ひとひらの花弁より先に
一輪の桜が落下するのは
蜜を求める小鳥たちの仕業です
たくさん吸うがいい
目白 雀 雉鳩 鶯よ
この川に花筏が流れるのは
数日先のこととなります
梅が咲き 桃が咲き 桜が咲き
そしてそれぞれに散ってゆきます
こうして春を送り
次の季節に歩き出します
あなたのところへ辿り着くまでに
僕は幾度の春を見送るのか
引揚げ船の中
「この子はすでに死んでいる
水葬に臥するべき」という命令に
我が母は
「いいえ、死んではいません。」と僕を抱きしめました
そして僕はそれから七十年生きてきました
あの時渡ったものは海ではなく
大陸から島国へ帰還する
揺れる命の坩堝でした
幼い僕を溺死から救って下さった母よ
痩せた母の乳房よ
川の向こうの
桃咲く郷で
ふたたび会える時には
僕があなたを抱きしめたい
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