慶喜

心意気
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秀吉東国の平定(小田原合戦)

2017年02月09日 | 新聞記事
小田原合戦(秀吉と関東の覇者「北条家」との戦い)

小田原合戦の引き金になった「名胡桃城(なぐるみ)事件」は、秀吉の陰謀説有力?
秀吉は約22万の大軍勢を率いて北条家の居城・小田原城に攻めこむ
 ☆小田原城は、上杉謙信や武田信玄をも阻んだ難攻不落の天下の名城
秀吉が行った驚天動地の秀吉の奇策”一夜城”作戦
 ☆戦わずして勝つ″という秀吉の真骨頂
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・画像・番組等で確認ください
出典、BS・TBS『高島礼子・日本の古都』、小田原市HP
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)




















小田原城(TBS『高島礼子・日本の古都』テレビ画面引用)

秀吉のターゲットが後北條氏
四国征伐、九州征伐を行い西国をほぼ平定
国内で残るのは関東・東北の平定
 ☆秀吉は、「関東・奥両国惣無事令(そうぶじれい)」という命令を出した
 ☆関東と奥両国における大名同士の戦いを停止させた
大名同士の領土の取り合いなどがあれば、関白として秀吉が征伐する
秀吉は、後陽成天皇を自分の城である聚楽第に招き、諸大名にも列席を命じた
上洛したかしないかが、秀吉に臣従するかしないかの踏み絵となった
聚楽第行幸に、北条氏政・氏直父子は列席しなかった

秀吉に小田原征伐の口実を与える事件が勃発
沼田城代猪俣範直(のりなお)が名胡桃城を奪う
 ☆猪俣範直は、北条氏の家臣
秀吉は「関東・奥両国惣無事令」違反として後北条氏に宣戦布告した

後北條氏側もこの日の来ることを想定
小田原城やその他支城の修築などを行っていた
小田原城の、城と城下町大外郭ができたのもこのころです
武器、兵糧、弾薬などの準備も進められ、文字通りの臨戦態勢に入った
氏政・氏直は、領国すべてでおよそ五万六千ほどの兵が動員した
 ☆一戦国大名の動員数として、驚異的人数でした

秀吉の動員兵力は22万の大軍
量だけでなく、兵の質も違っていた
 ☆後北條軍は、農民が主力だったのに、秀吉の方は兵農分離が済み、専業武士が主力
大軍を前にして、氏政・氏直は小田原城に籠城する戦法をとる
 ☆上杉謙信及び武田信玄の大軍を、小田原城に籠城して勝った経験を持っていた
秀吉は、小田原全体を見下ろせる笠懸(かさがけ)山に城を築かせ本陣とした
 ☆石垣山一夜城
小田原城包囲の戦いで、3ケ月後に、氏直は開城して降伏した
秀吉は、氏政・氏照兄弟、老臣らに切腹を命じ、氏直は高野山に追放された


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