田吾作シンドバッドの「日本のマスコミを読む」

朝日、毎日、読売、東京、茨城、下野などの新聞とNHKの報道を見ながら、現代社会について考えます。

この犯罪をどう考えるのか?

2012-08-19 19:31:32 | 日記

 しかし思うに、犯罪を犯した人間を対象にするのではなく、憲法で保障されている基本的人権と通信の秘密の保障に反する行為をしてい

る警察権力が、インターネットのハッキング行為という歴然とした犯罪行為を暴いたことを隠蔽するために、その人間の顔を監視カメラとつ

ながったコンピューターにデータベース化し、JRの駅の監視カメラや、コンビニの監視カメラに映った時点で、警察がそれを知り、追跡行動

に入るというのはどういうことだろうか?

 

 私は脳下垂体の異常があって、自治医科大学という病院に三年ほど前、二週間以上検査入院して、内分泌の専門家でも滅多に見ない

珍しい症状だと診断された。それ以降、年に二回の検査を続けているが、今回は六月の末に検査が入っていた。

しかし車を持っていない私はJRに乗らなければいけないので、どうしても監視カメラに映らざるをえない。その頃は、セブンイレブンに入れ

ば、ピーーーーという警報装置が鳴ったりして、明らかに監視が続いている状況だったので、予約をキャンセルせざるを得なかった。

 

だいたい病気を持っている人間が病院に行くのに、何で警察がくっついてくるのか?何か聞きたいことがあるのなら、いつも自宅にいるのだ

から直接来ればいいではないか?今は症状は落ち着いたものの、三年前は地獄のような日々を送っていたのだ。私は通常の生活に戻れ

る状態にするために必死だったのである。

 

 結局、電話で予約したキャンセルは、もう一度キャンセルして、直接病院に行った母に病院で予約してもらった。7月31日に予約を入れ

たのだが、結局その日を警察側は知っていた。電話の盗聴は容易だが、パソコンそのものを盗聴器にすることによる盗聴、あるいは、もし

かしたら、デジタルテレビかレコーダーを盗聴器にする方法があるとすれば、母が小さな声で「7月31日だよ」と言ったのを盗聴した可能性

は否定できない。しかし、警視庁公安部が自治医科大学のコンピューターシステムに侵入して予約日を知った可能性が非常に高い。

もちろん予約用のコンピューターからカルテにたどりつけるかはわからない。しかし、もしそれができるとすれば、国民一人一人の病歴や

極端な話DNA解析の記録などがあれば、警察権力が恣意的にそれを知ることが可能だということになる。

 

 デジタルテレビとレコーダーに関しては、B-CASカードのハッキングがパソコン同様できる。最初にそれを知ったのは、2010年の8月

16日のニュースウオッチ9の番組の最中だった。その番組では、戦前の特高警察の大阪本部を取材し、井形正寿という89歳の元、特高

警察官に当時の治安維持法の元で、特高警察がどのように活動していたのかを聞くという、特高警察の流れを汲む警視庁公安部から見

れば相当頭にくる危険な番組だった。その番組はレコーダーで同時に録画もしていたのだが、その特集が終わってしばらくすると画像が

乱れて映らなくなった。別に大雨や雷がなっていたわけではない。何らかの理由で電波の出力が下がったということはあり得る。

番組が終わってから、録画しておいたものを再生してみると、レコーダーに録画された画像は全く乱れてはいなかった。

 

 これはこの番組内容に怒りを覚えた警視庁公安部の何者かが、テレビ側のB-CASカードの番号に向かって何らかのアタックをしてきた

のだと考えられる。レコーダー側は別のB-CASカードのナンバーだから、アタックの影響は受けなかったのだ。

このことに驚いた私は、元ニュースウオッチ9のキャスターの柳澤秀夫氏とこの問題と話したいと、FAXを送った。FAXを送ったことが警察

に知られないように個人のものは使わなかった。

 しばらくするとNHK側から電話があって、広報の人らしき人が話し始めた。この問題について柳澤氏と直接電話で話し合うことはでき

ず、取りあえず水戸にあるNHK宛に文書で送って欲しいということだった。こんな大きな問題に関してNHK水戸放送局が何も判断できる

はずはないのだが、地方の放送局段階でこの問題を隠蔽し、処理したいと考えているように思えた。

その番組を録画したレコーダーは、二ヵ月後の10月19日、やはりニュースウオッチ9の番組を録画した直後に故障し、録画とダビングが

できなくなった。

 これは一種の証拠なので、故障を治さないでそのままにしておいた方がいいと思って、結局買ったコジマ電気の5年保障が切れる、今年

の6月20日になっても迷った末、修理には出さなかった。結局、再生だけしかできないまま、そのままになっている。

 

 私はニュースウオッチ9宛の手紙で、このDVDレコーダーを早く持って行って、メーカーと一緒に良く調べて欲しいと何回か書いたが、も

ちろん返事はなかった。総務省と放送局の主導で始めた、完全地上デジタル化にこんな致命的な欠陥があることを、国民に知らせるわけ

にはいかないだろう。

 

  結局のところこの二年前の時点でもNHK側が何か問題がありそうだと、誠実に対応していれば、事態は解明の方向に進んでいただろ

う。自分たちが責任を負わないための先のばしは延々続き、常時、私のパソコンはハッキングされ、当時このことを怒って告発していた

ヤフー将棋のチャットで色々発言すると、バッファローのアタックブロックが点滅し、攻撃したり、無言電話をかけてきたりの状態が延々続い

た。そのヤフー将棋は何の予告もなく、突然消えてしまい、多くのユーザーを驚かせた。ヤフージャパンにも警察側は何らかの圧力を加え

たのかもしれない。この頃のことだけでも、二冊くらいの本が書けるくらいの異常極まりない事態だった。

 

 しかし、去年の六月からアメーバブログで「牛山馬男のぶらぶらブログ」というのを書きはじめて、ヤフー将棋のチャットよりは、この状況

を説明しやすくなった。とは言っても、書きたいこと、書いておくべきことの10分の1も書かないようにセーブはして書いてきた。

この問題には実に色々な側面が含まれていて、たぶんさまざまな専門家や、一般市民を含めて考えないと、問題の真相は見えてこない

だろう。

 

