Taff's Around the World

山崎達矢、世界一人旅。世界の友は "TAFF" と彼を呼ぶ。1994年7月19日、彼はたった一人、車に乗りこんだ。

親切すぎるイラン人?

2005-04-15 04:19:34 | Weblog
イランに入国したその夜は、大変な強風。砂嵐。
翌朝半信半疑だったが、私が一泊したイラン西北部の街、ウルミヤのレストランの駐車場に約束どうりに昨夜国境で会ったアミールが向かえに来てくれた。
昨夜も国境からこの街まで50キロを車で先導してここまで来て、イランに関する様々な情報をくれ、案内し、最後にはこのレストランのオーナーに話しつけて、私がここの駐車場で一泊させてもらえるようにしてくれた。今朝も18分遅れてすまなかった。と言ったのを聞いて大変に驚いた。来ない確立のほうが高いと思っていたのに、、、来たとしてもまぁ、一時間は遅れるやろう。と考えていたのに、、、日本以外の国で20分くらいなら遅れても謝る人などまずいない。彼がまるで日本人みたいなので、驚いた。

彼の祖父の家に私を招いてくれて、そこで朝食をよばれる。立派なお宅。普通用?と貴賓用?の二つの大きな応接間があり、貴賓用には様々な飾り物がある。台所は20畳以上はある大きなもので、その一面はずうっと端から端までカウンター。食器洗い機まであるのにまた驚く。ヨーロッパでは当然だが、イランでお目にかかるとは思わなかった。台所、二つの応接間の各テーブルには生花が生けてある。あまりにも鮮やかな色なので、はじめは造花だと思っていた。
ここはイランか?と思ってしまう。
アミールも、もう91歳というお祖父さんも英語を話す。聞くと彼の娘は、移民でUSAに行きシカゴに住んでいて、今はマレーシア?(だったと思う)のUS大使館で働いているとか。アミールもお祖父さんも何度もUSAに行っているらしい。

次にアミールの両親の家に招かれ、先ほど食べたばかりなのにもう昼食。彼の兄弟も集まり皆で私の旅行の写真アルバムを見る。
次に彼の友人宅へ。男三人女三人。皆25~30歳くらい。ここで驚いたのは、アミールを除く六人がクリスチャンということ。エ~~イランにイラン人でクリスチャンがいるのか?イランの人は皆モスレムだと思っていた。人口7千万人以上というイランで5百万人のクリスチャンがいるという。7%にもなる。
どこで祈るのか?と尋ねると、教会。というあたりまえの答え。へぇ~イランに教会があるのか?ぜひ見てみたい。と言うと、その友人の普通のセダンの車に私を含めて7人が前に3人、後ろに4人のぎゅうぎゅう詰めで出発。

アミールは私を友人のところへと残して親戚のところへと挨拶廻りに出て行った。
その六人の友人に英語の話せる者はいない。しかし、そんなこと今までの経験から問題にはならない。
イランでは本日4月2日までの13日間が正月休み。昨夜私はアミールにもう明日この街を出発する。と言うが、明日は休日最終日で、旅行に出かけた人々がいっせいに帰ってくるので、道はどこも混み、先を争って帰ろうとするので、運転は危険だから出発はあさってにしたほうが良い。と言われて本日一日この街に居ることにした。

