放課後練習etc
自分も旬報に載ったのはせいぜい2〜3回だったような。。。