本日はわがだんご3兄弟の通う小学校での公開授業研究会でした。
親的にはよーするに授業参観。
3人見て回って、しかもできるだけそれぞれの良い場面を逃したくない、なんて思うと階段を昇ったり降りたりが結構大変になったりします。
オヤジは我ながらなかなかうまく回って、ともやもたくみもしっかり発表してる場面を見ることができました。
そして今回、ひろきの教室には「固定カメラ」を設置させていただきました。
後から見て楽しむ、っていうのも目的ですが、残したいんですよね、資料として。
現担任K先生がもし転任されたら、次の先生に同じ授業のクオリティを求めるのは正直困難でありまして。
K先生の授業は、次の担任となる先生に限らず、ホントにたくさんの人に見てもらいたい。
一番大事なのは「ひろき目線」に立って授業を組み立ててくださること。
少なくとも、そのための努力を惜しまないでいてくれること。
けれど、今日見ていても、なかなかそれを他の人に理解してもらうのは難しい感じ…。
ひろきの授業見学に来られるのは、当然ながら他校で特別支援学級を担任しておられる先生が中心です。
熱心に見てくださっていて、それはもちろんありがたいのですが、授業を見て褒めてくださるのは
「授業」そのものよりも「ひろきの姿」という印象を持つのです。
特にキョーイクイインカイのエラい人なんかは、マイペースなひろきの様子を見て、
まあ『微笑ましい』とでも思ってくれるのか、笑って去っていきます。
これってある意味、障害児差別だと思うんですよね。
“ショーガイジが普通に授業を受けてるだけでホホエマシイ”、みたいな。
本来「授業」を「研究」する「会」のはずなのに。
「授業」の中身、ここに至るプロセス、K先生の長い試行錯誤とひろきの成長に対する信頼。
「5歳までに言葉の出ない自閉症児はほとんど一生言葉が出ませんね。」
小学校にあがる頃、何の統計を根拠にしたのか知らんが、近在の専門“屋”から言われた言葉。
それをいとも簡単に吹き飛ばしてくれた幼稚園の先生方、U先生、K先生。
長い時間が在っての、今日、この日の時間、この『授業』。
エラそうに『指導』に来られたセンセイ様はじめ、見てくださった先生方は
今日の授業の意味を理解してくださったのであろうか。
ご自身の担任しておられる子ども達のために役立てることを感じてくださったのであろうか。
あらためて、恵まれてるね、ひろき。
今のところ、K先生とU先生以上に、ひろきの生きる力を伸ばしてくれる小学校の先生を僕は知らない。
この授業が、どこかで、他の誰かの役に立ってほしいと心から願う。
その子が、今のひろきと同じように、たくさんの人に愛されて、自分らしくあるように。
な~んか、酔っ払ってるくせに、いや酔ってるからかな、カタい話になっちゃった。
明日はアジナだね、ひろき。兄ちゃんとともやのマツダスタジアム見学にも付き合ってあげてね。
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