 だいたいの内容は家でとっている毎日新聞社と東京新聞には話したが、この二社は話は良くきいてくれたものの、うちでは無理だろう

という反応だった。

 他に産経新聞と読売新聞にも電話してみたが、これは全くひどい応対で、話を聞く気すらないような話しぶりで、日本の新聞社では全く

無理だなと判断した。一番この事態をよく知っていて、全体的な状況がわかっているのはNHKだが、残念ながら数十通の手紙と、アサイ

チ宛に出した、FAXに関しては未だに何らNHKの見解なり、問題解決への姿勢を見せてはいない。

 

 物的な証拠なら、プロバイダーの通信記録を丁寧に調べれば、あちこちに証拠はある。ただそれをするのが日本の警察だと、果たして

ちゃんと証拠を隠滅しないで調べられるのか?第三者的な国際機関に調べてもらいたいものだ。

私個人としては、NHK自身で解明できないなら、海外のメディアや、国際的な人権団体と連絡して解明してもらいたいものだ。

NHKの政治的な立場からは難しいのだろう。少なくとも私個人にこのような大問題を解決させるのは無理だ。このような問題を背負う精神

的な負担は普通ではないが、このような問題を個人に背負わせることに関しては、NHKは何とも思っていないかのようだ。

 

 今まで数年以上、報道機関としてやるべきことをせず、こうやって私が文章を書いていられるのは、単に私が直観力に優れていたこと、

ただその一点によるものだ。

でなければ、とっくに捕まっていたか、殺されていた可能性すらあった。

 

さて、この問題が冤罪事件に発展するのか、日本の未来を開いていくのかは、NHKの「個人」にかかっている。

組織の人間としては、NHKの人間は何一つ、事実を語ろうとしないからだ。

私としては、この問題に関する「個人の声」が聞きたいのだ。 

NHKの公式見解などを聞いてもしょうがない。ずっと偽ってきたのだから・・・・・ 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


東京新聞の監視カメラ問題

2012-08-15 22:35:06 | 日記

  現在の監視カメラを使っての警察の監視の問題に関して、極めて不十分ながら、昨日の東京新聞が一面で取り上げてくれた。

取りあえずここまでは裏付けが取れたのだろう。

 

 とにかく不十分ながらも国家権力の監視の問題を取り上げる姿勢があるのは、東京新聞だけなのでうれしくはある。

NHKは、その気になれば比較にならないほど、国民の利益になる番組を作れるだけの情報を持っているが、報道する気はないようだ。

 野田総理は、NHKがこのような情報を持っていることを知っている。誰が報道の倫理に反して、特定の政党の政権維持に利するような

情報を教えたのかは、ここでは書かないでおこう。

 

 警視庁公安部のハッキングや盗聴の情報を、警視庁のあるルートを通して手に入れて、どんどん証拠を積み重ねながら、同時に警視庁

公安部の大犯罪を告発できるのだろうか?NHKと警察機関の関係は非常に特殊に歪んでいるように感じられる。報道機関が警察の犯罪

を摘発するのには、相当の覚悟と勇気が必要であり、日本の警察の風土を考えるとほとんど不可能に近いのはある程度理解できるにせ

よ、NHKのこの問題に対する態度はあまりに無責任で、不遜だったと思う。

 ニュースウウォッチ9宛に昨年の、5月あたりから数十通の手紙を送り、話し合いの場所を設けようとしたが、NHK側はただの一度も応じ

なかったし、未だに一通の返事もよこしてはいない。内容にある女性キャスターに対する恋愛感情も相当含まれていたせいで、対応の仕方

が難しかったことは確かにあっただろう。

 しかし私から見ると、一度でも私の要求に応じれば、自らに責任が発生すると考えているために行動しないよう見える。仮に、思い立った

その日に、私の自宅に直接来ればこんな事態にはならなかったろう。ただ一度、誰でもいいから自分がこの問題に関して、話を聞くなり、取

材してみようと思い、体を動かせば事態は全く別のもになっていたはずだ。今までが今までだけに、どこまでNHKを信用していいのか、悩

んでしまうというのが正直な気持ちだ。

 

  戦争の悲惨さを報道する番組を数千作っても、今、目の前で進行しているファシズムには目をつぶるNHKは、このままでは過去と同じ

過ちを犯す可能性が高いと、私は見ている。未来を見据えた公共放送の使命を果たしてもらいたい。

 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081402000082.html

 

東京新聞あたりが日本のマスコミの限界でしょう・・・・・・・

でも一面で大きく取り上げる見識は素晴らしいですね。

 国家権力の「監視」の問題は、監視カメラだけではなく、インターネット上のハッキングや、主に携帯電話を中心にする盗聴や、メールの

監視などを含む、もっとトータルで大規模なもので、その全体像を解明していく必要がある。

スマーフォンが盗聴器や監視カメラになってしまう例は、NHKや読売新聞が報道したが、パソコンそのものを盗聴器化する手法に関して

はまだほとんど知られていない。

 

 

  

 


NHK 「情報LIVEただイマ」を見て・・・・・

2012-06-15 23:21:49 | 日記

 NHKが把握している、監視カメラ(番組では最初防犯カメラと言っていた)が、に関する様々な知見を総合した時に、監視カメラというものを

どういう視点で報道するのか?この番組は初めて見たのだが、監視カメラに限らず、インターネットにおける国家権力によるハッキングや、パ

ソコン自体を盗聴器に変える手法の盗聴などを数年以上経験した人間にとっては、さすがに今日の番組における監視カメラの取り上げ方に

は、怒りを感じた。

 原発の安全性の根拠がないのに再稼動する大問題と、実はなんら変わることのない深刻な問題をはらんでいるのだが、自称科学の伝道師

とかいう教授に、「別に自分が悪いことをしていなければ、気にする必要はないですよ」などと、にこやかに言われて、この問題の深刻さを知っ

ているキャスターが、すぐにゲラゲラ笑っているのを見ると、さすがに狂っていると思わざるを得ない。

 

 17年間、監視カメラがゴロゴロある場所を堂々と歩いていた、高橋容疑者が捕まったのが、警視庁が提供した監視カメラの画像をどんどん

公開したことによることと、法的に全く整備されていない状況で、勝手に監視カメラが個人のプライバシーを監視していくことは全く別種の問

題だ。NHKはこの問題に関しては、国民が知っておくべき情報を相当持っているにも関わらず、主に警察との関係の中で、一切、警察権力と

監視の問題を取り上げようとしないのは、NHKが置かれている政治的な位置と関係がある。確かに犯罪事件は報道機関にとって重要な

ソースなので警察が抱える問題に触れたくないのはわかるが、国民がその情報を共有すべき問題に関しては、本来は黙っていてはいけ

ないはずだ。

 

