春風村から

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悟りとは何か?

2016年10月12日 | 非二元

<非二元>


「悟りとは何か?」



物凄いタイトルですみません(笑)

ちゃんとお勉強したい人は
見ない方が良いと思います、おっさんの戯言です。

非二元もそうですが、説明しようとすると言葉が多い程、真実から離れて行く。
という事実があります。ですから誠実な非二元のマスター達は
「今」とか「コレ」とか「私はいない」とか、シンプルな言葉で
表現します。しかしそれは思考で非二元を捉えようと、或いは新しい価値観を得ようと
頑張っている人には大変不親切な説明不足な言葉となります。

わたしは「非二元」と「悟り」は同一だと感じています。
「悟り」は日本人的には仏教の概念からアプローチされることが多いと思います。
以下は個人的な推測ですが、「非二元」は出何処は日本の仏教でソレがヨーロッパなど
外国へ伝わり、複雑な日本語のニュアンスが英語やフランス語などに変換される時に
よりシンプルなわかり易い言葉になったのだと思います。「二元に非ず」
只、表現しようとするモノ(正確にはモノではないが)は
抽象度マックスの在りようですから、言葉で表現出来ないことには変わりはありません。

言葉で表現出来ないと言っておきながら、あえて表現するなら、
あくまで自分の言葉なので「なに言ってんの?」と思われるかもしれませんが、
「自我が外れた純粋な意識が、時間を外れた永遠の今と、融合するソレ」
言葉の遊びだと言われればそれまでです、「永遠の今」と
いう言葉自体意味が破綻してますが、自分はこんな感じがします。

非二元ブームで、最近は若い人たちの中に「一瞥体験をしました」と
いうような発言を多く見ます。「一瞥」つまり、「一瞬、チラっと悟りました」という感じだと思います。
ずっとそこには居れないんですね、元に戻る。でも、戻っても、高揚感が残ります。
いつも見る景色がより美しく見えたり、至福感でいっぱいになったり・・。
でも、しばらくすると元の感覚に戻ります。しかし、一瞥の感覚は残ります。

「そんなに簡単にあのお釈迦様の悟りが得られるものか」と、
一笑に付され方も多いでしょうが、一瞬チラッの悟りとお釈迦様の悟りは一緒だと私は思っています。
只、感じた人のポテンシャルが天と地であるだけ、なんじゃないでしょうか・・。
釈迦やキリストなどのマスターは、パーソナリティーが偉大で稀有な存在であったということでしょう。

非二元で誤解され易いのがこの世は幻想である、と言っても、
私たちの現れては消えて行く日常の在りようを否定するものではありません。

両手を合わせ叩くと「ポン」と音がする。それは否定しようがない事実です。
只、ソレだけですよ、というのが、思考的に表現するなら悟りの本質ではないでしょうか。
釈迦は何故に悟りを求めたか、目的は「苦」の解消です。
この世は、只、現れては消えるだけの現象の世界であり、
苦はその現象に付随している自我の思考が起こしている、という事実。

そのことが本当に府に落ちて理解出来ただけで、「苦」は見れるようになり、
どっぷり浸かっている状態から脱して、少し楽になれます。そういった自分の「苦」を一瞬ではなく、
いつもコントロール出来るようになった時に「悟りを得た」と表現して良いと思います。

得てませんねぇ・・。


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