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渡邉靖彦氏逝去

2016-09-04 20:50:16 | 秋田のいろいろ
秋田中央交通などの社長・会長や秋田商工会議所の会頭を務めた、渡邉靖彦氏が8月20日にうっ血性心不全により77歳で亡くなった。
今年6月に、中央交通本体の社長を次男に譲り、会長になっていたが、体調が思わしくなかったのだろう。
秋田県内、特に秋田市など中央部の公共交通機関の鍵を握る人物で、ここ20年ほどの秋田市交通局(秋田市営バス)の廃止・移管には、同氏の決断が大きな影響を持ったと考えられる。個人的には、それには「功」だけではない点も多々あるように感じられ、仮に違った決断をしていたら…と今さら思ってしまうこともある。
同氏は2011年のインタビューにおいて、日本海沿岸東北自動車道を通る高速バスを運行させるのが夢だと語っておられた。
志半ばで亡くなった前社長・会長の遺志は受け継がれるだろうか。

報道や死亡広告によれば、8月22日に五城目町斎場にて火葬、26日に五城目町の如來寺にて渡邉家の葬儀。※葬儀より火葬が先なのは、秋田では一般的。
その後、9月4日・日曜日13時に、渡邉家、秋田中央交通、秋田中央トランスポートの合同葬が、秋田市山王の秋田典礼会館セレモ(旧・平安閣)にて執り行われた。
故人は、かつては両社の社長を経験しており、逝去時点では両社の会長。
26日も4日も、喪主は次男で中央交通社長の綱平氏。なお、長男の綱一郎氏は、中央トランスポートの社長。


亡くなったことが新聞紙面で報道されたのは、21日。その時点では葬儀は未定とのことで、23日に小さく合同葬の日程が報道。
そして、8月24日・水曜日の4面・経済面の下に、死亡広告が掲載された。通常の死亡広告は、3面(総合面)に掲載されることが多い。

会社経営者などが亡くなると、遺族のほかに各社からの広告が複数枠掲載されることはあるし、同じ日に複数の人が亡くなる場合もあるので、上下2段に渡って死亡広告が並ぶことはある。
今回は、3段(一部葬儀関連業者の広告を含む)に及び、枠すなわち出稿者の数は、実に22。

紙面の面積では3分の1は占めている。2008年に5代目・辻兵吉氏が亡くなった時以来の大々的な死亡広告ではないだろうか。
【2018年2月11日追記】2018年1月に、北都銀行会長などを務めた町田 睿氏が亡くなった際の秋田魁新報の死亡広告は、11枠(1段と3枠)にとどまった。

死亡広告の内容を記録しておく。
最初の2枠は喪主によるものなので、氏名の後は「渡邉靖彦“儀”」、以下は「渡邉靖彦“殿”」。最初の遺族によるものでは「病気療養中のところ」との理由あり。【5日追記】遺族による広告では、22日に火葬を済ませた旨も記載。火葬日程に言及する死亡広告は珍しい。
文末は22枠ともすべて「八月二十日逝去(喪主によるものは永眠)いたしました。ここに生前のご厚情を深謝し謹んでご通知申しあげます。」で統一。
まあ、型にはまった文ではあるが、人によっては「ご交誼」や「深謝すると共に謹んで」といった言い回しもあるから、意識して揃えたのだろう。同日に掲載されたからには、葬儀社や遺族側で取りまとめたわけだから当然かもしれないけど。

以下、故人の肩書き(数字の直後)と出稿者(その次の行)を順に。「※」は補足。
1.父
喪主・妻・男(長男)・親戚代表(五城目町長であり福禄寿酒造前代表の渡邉彦兵衛氏)・親戚一同

2.弊社代表取締役会長
秋田中央交通株式会社・秋田中央トランスポート株式会社・喪主

3.当所名誉会頭
秋田商工会議所 会頭

4.当会前会長
秋田県商工会議所連合会 会長

5.当協会顧問・前会長
公益社団法人秋田県バス協会 会長

6.当組合代表理事
秋田県バス事業協同組合

7.当協会会長
一般社団法人秋田県社会保険協会

8.当協会会長
一般社団法人秋田県全自動車協会
(ここまで1段目)

9.弊行取締役
秋田銀行 頭取

10.弊社取締役
秋田空港ターミナルビル 代表取締役社長

11.当協会前副会長
秋田県信用保証協会 会長

12.弊法人評議員
社会医療法人明和会 会長・理事長
※中通総合病院などの運営法人

13.当クラブ元会長
秋田ロータリークラブ

14.当会会長
秋田三田会
※慶応大学の同窓会

15.当寺責任役員
真宗大谷派細超山如來寺 住職・門徒一同
※「門徒」は「檀家」と同義。宗派によって異なる用語。

16.弊社監査役
秋田観光開発株式会社 代表取締役社長
※秋田カントリー倶楽部の運営会社

17.当倶楽部前副理事長
秋田カントリー倶楽部 理事長
(仕出しの広告)
(ここまで2段目)

18.弊社取締役
株式会社秋田椿台ゴルフクラブ 代表取締役社長

19.弊社取締役
福禄寿酒造株式会社 代表取締役社長

20.弊社代表取締役会長
株式会社船川タクシー 代表取締役社長(次男)

