わいんとともに:一日の終わりにコップ一杯のワインを飲みながら、つぶやくあれこれ。

残り時間を気にする此の頃、せめては、ささやかな足跡を残しておきたい。

姉が逝ってしまった

2017-02-05 18:49:19 | 日記
 長年病んでいた姉が、とうとう逝ってしまった。
19歳で結婚し、長女、長男に恵まれ、29歳でリュウマチが発症し、それからの日々、病に苦しんだ一生だった。大腿骨骨折、大腸癌、など、併発した病や怪我にも苦しんだ。2年前には左脚、膝から10センチした下を、切断しなければならなくなった。義兄が一人で介護。最近は、ディサービスにも馴染み、その中に楽しみを見つけて、ちょっと平穏な生活をしていたのに、心臓と肺に水が溜まる病に取りつかれてしまった。内臓機能が低下してしまったということなのだそうだ。長年、薬漬けの体が悲鳴を上げてしまったということなのだろう。
あとあと襲ってくる病に、「どうして、こういうことになってしまったんだろう。」と、言った。「聞こえた?」と、問い返された言葉が耳についてはなれない。
 どうして、こんなことになってしまったのだろう。これ程、病や怪我に苦しめられた人を知らない。
それでも、姉はいろいろなことに興味を持ち、家族旅行を計画し、九州や北海道など、何回か家族全員で旅行した。痛みを押しての旅行は大変なことだったろうと思う。いろいろな治療の中で、ある健康食品に出会い、その効用について、大勢の観衆の前で、体験談を発表したこともあった。着物の着付けも楽しみ、お仲間と着物を着て出かけるのは、とても楽しいと言っていた。着物を着ることが出来なくなった頃、私が入っている俳句結社に誘い、俳句を楽しむようになった。平成15年8月から、22年。23年は2回程、投句しただけだった。今回、亡くなる3日前になって、私は句集を作ることを思いたった。結社誌に掲載された句を抜き出して約280句、60ページほどのささやかな句集である。ゲラ刷りが出来たのが、亡くなる前の日。半分ほどの句を読み聞かせ、句集の名前にする句を選んだ。
句集名 「鈴鳴らす」 「病む腕に抱え破魔矢の鈴鳴らす」 から取った。もう、言葉を聞きとることはできなかったが、わかってくれたことと思う。
 次の日、一冊の句集を作り、病院に行こうとしていたら、危篤の知らせだった。眼を瞑っていた姉はとうとう句集をみることはなかった。
あと、何日か早く、一緒に句集をつくることをしていたら、最後の日々を、姉は少しは心安らかに過ごすことが出来ただろうに、と、悔やまれる。
 それでも、納棺の日に近親者に配り、告別式の時に、司会者が句集のことを紹介してくれたことはよかった。少しは供養になっただろうか。
 更に、義兄の会葬御礼の「一緒に暮らせて幸せでした ありがとう」に続く姉の生き方を称える一文には、感動と感謝の言葉を知らない。
 まだまだ、書きたいことは後を絶たないが、今日はここまでとしよう。
姉の生きた苦しみと、悔しさは決して忘れまい。
そうして、私も、又、歩き始めよう。姉が出来なかった分も。この生かされている命を懸命に生きていこう。
姉に、与えられていただろう才能まではないが、自分の限りを精いっぱいに。
それが、姉への供養になると信じて。
今はただ、痛みのない世界、苦しみのない世界へ心安らかに旅立ち、今頃は母とも、長姉とも出会い、穏やかに笑い合っているだろう姉に、合掌。

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