 これは、NHKだけではなく、日本の大手新聞社も同様だろうが、。少なくともこの手の問題に関しては、ある程度のしかるべき知見のある

人間にコメントさせる責任があるだろう。知らなければしょうがないが、知っていて黙っているのは、報道機関としては何らかの利害関係の

中で、意図的に報道していないと思われても仕方ないだろう。

 

 この問題に関しては私が実験台になって、すいぶんと色々なテストを繰り返して、NHKは報道機関としてのそれなりの見解を持っている

はずだ。にもかかわらず、原発並みの深刻な問題を扱うのに、あまりに安直な姿勢で取り上げたことは、さすがにNHKの鉄仮面の一面を

見せられたようで、不快だった。取り上げるならもっと多角的で公正な視点から、監視カメラのメリットとデメリットを掘り下げなければ、視聴

者は安易に信用してしまう。番組で嘘や間違いを言ったわけではないが、本来報道すべき重要な論点を一切無視した点においては、一種

の詐欺的な行為といわれても仕方ない。この種の問題を深く掘り下げることなしに、安易な安心感だけを報道機関が国民に与えようとする

なら、多くの国民が自分が潜在的に抱えている脅威を意識することなく生きていくことになる。その方が、NHKにとって都合がいいというな

ら、もはや時代は戦前と変わらないものだといえると思う、

 

  この問題が、大越キャスターがニュースウオッチ9のキャスターになる前からわかっていて、今なおNHKがこの問題をどうしたいのか、

一向に見えないのは、NHKという報道機関が抱える特有な問題なのか、日本のマスコミ全体が似たようなものなのだろうか?

仮に外国の報道機関だったら状況は違うのかを考えると、正直言って私には判断はつかない。しかしながら、ジャーナリズム全体が黙殺

するということは、先進諸国ではないのではないだろうか?ニューヨーク・タイムズの記者がこのような事実を把握しながら、取材し報道し

て報道しないということは、私にはないように思われる。

 

        


 「狂気を笑うか、狂気におののくか?それとも鈍感力が最高か?」

2012-05-18 22:06:55 | 日記

  福島第一原発の事故で、精神的にうつ状態に陥り、ガソリンをかぶって自殺した、福島県川俣町の女性の遺族の夫が、東京電力を控訴

した。福島第一原発の事故による自殺者は、13人だそうだが、東電に対して、その法的・社会的な責任を問う形で、個人的に訴えを起こす

のはこれが最初の例だという。

 夫の幹夫さんの提訴の理由は、「妻を失った悔しさと、ただの自殺者で終わらせたくないという思いと、泣き寝入りしないで堂々と戦いたい」

というものだ。今回の原発事故の経緯がこれほどの関心を呼び、世界からの同情も集まっているのに、「泣き寝入り」しなければならない、と

被害者が言わなければならない状況があるとすれば、全くもって不条理としか言いようがない。

 

 誰がどう見ても、全責任は東京電力にあるのに、続々と訴訟を起こす人が現われそうなものだが、これだけの被害を受けて全人生を滅茶苦

茶にされても、裁判が長引く影響を心配したりして、訴訟を起こすことを我慢したり、ためらっている人が多いというのが現状なのだろう。

東電や政府の対応があまりにも遅くてお粗末だったせいもあるが、この訴訟をきっかけに他にも訴えを起こす人が増えてくるかもしれない。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120518/k10015226301000.html

 

 前回の記事に関連して言えば、NHKは報道機関として、このような事態の中で、数土氏を東電の再建計画に社外取締役として参加さ

せると言うのでであれば、どこから批判されても大丈夫だという確信があるのだろう。普通の常識では考えられない度胸というか図太さで

あり、さすが天下のNHKという他はない。自分で自分の首を絞めるような馬鹿馬鹿しい人事だと考えるのが普通だろう。

 

  野田内閣が推し進めようとしている、税と社会保障の一体改革に関して、個人的に一番関心があるのは、それを実現するのに必要とさ

れる、共通番号制に関してだ。共通番号制を実現するための第一回の会議と第二回の会議は、一年半位前にニコニコ生放送で見た。

 

 第一回の会議で中心になっていたのは、今の玄葉外務大臣であり、自民党の石波茂氏なども賛同の意を表していた。二度目は経団連

が中心になって、共通番号制についてどうでもいいような(少なくとも私にとっては)議論が展開されていた。

 

 共通番号制を取り入れることによる、情報漏えい、プライバシー侵害の重大な危険性に関しては、防衛オタクと言われる石波氏の議論を

聞いても、現状の恐ろしさをまるで理解しない幼稚な認識だった。情報漏洩を防ぐような第三者機関の設置が重要だとは言っても、どの程

度の予算を投じて、ある程度十分な防御機能を持つ、セキュリティーシステムを構築できるのか、ほとんど誰も議論していないのではない

か?どこかで議論しているのかもしれないが、少なくとも主要新聞やNHKの報道を見ても全くわからない。

 

 私個人としては、共通番号制におけるセキュリティーの問題は、原発問題と同じくらい重要な問題と考える。昨日のNHKのニュースウオ

ッチ9に野田総理が出演し、相当長い時間にわたって、大越キャスターが真剣な議論をして、その勉強量には感心したが、このような実は

後になって重大な問題だとわかるようで、今の段階でその重要性が良く判断できないような問題に対して、一般国民に関心を持たせるよう

な注意を促すのはマスメディアの重要な役割の一つである。大越氏は実はこの問題に関しては相当考えているし、情報も持っている。

差しさわりのない程度でも、少しこの問題に関して触れて欲しかった。

 

 いつだったか、朝日新聞の社説で共通番号制について、通り一遍の解説がなされた社説があったが、実際のところ、共通番号制とセキュ

リティーの問題の深刻さはそんな程度ではなく、完全なセキュリティーシステムが構築できないとすれば、とてもではないが怖くてできない

ほど、ハッキングの技術は進んでいる。

 