21.弊社代表取締役会長
秋田中央交通株式会社 社員一同・OB会一同

22.弊社代表取締役会長
秋田中央トランスポート株式会社 社員一同
(以下広告)

意外な企業でもいろいろな役職をしておられたと思うとともに、「秋田県バス事業協同組合」のような初めて知った組織もあった。
中央交通の関連会社である船川タクシーは、トランスポートとは違って、距離を置いた掲載方法だったり、掲載の順番など、いろいろと気を使ったのでしょうね。
「公益財団法人秋田観光コンベンション協会」のトップも故人が勤めていたかと思ったら、いつの間にか、三浦廣巳氏(商工会議所会頭)が理事長に代わっていた。同協会からの死亡広告はなし。


4日の合同葬は、33度を超える猛暑の中。
14時頃に葬儀場の前を通った。
まだ終わっていなかったようで、周辺は静か。車寄せに関係者が立っていて、花が並んでいる程度。確認していないけど、お花は小田急や羽田孜氏(故人が小田急に勤務していた時に同職)なんかからも届いたのだろうか。

建物北面の車寄せから、曲がって東面まで、タクシーが10台ほど待機。
普段なら、場所的にキングタクシーの縄張りのはず。
ところが、この時はすべて、秋田中央トランスポートのタクシーだった。
自社の前社長・会長の葬儀だから当然かもしれないけれど、キングタクシーなど他社は遠慮したのか、強制的に締め出されたのか。その間、いつも中央タクシーが待機している、茨島方面の商業施設はどうなっていたのかな。

107台収容だそうだけど、駐車場はいっぱい。どこかに別に臨時駐車場でも設けたのだろうか。
すると、山王十字路方面の新国道から、緑色のバスが曲がってきて、車寄せ付近(屋根が低いので中には入れない)で停車。
バスは秋田中央交通の路線バス。秋田営業所所属で2014年に導入された、中型ノンステップの日野レインボー2「10-85」。行き先表示は「秋田中央交通」。
車内はからっぽで、すぐに発車して、普段は走らない道を北進。突き当りの市役所東側の交差点を左折し、県庁第二庁舎前交差点方向へ向かった。
何らかの参列者を輸送する目的のバスで、まだ葬儀が終わっていなくて、待機場所もないので、いったん葬儀場を離れたということなんだろうけど、バスが自社の元社長・会長に別れを告げに訪れたかのように見えてしまった。

そういえば、葬儀場を経営する「へいあん秋田」は、秋田経済界を代表する辻グループの企業。その故・辻兵吉氏は、渡邉靖彦氏の前に秋田商工会議所会頭をしていたし、中央交通が多く導入しているいすゞ自動車の販売会社(秋田いすゞ)も辻グループ。
そういう密接な関係からすれば、葬儀場がここになったのもそういうことなんでしょう。ホテルなどじゃなく。


秋田では大きな企業の社長を退いて間もない人が亡くなったわりには、報道はさほど大きくなかった気もした。テレビではどこも伝えなかったはず。こんなもんなのかな。
日本経済新聞のサイトには、掲載されたのだが…
8月22日21時02分アップ
見出しは「渡辺靖彦氏が死去 秋田銀行取締役」。
中央交通会長でも、商工会議所前会頭でもなく、「秋田銀行取締役」という肩書き。
死亡広告が出ている通り、それも事実なのだけど、この段階ではそんなこと知らなかったから、戸惑った。
「会長を務める秋田中央交通との合同葬は9月4日…」と、葬儀日程のところで初めてかつ唯一、中央交通の名が掲載されるだけ。

日経新聞にとっては、もしくは東京の視点では、秋田中央交通(のような田舎の企業の経営者)や秋田商工会議所(のような田舎の経済団体のトップ)など眼中になく、東京証券取引所一部上場企業である秋田銀行(の一役員)こそニュースとしての価値があって重要ということなんだろうか。
東京と地方、こんなところにも温度差というか価値観の違いみたいなのが出てしまうようだ。

なお、「告別式は近親者のみで行う」とあるのは、26日の渡邉家単独の葬儀のことか。秋田では「告別式」は一般的に行わない。火葬に続く葬儀である秋田の風習を東京風に解釈した表現か。

【5日追記】故人は漫画家の矢口高雄氏(横手市増田町出身)と旧知だったらしい。年齢は同じようだけど、出身地や出身校は距離的につながりが薄そうで、どこで知り合ったのだろう。
その縁で中央交通が「三平バス」を導入したとか。現在は、多くの車両で外観は通常の緑の塗装に塗り替えられ、車内の座席だけの三平バスになってしまいつつあるけど。

【10月1日追記】秋田魁新報でたまに掲載される、県内外の著名な故人のエピソードを紹介する「追想 メモリアル」欄がある。県外の人は共同通信からの配信。
9月30日付では、いずれも7月に亡くなった中村紘子、大橋巨泉、秋元 貢(千代の富士)の3氏とともに、渡邊氏を「秋田商工会議所前会頭」として掲載。バス会社経営者としてのエピソードも多く触れられ、市営バス引き継ぎにも言及。
「会社では社長室を設けず、部下と同じ部屋に机を置」いていたそうだ。
高校から東京へ進学(秋田の企業経営者の子息ではたまにある例だが、この年代では珍しいかも)。
綱平氏は38歳とのこと。
コメント (2)
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