過疎地域の村からの無責任な世捨て人の呟き

限界集落の村でクラシックギターを勉強しながら日頃感じている疑問を発信します。賛否両論あると思いますが議論しましょう。

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言葉の表現力

2016-11-11 22:49:03 | 日記


自分のブログを見て居てある事に大袈裟ですが気が付きました。言葉で表現した場合、読者の置かれている立場によって、同じ言葉が、書く方と読む方では置かれている環境によって、又これはよくある事ですが、特に日本語は言葉に様々な読み方と文章全体のニュアンスから書き手と読み手の受け取り方が全く違う者になっている場合が多いと言う事があります。

政治屋や厄人はこれを利用して、問題になった時に屁理屈をこねて逃げます。お金にまつわる事は特に慎重な”言い回し”を使います。例の西宮の号泣して、訳の分からない事を言って辞職した方は稀有です。

最近はテレビも新聞も良く見なくなりました。メディアは当然の事として言う事が、例えば住む家、財産、家族構成、思想信条等に全く考慮がはらわれず(払うのは無理と分かっていますが)只の事象報告機関でしかなくなったからだと思います。

政党新聞と言われるものはその党の主義・主張だし、業界紙もその関係の事しか書きません。我々が本当に知りたいのは意見です。トランプ氏にしても、各業界の、また各組織の動向は書いても、メディア自身の意見はいいません。せいぜい論説委員が当然の事を只伝達するにすぎません。

俗にいう有識者も周りを観察しながら、受けのいい方又は金になる方の立場での発言しかしません。それほど言葉とは発信する場合に便利な道具です。読者もある観念を持っています。そこが価値基準になるから難しいと思います。言い訳ですが新聞の斜め読み、テレビの見流し、ラジオの聞き流しになります。

このことだけだと言う、いわゆる芸術家は、事象に対する論評はできますが政治家にはなれません。芸術としての力量なり使う道具によりその道には凄いかも知れないけど映画を例にとれば、思想・信条を表現するとレッテルを人が勝手に貼ります。ちょっと前になりますが、被差別部落の映画やテレビドラマには出たくないと言う方々がおられました。レッテルを貼られるのが嫌だし、観客からそこの出身ではないかと思われるのが怖いとのことでした。

音楽で言えば有名なカラヤンがナチスの協力者であったことは良く知られています。然しカラヤンを戦後一時のブームに巻き込んだのはメディアだったし、専門家から彼の芸術性に酷評が出だすと叩いたのもメディアです。ある種の言葉遊びをしたとしか思えません。これも要らぬことですが、カラヤンが振るベルリンフィルと、誰が振ってもいいからチェコフィルのドボルザークの”新世界”を聞いてみて下さい。如何にカラヤンの物が造られ過ぎているかすぐに分かります。

ブログの各読者に、例えば印象に残っている映画はと問えばそれこそ俗にいう十人十色だと思います。どんなに規制が強まっても、肉体的には並列になっても、精神的には自由であるべきです。

ブロガーはプロフィールに”クラシックギターを勉強しながら”と書きました。この”クラシック"と言う言葉には、好むと好まざるとに関わらず何か凄いものだと言う観念があります。ブロガー自身の事を言えばそれこそシンフォニーから今はあまり聞けなくなりましたが浪花節まで音楽であれば何でも好きです。優劣が存在しないのです。これはブロガーの観念であって故高木東六氏は演歌が大嫌いでした。これも高木氏の観念です。世の中がどうなろうとこの部分は自由でなければなりません。

環境により使い慣れたまたは使わざるを得なかった言葉もあります。ブロガーの地区は、極端に言えば大百姓の家庭が多く、ブロガーみたいに家屋に隣接するだけの70坪ほどしか耕作面積を持てない家は稀です。いわゆる家庭菜園としか言いようがありません。周りから見れば畑ではないから、家庭菜園と言うしかありません。これにも言葉に対する観念があります。都会の人から見た場合と田舎の人が見た場合の観念は全く違います。そしてこれは余計な事だと思いますが、子供のころから”ジャガイモと玉ねぎ”があれば何とか暮らせると言う言葉があり、そういう生活をして来ました。今ブロガーの菜園からは順調なら老夫婦が買わなくて済む幾種類かの野菜が採れます。”年金が足りないけどお金がない”生活の中では重要な生活の源です。

これが羨ましいととる方もいれば、鼻で笑う人もいるのが世の中です。自分のブログを読み返してみると本当に不用意な記述が目立ちます。一つはボキャブラリーの不足、もう一つは表現力の無さです。

この文章もブロガーの真意(解釈には絶対自由が必要ですが)伝わったのかと言う大きな疑問の中に今自分が居ます。根本的にとは言いませんが「文章とはこういうものだ。」と言う一つの概念をお持ちの方はぜひお教えください。

駄文の限りで申し訳ありません。

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