七人を乗せた車は、ウルミヤの市街地を抜ける。
その運転のメタメタなことに驚くを通り越して身が固まる。助手席にいて、何度も何度も肝を冷やす。助手席にブレーキがあるわけないのに、何度も右足に力を込める。
街の中心地は混み合っていて渋滞。そこに他車との隙間が5センチあれば車が割り込んで来る。彼もまた同じく割り込む。3センチでもやって来る。何度も当たった。と思った。その渋滞の中を人が道を横切る。大通りでも同じ。飛ぶように走る車のほんのわずかの合間で横断する。切れ間がなくとも同じ。車が来ていてもかまわずに横断する。車もまたそんなこと関係なしに走り去る。人と車との間15センチ。他車を見ていて、あ~当たった。と何度も顔を覆い、何度も何度も肝を冷やす。
バイクは大通りでもかまわず逆走し、渋滞の車を縫うように走る。イランではヘルメットの着用が義務ではないらしく皆ヘルメットなし。テヘランでは毎日毎日20人くらいが交通事故で亡くなるらしい。そのほとんどがバイクとか。
国道の道もまたしかり。どう考えても対向車が来るまでに追い越しが終了しない距離なのに、かまわず追い越しかける。何度も道幅いっぱいに車3台がぎりぎり並ぶ。
追い越される時も車のすぐ脇をすごいスピード差で通って行く。なんでやねん?道幅もっとあるやろ! 
しかもどこでもかまわずUターンする。国道で対向車がすっ飛んで来ていても、街中で大渋滞の中でも、おかまいなし。危険きわまりない。
よってどの車も急ブレーキを踏むが、ブレーキランプのまったく点かない車がよくよくある。だいたい20~40年くらい前の車ばかり。(一番新しいのは、5年くらい前のモデルのメルセデス。それはパトカー。)だから、前者との車間距離が少ないと追突しそうになる。しかし、車間距離をとると他車が必ず割り込んで来る。前者が急ブレーキを踏むとこちらも仕方なく踏むが、これまた後続車が隙間もあけずにピッタリとくっついて走っているから急ブレーキを踏むと追突される危険あるので、急ブレーキは出来ない。どうすりゃいいの?
世界79カ国をカリーナと共に走り、運転は確実で、砂漠もジャングルもアイスバーンも泥ヌタ道も走ってきて、怖いところはない。と思っていた。しかし、しかし、イランは怖い。
街中を走るのはおっくうになる。
いかに他車に当てられないように、いかに他車に人に当てないように走るか?である。
すっごい集中して走らねばならない。怖い怖い。ペルーやグアテマラ、ケニアなどもひどかったが、それらとは比べ物にならないくらいのひどさ。
イタリア人の無茶苦茶な運転にいつも頭にきて怒鳴っていたが、ここでは無茶苦茶を通りこしてメタメタ。皆が皆、歩行者もまたメタメタなので、怒っていてもしかたない。
用心運転あるのみ。
ひどすぎて形容する言葉がみつからない。
聞くところによると次の国パキスタンはここよりもひどいとか。。。。怖い怖い。
出発を一日延ばして正解だった。

やはり?教会は街はずれの丘の上にあった。
我々が思い浮かべるような教会の形ではなく、普通の建物。十字架がなければ教会とは判らない。
外出する時には必ずスカーフをしなければならない彼女が、教会の中で手を組みキリストに祈る姿を見て、これまた、ここはイランか?と思う。
その夜は、アミールか、彼の両親か、祖父母かの購入したてで、家具も何もないマンションで一人で寝る。
どうも宗教的、もしくは、習慣、それとも警察のお達し?か何かで私が一家のところで泊まることは問題があるようだ。

翌日また彼がマンションに向かえに来てくれ、やっと開いた銀行へ行き、まずは両替。
銀行にATMの機械はあるが、使えるのはイランのカードのみ。車にガソリンも無かったしイラン通貨はまったく持っていなかったので、どのみち昨日出発は出来なかった。考えると、金もまったくないのに食事にも困らずに一日過ごせてラッキーだった。
知らなかったが、この国の最大札は20000Rial=約240円のお札。
銀行は$150をすべて1万リアル札でくれたので、札が133枚もきた。帯封付の札や。ビックリ。こんなん財布に入らん。どないしよ?アフリカか、旧ソビエトのどこかだったか?でも同じ経験をした。
まったく単純で馬鹿みたいな話だが、たとえ小額の札といえども札束を持つと金持ちになった気になり、気が大きくなりパッパパッパと使ってしまう。
その日の昼食では、いつもはハンバーガーに持ち歩いている水だけなのに、思い切ってコーラもどき(ZamZamとかEramとかいう偽コーラ。しかしこれがうまい。ちなみにちゃんとコカコーラもある。)を付け、ポテトチップスまで買ってしもた。(スケールの小さな話ですみません。)