 新聞でもNHKの報道でもそうだが、巨大な企業や官公庁に対するサイバーテロの危険性はある程度指摘しているにせよ、個人への攻

撃やインターネットを使った人権侵害に関しては、意図的にと思えるほど扱っていない。ほとんど無視しようとしていると見えるほどだ。

特にNHKはこの問題に関して、他のメディアよりはるかに多くの確かな情報を保有しているので、この問題に関して将来何らかの重大な

事件が起こった場合は、マスメディアの中で最も糾弾されるのは、NHKだということになると思う。マスメディア側の責任としては

NHKがすべてかぶってくれるから、他の報道機関は一切心配する必要はない。それくらい突出してこの問題に関する情報は、

NHKだけが集中的に持っている。

 

しかし、どんなマスメディアも解明するのが困難で面倒である、この問題に関わらないで、自分たちの保身と安全のために、東電の

再建計画に数土氏を就任させようとするのであれば、私から見ると報道機関としてはほとんど狂気に近い位置にいると思う。その

狂気を狂気と感じていないように見えるのが、私には理解できないし、恐ろしい。

 

私の方が狂気であって欲しいとおもうばかりだ。

 


「静観」からの生還

2012-05-16 21:58:02 | 日記

 昨日、朝日新聞の一面で、東京電力の新しい経営陣にNHK経営委員長の数土文夫氏が就任することについて触れて見たいと書いた。

東京電力の無責任体質による、福島第一原発の事故を究明し、今後も検証していく義務を背負う報道機関の経営委員長が、東京電力の

社外取締役に就くということは、普通の常識から考えてもあり得ない。

 NHKは原発事故と東京電力に関する取材・報道を今後も続けていくつもりならば、敢えて自らの経営委員長を東電の再建に関わらせる

ということは、通常ではないはずだ。東電の経営再建について、NHKの数土氏が最適であり、他の候補者にはない特殊な条件を持っている

場合は、別であるが・・・・・。

 そのような事情がない限り、日本を代表する強い力を持つ報道機関の内部で、その経営委員長を新生東電の社外取締り役に就かせること

は、批判を受けることは当然だから、その批判を受けてもなお、数土氏を東電の社外取締役に就任させるメリットが、NHKにあったと考える

のが、普通の考え方だと思う。

 この日の朝日のメディア論の識者や、東京新聞、毎日新聞でも、このような人事が行われることが、NHKの原発報道の公正性を疑わせた

り、NHKの原発報道が何らかの影響を受けるのではないか?と疑われること自体が問題視されているが、そのようなことはNHK自身が

どの報道機関よりもよく知っているはずだ。

 

 NHK内部で強い反対意見が出なかったはずはない。もし、強い反対意見が出なかったとしたら、NHKは数土氏を東電の経営に参加さ

せることによる批判を受けるデメリットよりも、数土氏を東電に関わらせるメリットが大きいと判断したということだ。

NHKの外部の人間にとってそれを判断することはできない。適当な推測なら言うことも出来るが・・・・・・

 

 いずれにせよ数土氏は、国民に納得できる形で、引き受けた経緯をしっかり説明する必要がある。たぶん、判断力の高い国民は釈然と

しないものを感じる説明になりそうだ。

 

 最も問題なのはNHKの内部の一人一人の人間が、このような人事が行われることについて、報道に携わる人間の一人としてどう考える

かだ。「NHKというのはそういう組織なんだ」と思考停止するようでは困るのだ。少なくとも「そのような組織」の一員として、国民のために

どうのような報道ができるのかを、自らに真剣に問えないようでは、国民から受信料をもらう資格などないということだ。

 

 数土氏の就任の内部事情に関しては、良く内部事情を知ってるNHKの職員が語るのが最も適当だと思うので、私が勝手な推測をする

ことは止めておく。そのうち内部の誰かが話すようなことがあって、私が何らかの意見を述べることによって、公益性があると判断すれば

思うところを書いてみたい。

 

 朝日新聞が言う、NHKの「静観」とは静かに深く自らを省みることであって、無責任性を伴った無言の状態ではない。

 

 

 

追補

 16日の朝日新聞で、自民党の総務部会の幹部が、「兼任する場合は衆参の総務委員会で理由を説明すべきだ」とNHK側に伝えてい

たということだ。数土氏が就任することになれば、国会の場で国民にその理由を説明するのは当然である。

 メディア法の立教大学教授、服部孝章氏が言うように、「NHKは報道機関であり、その最高意思決定のトップが、いま最も重要な報道

対象である企業の経営陣の一角に加わるのは不見識極まりない」というのが、常識的な見解だと思う。

 それでもなお数土氏が東電の社外取締役に就任すると言うのであれば、そうすることの理由を国民に納得できるように説明しなければ

ならない。そうできないようなら、就任するのは辞退した方が賢明だと個人的には思う。

 

 


「それでもお前はやっただろう」の醜悪から逃れるために

2012-05-15 17:35:09 | 日記

 先日書いた、小沢一郎の無罪判決に対する控訴に関して、13日の東京新聞で、小町谷育子という弁護士が、非常に素晴らしい論考を書い

た。「無罪は無罪の重み」という題名。

 

 小町谷氏は、今回の小沢一郎に対する控訴は、刑事手続きの在り方や、報道に根本的な疑問を投げかけたものだと書き始める。

この控訴に対して、刑事被告人の立場が続くことへの問題性をクロースアップした記事が少ないことに着目し(主要な新聞のことだと思

うが、「強制起訴の事件を特別扱いする必要はないという識者の意見はわかるし、もし別扱いにするなら指定弁護士は控訴できないという

制度設計にすべきだった」と述べている。

 

 新しい検察審査会制度で、小沢元代表が強制起訴されたのは、従来検察だけが独占してきた起訴権限を市民に広げるという意味で、

評価できるものだが、今回は検察官役の指定弁護士の独断によって、控訴の判断が行われた。5月10日の東京新聞の社説によれば、

検察でさえ、控訴は高検や最高検の上級庁と協議して行うものだという。

 

 今回は指定弁護士の独断で、小沢元代表はまたもや刑事被告人の立場に置かれることになった。小町谷氏は、今回のように市民が

強制起訴の手続きに関わるような事件を機に、「すべての無罪判決に対する検察官控訴を認めない制度を採用することの当否を検討

してもいいのではないのか」という、大胆な提言をしている。

 

「三審制を維持するのであれば、強制起訴の事件と他の事件の間で、控訴の当否を左右するような違いがあるのかどうかの議論を深めて

いくべき」であり、そのための材料を提供するのには、新聞のような詳しい解説を掲載できるメディアがふさわしいというのだ。

 ほとんどのメディアは、「無罪判決がでたのだが、政治家としての倫理的・道義的な責任は残り、限りなく有罪に近いグレーである」という

論調だった。では、他の裁判官だったら、この無罪判決は出なかったのだろうか?

