塚田國之の独り言

信州の山奥に隠棲する自称・枯れ仙人の独白

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酒田市で見たもの・・④

2009年09月12日 04時21分33秒 | 日記
戦後復興経済の中、55年体制といわれる政治体制の下、日本の政策は一貫して「生産者側」を向いてきた。その下での農業振興策は、農地や農業の保護育成ではなく、票田でもあった農民の保護に重点が置かれてきた。農業や農地を保護するのなら、農地を拡大し、農業の生産性を上げ、担い手の農民を少なくして、一人当たりの所得を高めなくてはならなかった。
この遠因は太平洋戦争後の進駐軍による農地解放にもある。当時の進駐軍は大地主に搾取される小作農を救うとの名目で、農地解放に踏み切った。しかし、同時にそれは日本の農業と社会を弱体化させるという毒も含んでいた。この毒が当初から彼らの目的の中に入っていたかどうかは今もって不明である。

映画「おくりびと」の舞台となった酒田市には中高年女性が多数押しかけ、自転車で映画の背景となった場所を巡っている。しかし、中心商店街の衰退は、シャッター通りを通り越し、放置された映画セット村のようである。
この街には、ケヤキ並木と倉庫のシルエットで有名な山居(さんきょ)倉庫がある。ここには今でも60㌔換算の俵で1万俵を優に超える米などの農産物が保管されている。
もう一つの名所に、本間家邸宅がある。
「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と謳われた本間家は3000町歩(ha)の土地を保有し、2700人の作人を使っていたという。

米は大量栽培に向く作物である。本間家の農業経営が優れていたからこそ、壮大な庄内平野が生まれ、あの地域が栄えたのである。全体の付加価値が大きかったからこそ誕生した経営形態で、搾取が目的であったら、全小作人が逃亡して本間家も庄内米も消滅していたであろう。

農業と農地を守り、食料自給率を上げるには、農業にも、経営的な手法を導入する必要があるのではありませんか?農水省さん。(続く)
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