次に車のオイル交換がしたい。と言って彼にその店へと連れて行ってもらう。
彼が私に、値段は自分が聞くので、君は何も言うな。君が尋ねると高い外国人料金になるから。
と言うので、その通りにする。
イランはすんごい物価安い。
ガソリン1リッター10円、軽油は2円。
しかし、どうも質は悪い。イランに入りカリーナがえらくノッキングするようになった。きっとオクタン価は80~90くらいではないか?と思う。
聞くと、インターネットは1時間8.5円。ハンバーガー5円。安い。ええ国や。
なのにアミールが尋ねたオイル交換代は、整備点検代も含め1万リアル札が10枚と言う。10万?安くはないゾ。むしろ高い。しかし、彼のことを完全に信用していた私は彼に言われるままに金を彼に渡す。その後、もうすべて支払った。私は仕事があるので、とあわただしく去って行った。
どう考えても、10万は高いぞ。と思いオイル交換した兄ちゃんに、このオイルは1ボトル4リッターでいくらか?と尋ねると、8700と言う。
オイル交換は?
オイル3.5リッター使ったので、7600と言う。
何!95円くらいか?何と油の出る国はやっぱり安いなぁ~。とビックリする。
そして、あ~やられたか~。と思う。
アミールに10万(1230円くらい)渡したのに、実際は8000(95円)くらい。9万リアルやられた。
まぁしかし、1100円くらいのこと。まぁええか?しかし、しかし、わからない。
何故にあれほどまでに世話を焼いて、親切にしてくれたあのアミールが、決して金に困っているわけでもない、新車(イラン製)も携帯電話(これは、ヨーロッパはもちろん。トルコでも、イランでも、ボスニアでもほとんどの人が持っている。日本でまだ持ってないのは私くらい?)も持っている彼が、なぜ$10くらいの金をだまし取ったのか?金を巻き上げるなら、今までにもチャンスはあったはず。両替で札束を見て気が変わったのか?
他の銀行で私のクレジットカードが使えるか?尋ねて来るので、カードを貸せ。で渡すとサッサと何処かへ行ってしまった時には、あ~~マズイ!とハラハラしているとちゃんと帰ってきて、このカードはイランでは使えない。と返した。
しかし、しかし、わからない。何故に彼がわずか$10のために、、、、あまりにも人を信用しすぎたか?

その日、タブリスの街まで移動した。
もう午後8時半。とにかくハンバーガー屋に入り夕飯。
そこへと若い兄ちゃん二人が寄って来て、何やら英語で話しかけてくる。適当に相手をしているとそのうちの一人がサラダを取り、ジュースを買い、私に差し出し、どうぞ。と言う。
睡眠薬でもいれたか?私のハンバーガー代まで支払っていた。
その上、私は車を持っているので、この街を案内してあげる。よかったら家へと泊まっていきなさい。と。
よくある怪しい話そのままの筋書き。どう考えても怪しい。
こちらから話かけたのは信用できるが、あちらから私が外国人と見て英語で話かけてくる。なんてのは、よからぬ考えがあってのこと?
よって私は、俺のことはすべて自分で出来るから助けは必要ない。
と冷たくあしらう。もちろんサラダもジュースも手をつけず、ハンバーガー代金も返そうとするが、受け取らない。
店を出る。まだついてくる。
もういいから。と言うと、それなら何か困った時には電話して。
と電話番号を書いて渡してくる。
そんなものいらんわ。と心でつぶやくが、受け取りけつのポケットへと入れる。

翌朝寒かった。最低気温0度。
雨が降る。と車内で寝ながら思っていたら、雪だった。積もっとる。吐く息真っ白。4月というのに、、、、(この3日後、少し山の中で車内泊した時の最低気温はマイナス6度だった。4月というのに信じられん。イランはもっと暑い国のイメージだったのに。)

昨夜のことを考える。
アミールのオイル詐欺事件のこともあり奴らを冷たくあしらったが、もしも、純粋に親切だったのなら、彼らに大変悪いことをした。と思った。
少々人を信じすぎるとこがあったのは確かだが、「人を見ると、盗人と思え」で旅しててもつまらない。何の意味もない。得る物がない。
信じるところから始まる。
たとえそれで痛いめに遭ったとしても、良い薬になった。
としよう。罠かもしれない?承知のうえで昨夜の彼に電話する。