小町谷氏は、「別な裁判官になれば、証拠が簡単に変わるような意見が出てくるのは、裁判官の事実認定を軽視しているとしか思えない」

と批判している。

 

 報道の役割とは、「無罪判決が出たことの重みを感じ、冷静に分析して、どこが決め手になったのかを分かりやすく市民に伝えることが

まず第一の役割である」というのは極めて良識的でまっとうな意見だと思う。

裁判で「白」という決着がついたのだから、まずはその事実を冷静に受け止め、分析していくといことだ。むしろ東京新聞の社説で述べられ

ているように、「白か黒か」を判定した一審の判決が出た場合、その判決を尊重するような明文規定を設けるべきなのだ。

 

そうでないと、今回のように検察官役の指定弁護士が、独断で控訴し、延々と刑事裁判が続くことになってしまう。被告人になった小沢氏

の精神的な負担や、総裁選に出られなくなったことなどはあまりに軽視され、控訴に乗じるように、マスメディアまでが、「それ見たことか、

やっぱり黒なんだ」というような論調を展開するのは、まったく異常だと思う。

 

 小町谷氏の論考は、弁護士の立場から、今回の控訴と報道のあり方の問題をクリヤーに分析した優れた記事になっている。

 

 

 

  続いて、東京新聞では、5月13日の社会面に、東京電力の社外取締役に、NHKの経営委員長の数土文夫氏が就任することに

なったという記事が掲載されていて気になっていたが、今日の5月15日の朝刊の一面で朝日新聞が大きく取り上げた。

 今日は沖縄返還40周年記念だが、大きな問題なので、まずはNHKの経営委員長が、東電の社外取締役を務めることについて

思うところを述べたい。

 

  

 

 

 

 


「それでもお前はやっだだろう」の醜悪、再び・・・・・

2012-05-11 18:44:50 | 日記

 昨日は、栃木県内にあるかかりつけの病院に行った。私は脳下垂体の甲状腺への指令系統に問題があり、TSH分泌不応症という病名だ。

検査をするとバセドー氏病に似たような検査結果がでるのだが、バセドー氏病で本来低く出るはずのTSHの値が高く出るのが特徴で、

大学病院でも滅多に来ない症状である。数十年、大学病院で内分泌を専門とし、甲状腺の病気に詳しい専門医でも、「今まで診たうちで、

君が二人目」だということだ。その異常に高いTSHの値を下げる薬は今のところ開発されていない。漢方薬のあるものを飲むと、症状が楽に

なるので飲んでいる。

 バセドー氏病に多い、動悸や発汗などはないが、ただ疲れやすい。特に四月、五月は不調なことが多く、頭痛や不眠を伴う。だからこの季節

は、うまく乗り切りたいと思っていて、去年は大過なく済んだが、今年はかなりきつい。かかりつけの医者はこの症状に精神的なストレスがか

かると悪化すると思うといので、ほがらかにのんびりとしていたのだが、現実がそれを許さない。普通の人でも参ってしまうような、極めて

重大な問題を背負わされているのに、本来それを解明すべき職業に就いている人たちが何もしないのだ。

 

 昨日は病院から出る頃は雨が激しくなり始め、30分ほど歩いたらずぶぬれに・・・・それから、先日書いた、読売新聞のサイバー戦争に

関する論考を書いた、ジョセフ・ナイの「ソフト・パワー」と「スマート・パワー」がないか本屋で探してみる。ジョセフ・ナイのサイバー戦争に

関する視点がどこから出ているのか?さらっと立ち読みでもいいから知っておきたかったのだ。どうも栃木県内の本屋には置いていないよ

うだ。その本屋には、NHKニュースウォッチ9のキャスターである、大越健介氏の「ニュースキャスター」(文春新書)という本が置いてあ

ってパラパラと立ち読みしてみる。テレビで感じる人柄と、書き言葉で文章にした時に感じるものにあまり差はなかった。

 

  この本の中に政治部の記者時代に、タクシーの運転手にその態度の大きさを諌められた話が載っているが、テレビで見ていても今でも

その傾向は感じる。ただ大越氏の場合は根が陽性なのか、ときおりピリピリしてやや不遜な感じがする場合も嫌らしさのようなものはない。

ただ、家庭生活でそういう大越氏の態度に奥さんが体調を崩したという話は、興味を引いた。

 

 その人間が自分のネガティブな部分を語る時は、その人の人となりが良く出るとも言える。語っている内容より、どのうな語り口でその

失敗談なり、不幸な経験を語るかで、人となりは出るものだ。ざっと立ち読みした印象では、政治部の記者としてはもっとドロドロした、

表沙汰にはしたくないような体験はかなりあったはずだが、そういったものは捨象されて、たとえば井上あさひさんを「あさひさん」と名前で

呼んだことに対し、視聴者から「セクハラだ」という指摘があったというようなレベルで、自身の印象に残ったネガティブな体験が書かれてい

る。NHKを代表するキャスターとして、新書という形態の中で、自分というものをどう書いていくかはなかなか難しいかもしれない。現在進

行形の問題や、NHKのジャーナリズムとしての問題点を現時点で書くのは、やはり差し障りがあるだろう。

 

 ただ、今後、警視庁公安部のインターネットを使った情報収集と、監視の問題、それに伴う人権侵害の問題や、情報社会全般に及ぼす

影響について、NHKが真摯に受け止め究明していくつもりがあるとすれば、大越氏の存在は非常に重要なので、彼がどういう人間なのか

を知るために、立ち読みでなく、よく読んでおきたい。

 

ただ、その本の隣りに、精神科医の香山リカの「真面目すぎる生き方」が逆に弊害や予期せぬトラブルを生むというような本が置かれてい

た。それを立ち読みしながらふと思ったのだが、私が問題にしている極めて重要な問題でも、「硬直した真面目さ」だけで対処しようとする

と、予期しないとんでもない結果につながっていくことはあると思う。大越氏も井上あさひさんも、いい意味で真面目な方だとお見受けする

ので、そのような陥穽にはまらないような、一種の精神的なゆとりや柔らかさは必要になるだろう。

 

