春風村から

スピリチャアルの里へようこそ

春風村は心の奥深くにある、穏やかで懐かしい場所・・。

信じるものは救われる・・のか

2016年10月16日 | 日記
<日記>



「信じるものは救われる・・のか」


以下、「神」とか「宗教」とか
ナイーブなテーマを
書いてますが、そういうことの
専門家でもありませんので、
気に障ることがありましたら
「無学なおっさんのつぶやき」と
してお許し下さい。



神を信じる人は、日常の中に神を見出します。
信じているから感じます。
無神論者は当然、見ることはありません。

重要でないと思ってるものは、目の前に
あっても気が付かないことがありますが、
重要度の高いものだと、遠くで見え隠れ
しているものでも目ざとく見つけます。

古代からある自然崇拝は、偉大な自然に
対する、敬い、恐れ、そういったものから
太陽・月・山、それぞれに神を見出した
わけです。それは自然な成り行きです。

人は、先天的に全体からの分離感を持ち
全体と繋がりたいという意識が、深いところ
であるようです。そんな意識が、神を
見つけるのでしょう。悲しいことに、
「本当は人が全体と繋がり一つである」と
いう真実は思考では認識出来ません。
ですから、人は「神」という認識を持つ
ようになり(実際は自ら構築したイメージ)
偉大な神のストーリーが世界中で数多く
出来上がり、また、今も出来つつあります。

自己啓発や宗教で、重んじられる「信念」は
意識の重要度を上げることです。
信念という強い意識は人を動かします。

強い信念で神を信じる、ということは、
全てを委ねるということです。また、
全てを受け入れる、ということです。
全てを本当に信じきったなら・・

もし、そうであれば、救われない
理由は、無くなります。

信じるものは救われる

私は、ソレが人殺しを肯定するような
宗教や神でなければ、人が何を信じよ
うが、自由だと思いますし、ソレで
救われるなら、幸せなことだと
思います。

何故なら、どんな宗教も目指すトコロ
は、たった一つで、あらゆる神も
たった一つの存在の捉え方の違いだけ
のことだと、自分は信じています。

コレを言うと、肯定してくれる人は
少ないですが、私の考えです。



「春風村から」に来て頂きまして、
ありがとうございます。



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