公衆電話を見ていると、100リアルコインで5分くらい話している。安いなぁ。持っているのは500リアルコイン。携帯電話にでも大丈夫やろ。と試すが、何やらペルシャ語でアナウンスが流れ、通話出来ない。わけわからん。すると近くにいた兄ちゃん困っている私に気づき、言葉なんぞ通じないが助けてくれる。
携帯電話へはテレホンカードがいる。
というようなことを言っている。そこで、カードを探す。一緒に探してくれ、キオスクみたいなところで見つける。2万リアルのカード。
たった一回電話するだけなのに高いなぁ。100リアルで5分も電話できるのに、、、別にどうしてもしたい電話でもなし、もうええわ。
とやめようとすると、彼が支払おうとする。NO,NO,NOとことわり、
1万のカードなら買う。
と1万リアル札を出すと、その彼がもう1万出して何やら機械でチャージしたテレホンカードを買ってしまった。
いいのに、、、まぁ、電話後彼にカードを渡せば良いか?
と考え電話もしてもらう。昨夜の彼サイドと例のバーガー屋で待ち合わせする。
電話後手助けしてくれた彼は、キオスクへまた私を連れて行きテレカをキオスクに返す。すると通話した2000リアルを差し引いた18000が返金された。彼に1万返して円満解決。
良いシステムや。
バーガー屋で待つこと10分か15分。食べているうちにサイドは現れた。
なんでそんなに早いねん?怪しい?

ここでバーガー代支払ってサイドに話しを聞いてやっと、謎が解けた。

この後彼の家に招かれ家族と会う。これは信用出来るパターン。
しかし、ヨーロッパなどでは家族ぐるみで騙す手口もあるので完全には信用出来ない。(私は西アフリカのモーリタニアで家族ぐるみで騙されて金を取られたことがある。) しかし、結果から言うと彼のは、まったく純粋な親切であった。
電話して良かった。

彼といろいろ話しをして、彼が英語の専門学校に行っている20歳の学生で、外国人と英語で話しがしたかった。とのこと。
そして、オイル詐欺事件も解決した。

イランの通貨はリアル。$1=8870Rials。
しかし、イランの人々は習慣的に通貨単位にToman、トゥーマンを使っていた。
そんなことまったく知らなかった。誰もトゥーマンとは言わない。
いくらか?尋ねると数字を書いてくるだけ。だから解らなかった。おまけに本日バーガー代払うまで、自分で支払ったことがなかったので解らなかった。そのうえガソリン代のみは支払ったが、これはポンプのメーターがちゃんとリアル単位になっていて、1リッター800リアル(10円)と安いし、お札にもちゃんとリアルと書いてある。その他の物もイランは安いものなのだ。と解釈してしまった。
トゥーマンとは、リアル通貨を一桁切り捨てた単位。つまり1トゥーマン=10リアル。
よって、ハンバーガーは5円ではなくて、50円。インターネットは8.5円ではなく、85円。
オイル交換は7600と書いていたが、それはトゥーマン単位でリアルでは76000となる。整備点検代(ウインドゥウオッシャー液補充とエアクリーナー清掃くらいなこと。こんなこと自分でやっているが、アミールが気を使い、するように言ってくれた。)を含めてオイル屋は1万トゥーマンと彼に言ったのだろう。
知らないこととはいえ、アミールに悪いことした。
しかし、解ってみると、イランそんなには安くないぞ。
オイル交換などヨーロッパの安いところと同じくらい。なんでオイルは高いの?油出すだけで、ガソリンと軽油以外の製油は海外でしているのか?

サイドと彼の昨夜の友人と三人でタブリスの街を回る。彼の車で彼の運転で街を回れてよかった。カリーナで私が運転していたら、何度も車をぶつけられていたのではないか?と思うほどのメッタメッタな運転はこの街も同じ。
夜サイドの友人レザーの家に招かれ、彼の父と話しをする。
彼はイラン-イラク戦争の時、イラクで毒ガス爆弾(確か、マスタードだったか?)で負傷した。しかし、症状が軽かったのか、爆心地より遠かったのか?たいしたことはなかったようだが、今でも寝ていて呼吸困難になることがたびたびあるとか。
私を日本に連れて行ってくれ。日本の病院で治療が受けたい。
と言うので、
日本は医療費がすごく高いよ。と言うと、
心配ない。治療費は国が支払う。とのこと。へぇ~。
以前にもオランダに治療に行ったことがあるそうな。