 この日は、小沢一郎の裁判に関して、検察官役の指定弁護士が、驚いたことに控訴した翌日だったので、病院に行く時に朝日、

読売、東京新聞を駅のキオスクで買った。我が家では、親の代から数えると70年近く毎日新聞だ。何度か変えてみたことはあった

が、結局は毎日新聞に落ち着いている。

 

 こともあろうに朝日と読売は今回の指定弁護士の控訴のついて、社説で何も書いていない!事の重大さに驚いて今日の新聞で

書くつもりなのかと思って待っていたが、朝日も読売も社説では今回の控訴については何も書かなかった。これは言ってみれば、

新聞社としては今回の控訴については、書く能力がないか、あるいは書く能力はあっても書くと、後々面倒なので書かない方が

無難と判断したと受け取られても仕方ないだろう。

  

 これほど大騒ぎした裁判で、「故意や共謀は認められない」として小沢一郎を無罪とした東京地裁の一審判決に対して、指定

弁護士の三人が「共謀無罪には誤認がある」などというわけのわかならい主張をし、「既存の証拠でも判決の誤りは指摘できる」

と主張して控訴したという、日本の司法上でも極めて異常な事態に関して、新聞社が社説で何も書かないなどというのは、もはや

ジャーナリズムとしての責任を放棄したに等しい。

 

  読売は「編集手帳」で、歌人の山中智恵子の、「夕空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へ」とやという歌を使って、

小沢一郎は一審で無罪を勝ち取ったはいえ、これから青空の井戸に耳を澄まして、自らの行く末を思えというふざけた文章を書いて

いる。濁りきった井戸はいったいどっちかと怒る気も起こらない腐敗した新聞社のこの裁判に関する見解だ。常識で考えてもこんな

控訴は司法権力を乱用しての、個人の政治家を葬り去るための、私刑にちかいものだろう。これはもはや特高警察が捕まえて、思

想検事が裁くという、戦前の暗黒時代に逆戻りしたかのようだ。

 読売新聞、さすがに盗作した作品に「読売演劇賞」などという賞を与えて賞賛する狂った新聞社だけのことはある。この事態の怖さが

見えないんですかねぇ・・・・・。

 

 社説で唯一読むに値するまともなものは、東京新聞だけだった。

一審判決で「故意や共謀は認めらない」と判断したということは、そこで「白」という決着はもうついたわけで、一審が無罪ならば、

国家権力が強大な操作権限をフルに用いて有罪を証明できないならば、それ以上の権力行使は抑制すべきだという基本的な

考え方に基づくべきだ、と述べている。「看過できない事実誤認」が理由だというが、検察の捜査報告書は虚偽の事実が記載された

ものであり、どんな具体的な材料で一審判決を覆そうというのか、「むしろ白か黒かを判定した一審判決を尊重し、それを歯止め

とする明文規定を求めるべきだ」と述べる、東京新聞の社説は、どう読んでも良識があって正しい社説だ。                          

 

  今回の控訴が、「市民感覚をふまえた判断」などとする毎日新聞の社説も、基本的なスタンスが狂っている。社説でこういうもの

を書きながら、今度は夕刊で今回の控訴をおかしいと考える人たちの意見も載せて、バランスがとれているなどというのは、新聞社

の態度としてはもはや死んだに等しい。それでもちゃんと書くだけましであるが・・・・・・

 

 朝日や読売は社説すら掲載しなかったのだから、論外である。

少なくとも小沢問題に関しては、週刊紙やインターネット、日刊ゲンダイのほうが、それぞれの癖はあるにせよ、真剣に事実を究明

しようとしている。新聞の記事で小沢一郎を考えるのは精神衛生上、非常に良くない。

 

 さて昨日、一番の大問題だったのは、ジョセフ・ナイの本を探そうと東京に行ったとき、駅の監視カメラによる人物特定によって

私服警官に尾行されたことだった。私は何も犯罪を計画しているわけでないし、政治的な活動をしているわけではない。

ただ、警視庁公安部が密かにやっている、インターネット上のハッキング行為、電話やメールの盗聴、監視カメラをトータルに用いた

個人のプライバシーと人権の侵害の事実を指摘しているだけである。

 

  この事態について一番情報を持っているNHKがどう考えているのか知りたいものだ。

  「見ざる」「聞かざる」「言わざる」で、私一人に事態を解明してく責任を負わせるつもりなのだろうか?

  はっきり言って、それは一人でやるのは大変な精神的な負担であり、困難な作業なのだ。

  職業的にこの仕事を「要請」されている人たちが何も動こうとしないのは、どう考えたらいいのか?

  警視庁が話し合いの機会を持つつもりがあるのなら応じるつもりだ。

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 


5月6日読売新聞と、今日のNHKニュース7について

2012-05-08 16:58:42 | 日記

 一昨日、茨城県内のつくば市と栃木県の真岡市・茂木町を中心に竜巻の被害があり、相当な被害が出た。今日になって我が家から3キ

ロくらいの場所にも被害があったのを知り、怖くなった。大震災の地震で我が家の屋根の瓦が壊れ、父と屋根に上って素人の応急修理をし

たままになっている状態なので、あんな竜巻が来たら、こんなボロ家はひとたまりもないからだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120508-00000035-mai-soci

 

 竜巻が通る場所が数キロ違っていたら、家族全員お先真っ暗で、今日はお通夜みたいだっただろう。

他人の不幸や苦痛を自分のことのように感じることは難しい。しかし「他人の不幸は蜜の味」という表現もあるように、我が家が壊れたとしたら

喜ぶ人間は確かに存在する。

 

 もし、我が家が竜巻で滅茶苦茶に壊れていたとしたら、最も喜ぶのは警視庁の公安部の連中だろう。我が家に数台あるパソコンとルーター

が壊れてデータがなくなったり、インターネット回線が使えなくなれば、私はすぐに不利な状況に追い込まれてしまう。不審な壊れ方をしたので

証拠物件としてそのままにしてあるレコーダーも二台ある。

 

