慶喜

心意気
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プロ野球生みの親

2017年04月18日 | 学び
沢村栄治氏(日本のプロ野球誕生の原動力となった)

「沢村賞」として投手のあこがれの存在
ベーブ・ルースら大リーグのスター選手が来日して日米野球が行われた
 ☆日本は社会人選抜で臨むが、圧倒的な実力差で連戦連敗
日本中が湧いた沢村栄治氏の活躍
 ☆大リーグのクリーンアップを三振に打ち取る快挙を成し遂げる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、NHKEテレ『知恵泉』、WIKIPEDIA










沢村栄治氏(NHKEテレ『知恵泉』番組画面引用)

沢村栄治氏学生時代
京都商業学校の投手として高校野球全国大会に出場
1試合23奪三振を記録するなど、才能の片鱗を見せた

沢村栄治氏全日本選抜
夏の大会終了後に京都商業を中退し、日米野球の全日本チームに参戦する
5試合に登板(4先発)し、0勝4敗
 ☆敗戦したが、静岡県で開催された試合では、ソロ本塁打を浴びたのみ
 ☆沢村氏のこの快投は現在でも日本で語り草
日本選抜対メジャーリーグ選抜の試合が日本の0勝16敗
沢村氏、プロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部」参加(学校を中退)

沢村栄治氏のプロ入り後の活躍
大阪タイガースとの最初の優勝決定戦では3連投(巨人優勝)
1937年春には24勝の成績を残して、プロ野球史上初となるMVPに選出された
タイガースの豪打者景浦將とは良きライバル
軍隊生活で、手榴弾を投げさせられたことから生命線である右肩を痛めた
右肩を痛めたことでオーバースローからの速球が投げられなくなった
 ☆サイドスローで、抜群の制球力と変化球主体の技巧派投球を披露
再度右肩の痛みより、アンダースローに投法を変えたが、成績が残せず引退


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