いろんなこと、また知った。

ヨーロッパの人が普通(私は冷たい。と思うけど。)なら、ギリシャ人は親切(スペイン、イギリス、フランスの人も親切。)で、トルコ人はとても親切。
すると、イラン人は親切すぎる?
車の運転さえまともならば、居心地の良い国です。

4月13日
イラン北部、カスピ海に近い街-ラシットより、山崎達矢

イラク入国

2005-04-11 01:50:16 | Weblog
アダナを出てひたすら東へと走る。
シャンリ・ウルファという街より東はキュルッシュ(クルド)の人たちの土地。
トルコではこの東部地域の人のほうがさらに親切。
出会って話しをした人たちは皆、ここはトルコではない。キュルッシュだ。と言う。
この地域はトルコよりの独立を希望している。

東へと走っていると一面が黄色の菜の花畑が眼に入ってきた。
あーーーきれい。
スペイン、フランス、モロッコ、ウクライナでのあたり一面黄色のひまわり畑は何度も見てきたが、菜の花畑は初めて。
私は黄色という色が好きだ。
国道を外れて畑へ。一軒の農家前を通り過ぎ畑で写真を撮る(畑の中にある車道で)。
するとその農家の子供がやって来て、「うちへ寄ってチャイ(お茶)でもどうぞ」と招いてくれる。
てっきり、畑から出て行け。と言われると思った。
その農家七人の子供たちとお母さんと一緒に、眼の前に遥かに拡がる菜の花畑を見ながらチャイをよばれる。
皆ニコニコ良い顔している。
お礼がわりに彼ら家族の写真を撮る。そこへお父さんも畑から帰って来て、家族そろっての写真。
後日郵送でこれらの写真を送る。と約束する。
眼前一面の菜の花畑を見ながらのチャイ。なごやかな時間。
これをきっと贅沢と言うのだろう。

また、東へと走る。
どういうわけか、道端にタンクローリーが長い長い列をつくっている。
すべてタンクローリー。えらく長いので、どのくらい長いのか最後尾から測ってみた。なんと9キロ。
しかし、何を待っているのか?きっと近くに製油所があり順番待ちをしているのだろう。と思った。しかし、製油所らしきものはない。
列が切れその先8キロのところからまたタンクローリーの列が始まった。3キロの列。列はまた切れ、その先5キロのところよりまた列を作る。2.5キロの列。
こんな具合にいつまでも列は続く。いったいどこまで?どうして?
またまた列が現れる。長い。しかし、おかしいなぁ、、、今度はトラックや、トレーラーの列も別にある。これは国境手前の光景。
トラックドライバーに話を聞きやっと道を間違えていたことに気づく。山を登って行くべきところを、なんとイラク国境手前5キロのところまで来ていた。
ちくしょう!50キロも無駄に走った。往復100キロ。ガソリンが1リッター206円もするというのに、、、、
ここまで来たならと、イラク国境のところまで行く。
正しくはトルコの出国国境のところまでで、イラク入国国境はその先1か2キロとのこと。
もちろんビザ持ってないし、下手に入ってややこしいことになっては困るので、見るだけで道をもどる。
こんな混沌とした戦渦という状況でなければ行ってみたいけれども、、、、

道を間違えたおかげ?でタンクローリーの列の意味が解った。
これらのローリーはすべてイラクに油を買いに行くのである。つまりガソリンや軽油を輸入しに行く。列は入国手続き待ち。
なんとなんと、合計25キロにもおよぶタンクローリーの列だった。最後尾の車はいつ入国できるのやろ?何日かかるやら。
国境手前でトラックが入国手続き待ちで5キロくらい列があるのは何度も見たが、25キロは初めて。しかし、トルコ内だけで25キロであって、きっとイラク側の製油所でも列を作っていることだろう。しかし、製油所なんて真っ先にUSAが爆撃してるだろうに?まぁもう二年近くたつので復旧してるのだろうか?
この国境手前130キロのところより列が始まる。ローリー一台あたりの場所を9メートルとすると、2770台のローリー。トルコ中のタンクローリーが来ているのだろう。そりゃそうだ、トルコでは1リッター206円のガソリンがイラクなら5円しない?だろう。今は戦争する金がほしいだろうからもっと安く売るかもしれない。いくらイラクに経済制裁したところで、トルコが毎日毎日最大枠で油買っていくのだろうから何の意味もない。イラクは当然米ドル売りして外貨が毎日トルコから入る。それで武器弾薬を買う?間の抜けた話。
でもイラクばかりで、どうして何の問題もないイランには買出しに行かないのか?
北の国境のことは知らないが、この南の国境では何度も峠越えとなるし、イランまでここからさらに500キロもある。往復1000キロ。後日知ったが、イランでは1リッター10円。
トルコのガソリンが高いのはきっと国に納める税金が高いからだろう。