 私はこの件に関して、NHKのニュースウオッチ9のある特定の人間宛の手紙をすでに数十通送っているが、返事は今のところ一通も来

ていない。これは総務省と放送局(特にNHKの役割は大きかったと思うが)が中心になって進められた、「完全地上デジタル化」とも関わり

があるので、私としてはNHKがこの問題をどうとらえるのか、今後に及ぼすような問題があるとすればどのような対応を取るつもりなのか

気になっている。私の出した手紙は、ニュースウオッチ9の特定の個人宛で出しているので、NHK側としては回答する必要はないと考え

ているのかもしれない。NHKの会長宛に、正式な形式を取った質問状の形をとって、手紙を出せば回答してくれるのかもしれない。

 

 正直なところ、私はそういう形式を取っても、NHKは誠意ある解答なり、調査や取材をするかどうかは、かなり疑問に思ってはいる。

NHKという報道機関の触れて欲しくない部分、隠しておきたい部分に直接関係してくる問題だからだ。

 

 ただし、私が送った手紙には警視庁公安部の問題以外にプライベートな感情が多く含まれていることは、はっきり明記しておく。

そうでないとこの事態の本質が見えなくなってしまうからだ。プライベートな感情が大きな比重をしめていることが、事態をややこしくした

ことは、確かな事実だと思う。 

 

 さて、NHKは今日のニュース7で、サイバーテロを防ぐための、「正義のハッカー」について特集した。NHKはすでにニュースウォッチ

9や、BSでもホワイトハッカーや、イランの核施設が何者かが作ったウィルスによって攻撃され、損傷を受けた「スタックスネット」について

も詳しい特集番組を作っている。サイバーテロの問題に一番関心を示しているのは、私の知る限りNHKだ。ウィキリークスについて、「クロ

ーズアップ現代」でジュリアン・アサンジ本人に取材して紹介したのも、たぶんNHKだけだし、BSでも特集があった。朝日ニュースターでも

上杉隆が紹介していたが、ジュリアン・アサンジ本人に取材できる能力があるのは、たぶん日本のマスコミではNHKだけだ。

サイバー空間の犯罪に関して、最も正確で深い情報と見識を持っているのは、間違いなくNHKである。

 

 一方、読売新聞は5月6日の「地球を読む」で、国際政治学者のジョゼフ・ナイ氏の、サイバー戦争(テロ)に関する論考を掲載した。

今日のニュース7のこの問題の取り上げ方と、読売新聞のジョゼフ・ナイ氏の論考を比較しながら、明日以降、個人的な体験を踏まえなが

ら私なりの考えを述べていきたい。

 


天声人語は天の声か?

2012-05-04 15:57:10 | 日記

 昨日の朝日新聞の、「天声人語」を読んでみて、奇妙な印象を持った。

 最初に25年前の、朝日新聞阪神支局での二人の散弾銃の殺傷事件が取り上げられている。これによると朝日新聞の論調を目の敵にした

何者かが、「反日」という名目で、言論テロを行った事件だと述べられている。そこには別に何の違和感も感じないのだが、読んでいて不思議

に思ったのが、記者の殺人という形で、この人が言っている「言論テロ」が、いきなりインターネットの言論空間の問題につながっていくくだ

りだ。                                                                                                                                           

 

「この四半世紀、インターネットの登場で、表現の自由をめぐる環境は一変した。65歳の憲法21条に守られ、自由を謳歌するネット社会。

ここで言論テロと言えば、大手メディアによる言論「圧殺」も指すらしい・・・・・・」

 この文章を読んでいると、朝日新聞の論調を「反日」として殺人を行った二人が、今は姿を変えて、自由なネット空間の中にいるのだ、と述

べたがっている印象を受ける。たぶんこの天声人語を書いた人はネット空間で、言葉で表現する人達は、そのような人種であって欲しい、と

いうような隠された願望があるのかもしれない。

 

最後のパラグラフが一番奇妙だ。

「大手だろうが、個人だろうが、異論を許さぬ言説は何も生まない。社会を貧しくする、言葉の浪費である。誰もが発信できる空間を守り育てる

ためにも、形を変えて横行する覆面の暴力に用心したい」

 

 確かにインターネットの2チャンネルや掲示板には、朝日新聞を「反日」と断定する言葉がある。しかし、インターネットの言論空間が異論

を許さない言説にあふれているというのは完全におかしい。インターネットで個人が情報を発信できることが、どれほど従来の新聞などの

決まりきった形式の言説とは違った刺激を与え、豊かなものにしていのは、現在では明白だと思う。

 

 大新聞の論説委員がインターネットの言説に反感を持つのは勝手だが、それが「社会を貧しく」したり、「言葉の浪費」だなどと言うのは、

僭越なものの見方だ。一番不可解な表現が最後の「形を変えて横行する覆面の暴力」という表現だ。

 朝日新聞の記者を殺した暴力は、今は「形を変え、覆面を被って」、インターネット空間に存在していると言いたいのだろうが、実は

形を変えて横行する「覆面の暴力」というのは、そんなにチョロイものではない。

 

 むしろそれを告発するのに最も適しているのが、インターネットの言葉だ。この方は、「匿名の声ほど言葉は荒い」と書いておられるが、

あなた自身も匿名ではないのか?読者にわかるのは朝日新聞社の社員で、たぶんしかも力があると認められている人なのだろうという

ことくらいだ。この記事にペンネームでもういいから署名があるのなら、「匿名云々」言う資格はあると思うが、読者には名前も顔も思い浮か

ばない。大新聞朝日の天声人語に書いているのだから信用できる人間だと、世間が思っていると考えているのなら、それは思いがリという

ものだ。「天の声」を伝える人は名乗らなくてもわかるだろう、という考え方も確かにあるが。

 

 すくなくとも新聞に関する限り、すべての記事やコラムに関して、実名か、あるいは変わらないペンネームでもいいから、誰がこの記事や

文章を書いたのかが、読者にはっきりわかるようにすべきた。そうではないと書いた人間も、自分の書いたものに対して、責任も取りようが

ないではないのか?

