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光の柱を探しています。
音楽と食べ物と向こう側と二輪への偏愛を偏執的に記します。

胸底の黴

2008-09-29 | 向こう側

さんまを塩焼きにし、
さんまを飯に混ぜ込み、
さんまを酢〆にし、
口に運ぶ。
メディアプレーヤーオン。



ひだまり荘では、住人達が互いの笑いで互いを補強し合う。
超合衆国日本では、一人の少年が友の刃を抱き絶命する。

集まり離散するのが人の物語であり、
集まりっぱなし、離散しっぱなしの物語はそも物語ではない。
それはただの無責任な偶然とすれ違いにすぎない。
ひだまり荘も超合衆国日本も、
最初から離散を予定づけられているユートピアである。
そこには多くのまばゆく禍々しい集合があり、
その集合がまばゆく禍々しい分だけの、
見事な離散劇があった。

ユートピアに人は住めない。
高さがあろうが無かろうが、同じことだ。
「無い故郷」になど、どうやったところで住むことはできない。
ディストピアに集ったひとは、
たったひとつのことしかできない。
それはユートピアの遺棄である。
そして、最初から存在しなかった故郷の遺棄、という行為が意味するところとは、
つまるところ遠大なディアスポラである。

結局、彼らも彼女らも、
最初からどこにも集ってはいなかったのだ、
と心を認めなおした後に頭を上げるか下げるかして歩を進めるしかない。
その場所に集まったひとも、
その場所で笑ったひとも、
その場所で戦ったひとも、
その場所で泣いたひとも、
その場所をずっと眺め続けるだけだったひとも、
その場所で行った行為は、
その場所から別の場所へ至るための橋頭保だったと気づいた後では、
もうその場所に集まり続けることも笑うことも戦うことも泣くことも、
眺めることもあたわなくなるのだ。

だからこそ、その気づきには確固たる離散が必要になる。
ユートピアの遺棄を、
ディアスポラの始まりを祝祭と化すに足るだけの、
見事な離散劇が。

だからこそ、
ゆのさんは最後に「ただいま」といい、
カレンは最後に「ねえルルーシュ」とつぶやいたのだ。

いずれ離れ行く場所への帰属を確認するための言葉。
いまはもう無い集合を築いた死人へ問いかける言葉。
それはいずれも、
自分が今いるこの場所が、まぎれもない仮初の地であり、
到達への途上にあることを示す言葉である。
ここにずっととどまり続けることができないと分かっているからこそ、
最後に、ゆのさんとカレンは、自分がいるその場所への弔辞を手向けたのだ。
自分たちの集いと、別れを、
互いにとってきちんと有責なものにするために。
自分たちの集いと、別れを、
無責任な偶然とすれ違いに堕しせしめないために。



さんまを塩焼きにし、
さんまを飯に混ぜ込み、
さんまを酢〆にし、
口に運ぶ。
メディアプレーヤーオフ。

ひだまりスケッチ365、コードギアスR2鑑賞。
泣いた。
見事な終幕だった。




それにひっきゃえ魔法使いに大切だとか大雪だとか由井正雪だとかあの子僕が抱き枕カバーでダシとったらどんな顔するだろうとか意味の通らないかっこばっかつけたうすっぺらいよしなしごとをよくもまあいけしゃあしゃあと最終回ですかそうですかほーふーんそりゃあよござんしたようござんしたおいツネさん塩だ塩持ってきなこんな高さと高さを混同したみょうちきりんな高さにゃあねあたしゃこれっぽっちも用なんざありゃしないんd

あんまりアニメのことを悪く言いたくない。
言いたくないけど、
だめだろあれ。
だめすぎだろ。

原作は 原作の漫画はとってもいいのに。



秋なので浅草に行く。
米久で牛鍋を食べ、
浅草寺の煙を浴び、
伝法院通りでコーヒーを飲む。








空が少し高くなって、
いくつかのアニメが終わって、
急に気温が低くなる。


秋になっていることに気づく。
夏が去ったことに気づけなかったまま。


仕事仕事
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