道を戻り山の中へと入って行く。
夜、何処か車を停めて寝られるところを探す。
人に聞くとその人が、まぁとにかく家に入れ。すぐに私への夕食の用意をしてくれる。手厚くもてなしてくれる。
ここでもお礼にと家族の写真を撮って、後日郵送する。と約束する。喜んでくれる。
四人の子供たちがいる。まだ6ヶ月の赤ちゃんは、小さな揺りかごのようなベッドに載せられる。しかし、細いので落ちはしないか?と心配していると、まだ若いお母さんは赤ちゃんをその細い揺りかごベッドに括りつけた。確かに落ちないだろうが、赤ちゃん寝苦しかろう?
その家より30キロ行ったレストランの駐車場でその夜は寝た。

次の朝起きて見ると、すぐ目の前は山。
少し走った村で写真を撮っていると、おじいさんが「その小川の向こうはもうイラクだ。」と山の手前の小川を指差す。
アーーそうなのか、地図を見てイラクがすぐそこなのは知っていたが、こんなにもすぐ目の前とは、、、見下ろすと小川に小さな橋が架かっていて向こうへと渡れる。
せっかくなので、今現在世界で最も混沌とした戦渦の国イラクへ行ってみよう。とカメラとビデオを持って出るが、しかし、まてよ。本当にイラク?と地図を見直す。確かにすぐそこだが、地図を見ると目の前の山が国境線と思われる。つまり、山のその向こうがイラクと思い、2000メートルはあるだろうその山を越えて(しかし、今居る地点でもう標高1200メートル以上はあるだろうから実質500~700メートルくらい?)までイラクに行くつもりはないので、その小川の橋を渡ることもやめた。先を急ぐ。本日中にイランに入国したい。
10キロほど走ったところで、またも軍の検問。昨日より30キロ40キロ走る度に軍の検問があり、トルコへの入国印、出国先、出国予定日から父親の名前まで何やかんやと聞かれていちいちノートに書く。西アフリカでよくあった嫌がらせや、難くせをつけて金を取ろうとするようなことはまったくなく、何の問題もないが、とにかく時間がかかる。これが30~40キロおきにあるのだから、先に進まない。
話を聞くと、彼らはイラクからのテロリストの入国を警戒しているのだと。そこでその検問所のエライさんに、
確かに山を越えるともうイラクなのだから、そうですねぇ。と言うと、
イラクはその小川の向こうだ。と言う。
エーーー本当に目の前の小川の向こうはもうイラク?と尋ねると、
そうだ、間違いない。と答えた。
あのじいさんの言っていたことは本当だったんだ。
そこで、エライさんに、10キロほど戻って写真を撮ってまた戻ってくる。と頼み、先ほどの橋の所まで戻る。
小川まで30メートルほど降り、小さなその橋を渡り、第88番目の国イラク(不法)入国。
まさか、退避勧告の出ている国に足を踏み入れようとは考えもしなかった。
しかし、ここは実になごやか。緑の芝生に放し飼いの馬。イラク領土を示すと思われる石碑。(一面が崩れていてその他の面には文字はなかったが、小川ぞいにはいくつも同じ石碑が建っていたので、まずそうにちがいないと思う。)
トルコ側から子供たちが私を見つけて走ってやって来る。ではではと、彼らとイラクでの記念撮影。
この地はイラク領であるが、実際のところはトルコの人たちが使っている。馬もトルコの人たちの物だろう。中には小屋を建てて住んでいる者もいる。高い山があるので、それを越えて来てまでほんのわずかの土地を使っても意味はない。とにかく車道でも付いていないと山を越えて来られない。

先ほどの検問所に戻ると、エライさんがチャイでもどうぞ。と、またご馳走になる。
彼との話の中で、彼は私に、
目の前の村の人たちは身なりからして貧しいように思うだろう。
ええ、そうですねぇ。
しかし、彼らはごっそり金を持っているんだ。
ヘェーー、でもどうしてそんなに大金を持っているの?と彼に聞くと、声のトーンを落として小声で私にこう言った。
山越えて毎日イラクへとガソリンの買出しに行っているんだ。一往復で$200になる。だからここではロバが$2000もする。と。
ヘェーー、たぶん夜中に山越えをして、また夜中に戻ってくるのだろう。危険で大変な密輸入。
国を通すわけないので、1リッターでまるまる$2くらいの儲けとなる。
これなら危険な密輸入しても割に合う?

