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世界史(中国の中央集権システム)

2017年05月13日 | 歴史
中国統一を可能にした中央集権システム

秦の始皇帝によって確立された中央集権システム
中央集権システムとは、皇帝を頂点とする政治、社会制度
中央集権での中国の統治システムは、2,000年以上にわたり維持された
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『世界史(成美堂)』


中国の中央集権システム(世界史(成美堂)記事より画像引用)

周が封建制による支配を確立が、戦乱の時代に崩壊
中国古代の王朝である殷は、大邑(都市国家)の連合体であった
殷に代わった周は、封建制による支配体制を確立した
周の封建制
 ☆一族や功臣、有力氏族の長を世襲の諸侯とし、封土を与えて統治を任せる支配制度
 ☆支配階級は血縁関係の氏族制によって結ばれていた
春秋、戦国時代
 ☆諸侯はしだいに氏族制にとらわれることなく実力のあるものを官僚に起用する
 ☆農民も氏族の枠にしばられず、家族単位で農業を営むようになり、封建制は崩壊する

中央集権システム(秦の始皇帝)
戦国時代の動乱を制し、初めて中国の統一を果たした秦の始皇帝
全国を直接支配する強力な中央集権国家の建設を目ざした
朝廷とよばれる中央政府には、軍事や行政の官僚制度を整える
地方は、郡、県、郷、里といった従属関係にある単位に分ける
郡と県には直接中央から官僚を派遣して治めさせる郡県制を適用した

中央集権システム(漢の高祖)
強引な中央集権化が秦の滅亡を招いたと考えた
比較的緩やかな中央集権体制をとることを志した
郡県制と封建制を併用する郡国制
 ☆都周辺は郡県制
 ☆地方には王国を置いて一族や功臣を諸侯王として統治させた
呉楚七国の乱後、諸侯の力は次第に衰えた
武帝の時代には郡県制が復活した
皇帝に権力が集中する中央集権国家が成立した

『史記』と『漢書』紀伝体で記された
歴史書の規範とされる『史記』
 ☆武帝の怒りに触れて去勢された司馬遷の筆による
 ☆中国上古から武帝期までの通史
『漢書』前漢一代を記録する
 ☆『漢書』は倭(日本)を記載する最初の文献


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