慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

英雄、高田屋 嘉兵衛

2017年05月18日 | 歴史
高田屋 嘉兵衛(江戸時代後期の廻船業者、海商)

淡路島で生まれ、廻船商人として蝦夷地・函館に進出する
国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、函館の発展に貢献する
ゴローニン事件でカムチャツカに連行され、日露交渉の間に立ち、事件解決へ導いた
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、NHKBS番組『英雄達の選択』、WIKIPEDIA










高田屋 嘉兵衛(『英雄達の選択』テレビ画面より画像引用)

嘉兵衛蝦夷地への進出
嘉兵衛は兄弟と力を合わせ、初めて蝦夷地まで商売の手を広げた
蝦夷地を支配していたのは松前藩で、松前では近江商人などが利権を確保
嘉兵衛は、余り開発されていなかった函館を拠点とし、弟の金兵衛を函館の支配人とした
嘉兵衛は、兵庫津で酒、塩、木綿などを仕入れて酒田に運ぶ
酒田では、米を購入して函館に運んで売る
函館では、魚、昆布、魚肥を仕入れて上方で売る商売
嘉兵衛は、国後島と択捉島間の航路を開拓し、択捉島では17か所の漁場を開く

嘉兵衛ロシアの軍艦に拿捕
軍艦ディアナ号で千島列島の測量を行っていたゴローニン
 ☆ゴローニン国後島に入港した際、国後陣屋の役人に捕えられた松前で幽囚の身となった
ディアナ号副艦長のリコルドは、国後島沖に留まり、日本船を拿捕して状況把握に努める
通りかかったのが嘉兵衛の船は、国後島の沖合でディアナ号に拿捕された
嘉兵衛は、ロシア語を学び、カムチャツカ長官名義の謝罪文を書き上げ自ら日露交渉に赴く

嘉兵衛日本への帰還
幕府は、嘉兵衛の拿捕後、これ以上ロシアとの紛争が拡大しないよう方針転換
ロシアがフヴォストフの襲撃が、皇帝の命令でない事を公的に証明すればゴローニンを釈放することとした
幕府の事件解決方針は、嘉兵衛の予想と合致するものだった
日本側の要求を承諾したリコルドは、釈明書を取りにオホーツクへ向け国後島を出発
嘉兵衛らは、国後島を出発し松前に着き、松前奉行に交渉内容を報告
ゴローニンらは牢から出され、引渡地である函館へ移送された

事件解決
函館で待機していた嘉兵衛は、ディアナ号を途中で出迎える
嘉兵衛は日露間を往復し、会談の段取りを整えた
リコルドは両長官の書簡を日本側に提出した
松前奉行は、ロシア側の釈明を受け入れゴローニンを釈放
嘉兵衛たちが見送る中、ディアナ号が函館を出港し、ゴローニン事件が終結
嘉兵衛はゴローニン事件解決の褒美として、幕府から金5両を下賜された

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