すそ洗い 

R60
2006年5月からの記録
ナニをしているのかよくワカラナイ

ザ・スタークラブ HIKAGE

2024年05月16日 | 音楽

「バンドをやる気になったのは、ラモーンズのおかげです。1976年の末に日本で発売されたレコード(ファーストアルバム『RAMONES』。本国では1976年4月発売)を聴いてみたら、ラモーンズの曲はすごくいいのに、ギターソロがなかった。当時はハードロックの時代だったから、バンドをやるなら素晴らしいギターテクニックが必要だと考えていたんだけど、ラモーンズを聴いて思わず、『これならできる』となったんです。いま考えるとラモーンズの演奏ももちろんうまいんだけど。リズムの良さとかそういうことは、まだよく分かってなかったんでね」

「1977年の夏です、ラジオで初めてピストルズの『アナーキー・イン・ザ・UK』を聴いたのは。サウンドはハードロックに近いように感じたけど、曲はラモーンズと同様、俺の好きなスリーコードがバーっときてる感じ。そして何より驚いたのはジョニー・ロットンの歌い方でした。ラモーンズは好きだったけど、淡々としたジョーイの歌は、俺としてはあまり面白くなかった。だから、ラモーンズの音にピストルズの歌というのが、自分にとっては本当に衝撃で、(パンクバンドを始める)初期衝動になったのかなと思います」

 

「ラモーンズが出たあと、ピストルズのことは『ミュージック・ライフ』のような雑誌の文字情報で知りました。すぐに喧嘩をするし、ライブは中止ばかりというとんでもないバンドだと。でも、ロンドンで何かがはじまっているらしいという認識は持ちました。

写真は載ってなかったので、髪の毛がツンツンで服はビリビリに破れ、やたらと安全ピンを刺しているという言葉だけで、想像を膨らませました。そしてラジオで曲を聴き、のちに雑誌に載ったシド・ヴィシャスの写真を見て、『わー、来た! これしかない!』と」

 

「あんなに盛んだった学生運動が、自分のまわりでは完全に消えていた。しらけた世代なんです。個人的には学生運動に憧れる気持ちが強く、すごく勉強もしました。なんであんなに熱く燃え上がれたんだろうって。でも自分たちの世代にはもう、熱くなれるものがない。そう思っていた矢先に知ったのがパンクだったんですよ。

今はパンクにもいろいろな考え方がありますが、1970年代当時は、ジョン・レノンの『イマジン』の世界、つまり“共産的な発想”というか、パンクも左寄りの考え方が美しかった。学生運動の反体制思想に近く、時代の流れで形は変わったけど、自分の世代はコレなんだなと直感的に思いました」

「リアルタイムではすでに解散していて、『アビイ・ロード』(1969年リリース)や『レット・イット・ビー』(1970年リリース)といった後期のアルバムが話題になっていた時期です。でも過去を掘っていくうちに、ジェームズ・ディーンのイメージが初期ビートルズのジョン・レノンに重なりました。それで、革ジャンを着て髪をリーゼントにして演っていた、ハンブルク時代のビートルズがすごく好きになったんです」
 

「パンクが来るまでは、革ジャンを着込んでロックンロールをやる初期ビートルズに夢中。日本のバンドでは、その延長線上にあるキャロルですね。ストーンズやイギー・ポップも好きだったけどビートルズには勝てず、次にやられたのはニューヨーク・ドールズでした。サウンド面だけですけどね。ルックスは嫌いでしたから」

 

「日本に来る情報は限られていたから、ニューヨーク・ドールズを聴きはじめたらすぐにパンクも来たっていうのが、当時のリアルな感じなんです。感覚としてはほんの1、2年のタイムラグ。ニューヨーク・ドールズからラモーンズ、そしてピストルズに次々と出会った1975年から1977年のことは今でもよく覚えています。それだけ、大きな衝撃だったということですね」

 

「パンクにもいろいろなスタイルがあるけど、俺はやっぱりビートルズやキャロル、ラモーンズの流れから、シドの革ジャンに影響を受けました。

ほかのアイテムでは、クラッシュの『ロンドン・コーリング』のオフィシャル映像でいきなり大写しになるラバーソール。そういうのを見て“すげえ!”と思っても、そのころの日本ではどこにも売っていなかった。だから、自分の中でイメージが一番近かった登山靴を履いていました。

服も同じで、徐々にいろいろなものが入ってくるんですけど、最初は何もなかった。だから限られた情報を頼りに工夫して、自分でシャツを破ったり安全ピンや鎖をつけたりしてましたよ」

「パンクとかロックとかという言葉が持つ響きへの憧れは永遠に変わんないけど、別に今さら、“パンクだからどうのこうの”っていうのは全然ない。そういう年齢になったということなんだろうけど、今は自分が好きか嫌いか。それ以外は、もう何もないですね。

でもパンクというのは、本当の居場所を探し、とにかく自分を今とは違う場所に持っていきたい、そして熱くなりたい――そんな思いに尽きるんです。だからすべてが満たされていて、今の場所で十分だと思っている人に、パンクは向かないんじゃないかな。

ただ、あまりにも真面目に窮屈に『パンクとはどうあるべきか』って考えると、『結局そこには何もない』という結論にぶつかってしまう。だから今は昔と比べると、もっとオープンになろうという気持ちもあります」

 

ヒカゲ/1959年生まれ、愛知県名古屋市出身。
1977年、名古屋でHIKAGEを中心に結成したザ・スタークラブのヴォーカル。
1977年、名古屋でHIKAGEを中心に結成。後のインディーズ・ブームに先駆けて1980年1stミニ・アルバム発表。

1984年、徳間ジャパンからメジャー・デビューするまでインディーズ・チャートを独走する。
1986年、ビクターへ移籍後、2003年にスピード・スター・ミュージック、2004年にクラブ・ザ・スター・レコーズ、そしてノートレスとレーベルを移しながら、年ごとの新作発表及び全国ツアーと絶え間ない展開を現在まで続けている。

2023年、バンド結成47年目を迎える今も、止まる事なく走り続ける、唯一無比の日本のパンク・ロック・バンド。

 

 

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