  

  この天声人語はちょっと読むと筋が通っているようだが、一種の文章の策術的な技術によって、インターネットの言説への隠れた嫌悪

感を表明するものになっている。この人に、「形を変えて横行する覆面の暴力」を暴き、告発する力はないと思う。朝日新聞の全社員に

ペンネームでいいから、社説と天声人語に関する感想や批評を書かせてみれば、その両者のあいだに巨大なギャップがあることに

気づくに違いない。

 

 この程度の書き手が、言葉の豊かさ、貧しさなどと言うこと自体がどうかしている。 

 

 

 

補足させていただくが、私が「覆面の暴力」という言葉に過敏に反応したのは、昨夜、ブログを書いている最中に、パソコンのセキュリティー

機能が無効になった事態がある。使っているセキュリティーソフトはカスペルスキーである。使い始めて三ヶ月程度経つが、こんな現象は

初めてだった。使っているバッファローのルーターを他のものに変えたら、また正常に戻った。

 

今日の昼間も同じ現象が起きたので、カスペルスキー社に電話してみた。技術的なことよりも、過去にずっとパソコンに不正侵入を受けて

きた経緯を話し、セキュリティーソフト会社として、自社で作ったセキュリティーの技術を破って侵入してきた他者に、どうのような法的な権

限があるのか?あるいかないのか。あるとすればどのような部署の人間に相談すればいいのかというような内容の話になった。

 

 電話が終わってパソコンの電源を入れたら、無言電話がかかってきた。このような行為は明らかに典型的な「覆面の暴力」である。

「覆面の暴力」を行使しているのは、警視庁の公安部である。たしかに天声人語の筆者がいうように、言論を封殺するためにそのような威

嚇行為をする行為は、「覆面の暴力」という言葉がふさわしいかもしれない。

 

 ただ、私が筆者に違和感を感じるのは、その「覆面の暴力」はファシズム社会の到来をはっきり告げるほど重大な意味を持つものであ

り、ジャーナリズムを職業とする人間なら看過してはいけない類の強大な力を背景とした、「覆面の暴力」だということだ。

 

 朝日新聞はたぶんこの事実に関しての危機意識はまだ薄い。十分な情報を持っていないからである。私はここ数年間の経験上、その

「覆面の暴力」の悪質さ、将来にわたって国民にとって重大な問題を引き起こす可能性を肌で感じてきた。

 その度合いが、ネットに溢れる、朝日新聞への匿名の攻撃などよりも、比較にならないほど重大に感じられるので、上記のような書き方に

なったとも言える。言論を圧殺しようとする、「覆面の暴力」への警戒感は、イメージしているものは違っているかもしれないが、天声人語の

筆者とは変わらない。 ただ、朝日新聞が私が言うような「覆面の暴力」を告発することは相当困難だろう。

 それができるようなら私は朝日新聞をジャーナリズムとして認めたいと思う。

 

 

 

 


若者の自殺願望について

2012-05-03 10:41:10 | 日記

 昨日の毎日新聞の朝刊に、「自殺対策に関する意識調査」に関する記事があって、「本気で自殺を考えた人」の割合が年代別に調査された

という結果が載っていた。驚いたことに、一番多かったのは20代の若い人で、28.5%もいる。全世代を通じて20代が一番本気で自殺を

考えるということはどういうことなのだろうか?

 ここで書いているのは、井崎憲という記者であるが、自殺を考えたことのある回答者のうち、36.2&セントが、「一年以内に」と答えている

というのだ!調査したのは内閣府となっているが、やはり考えさせられる。

 一番生きる力にあふれているはずの若い世代が、「自殺したい」と考えているとしたら、やはり問題である。ここにはその原因については、

分析されていないが、内閣府が、「若者に絞り、雇用改善も交えた対策も急務」と話していると書かれているので、主に今の二十代の雇用の

状況が悪く、経済的な生活基盤が持てないことからくる不安が、自殺願望に結びついているということなのか?

 

 他方、同時に若者の生活の満足度は高いという調査がある。生活の満足度が高く、しかも自殺願望が高いということはどういうことなのか?

通常は人間は生活に満足していれば、あまり死にたいとは思わないからである。毎日新聞の記事には載っていないが、自殺したいと考える

20代の人でも、女性の方がその比率が高いというデータが、ネットで見た読売新聞の記事に出ていた。

http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0502/ym_120502_8782779516.html

 

 正直言って若い世代で男性より女性の方が自殺願望が高いというのは意外な気がする。今の日本社会は全体として若い女性は、男性

より元気で、優遇されているような印象があるからだ。若いからお洒落も出来るし、見た目もお年よりはましに決まっている。それで自殺

願望が高いのは、やはり雇用の状況によるものだろうか?

 どうも雇用の状況が悪いのに、生活の満足度は高く、しかも自殺願望が高いという世代をどう考えたらいいのか?

あくまでこれは調査上によるものだが、例えば渋谷の街を歩いている若い女性の表情を見ていれば、「生活の満足度」は高いのに、同時に

「自殺願望も高い」というのも何となく実感はできる。その「生活の満足度」がどういう部分に満足しているのかということが問題なのだろう。

 センスのいいファッションを着て、町を歩いて、おいしい食事をしたりしても、本当は「満足していない」のかもしれない。言ってみれば、偽

の満足に慣れてしまっているということか?一見満ち足りたような生活の満足の虚構に耐えられなくなっているのだろうか?

 

  個人的なことを言えば、私は10代、20代は、自殺願望はかなり高かった。だいたい中学二年のときから、「人生に意味はあるのか?」

「人間は存在する価値はあるのか?」という答えが出るはずのない問題に悩まされ、いつも「死にたい、死にたい」と考えてばかりいた人間

なのだ。20代半ば頃も、東京のとある編集プロダクションで働いていて体調がおかしくなって、茨城に戻ってきた頃、人生の方向性が全く

見えなくなり、「死にたい、死にたい」といつも思っていたし、数年前も体調が悪くて本当に死にたかったので、「死にたくなる気持ち」は良く

わかるつもりだが、今の20代の女性に見られる自殺願望の高さとは、どうも違うような気がする。

 

 基本的に人間は将来に全く希望が感じられなくなった時、自殺したくなる。「こんな人生、もう続けたくない」と思った時に、自殺したくなる

のだ。もちろん不治の病や、経済的な要因や、身近な人の死に直面した時なども、自殺したくなるだろが、表向きの生活の満足度が高い

のに、同時に自殺願望も高いというのがやはり気になる。若い女性たちは無意識にこの社会に対して、深い絶望感を感じているのだろう

か?「未来がない」という予感が、男性より女性に高いのだろうか?

 渋谷の町を歩く若い女の子に聞いてみたいものだ。

 

なお、今日は憲法記念日だ。

各紙の憲法についての考え方の比較はあす以降に・・・・・