チャイを飲みながら面白い話を聞いた。
普通の旅行者はこの私が取ったルートではトルコからイランには行かない。もっと北の国境を使う。
ひょうたんから駒?
このルートを取ったがゆえにいろんなことを知った。

その夜イランに入国した。

2005-4/1

どうする?

2005-04-10 22:25:33 | Weblog
トルコ南部のアダナの街の大学生エムレら三人は、真近にせまった大きな英語試験のために私の予想以上に勉強している。
私は毎日インターネット屋に通いホームページの更新をした。
奴ら見ていると、本当に微笑ましい。

髭を剃るのに鏡がないので、もう一人が髭を剃ってやっている。
いつも友人の誰かが来て泊まって行くので、ソファに二人で寝ている。ある時は、二つのソファもいっぱいで一人が地べた(じゅうたんの上)に布団もなしに頭から毛布一枚に包まって身動きもせずに寝ていた。カイロの考古学博物館の棺の中の繭に入れられたミイラを思い出した。朝方はまだまだ寒いのに、、、
こんな奴らに少しでもお返しがしたいと、持っていた醤油を使いスパゲティをゆで、それを焼いて肉、野菜を入れて醤油で味付けの焼きそばを作って出した。ナポリタンの醤油味?これは大好評。
気をよくして次の日は、イタリアの中国食材店で買って大切に持っていたラーメンを五袋も開けて作って出したが、これは不評。
今までにも世話になったお礼にと、ラーメンや焼きそばを作って出したことが何度もある(じゃまくさいのでこの二種類しか作らない。自分の時も同じ、これ以外のもの自炊したことない。)が、焼きそばが好評だったり不評だったり、ラーメンもまたしかり。これは難しい。
私にとってはどちらも大変においしいのだが、、、、食事を作って出すというのは、難しい。
たとえ私の口にはあわずともどんな物であれ、やはり小さい時から食べてきた物がその人の口には一番なようである。
それから毎日10日以上晩飯は私が焼きそばを作ることとなった。

彼ら三人とバスで少々辺鄙で雰囲気のよくない所へと行くことになった。午後3時半。そのミニバスには我々とその他三人くらい。
一番後ろの席だったので、私の右隣がエムレ、左隣は空席でその左の窓ぎわ席におっちゃんが寝ていた。居候二人は並んで全席へ。
そこへと三人乗り込んで来て他に空席があるにもかかわらず、わざわざ私の左隣に来て私にピッタリとくっつく。直感的にあやしい。と思い。ポケットをガードする。エムレも気をつけろ!と英語で言う。
すると他の二人のうちの一人と席を入れ替わり、来たやつが何やらゴソゴソしだした。
はじめは気にしなかったが、何か?と見ると右手を背中から廻して寝ているおっちゃんのサイフを狙っている。スリだ!
私がそれに気づくと同じにエムレも気づき、とっさに私に英語で「何も見るな!何も言うな!」と言って釘を刺した。
そう言われて、今にも怒鳴りそうになっていた口が閉じた。共にペルーで強盗にナイフを突きつけられて襲われ、頭を割られたことが、フラッシュバックした。
それに、エムレら三人は本日英語の試験が終わり、一週間の試験休みを使いあと二時間後のバスでエムレの実家のあるイスタンブールへと三人で行くことになっている。ここで何かあって楽しみにしている里帰りのバスに乗り遅れては困る。
そう思い、何も言わずに黙って前を向いていた。
スリ一味の他二人も私がその行為に気づいていることを知っているが、実行犯共々かまわずに続けている。
しかし、どアホ!下手くそ!ゴソゴソやっているうちにおっちゃんは眼をさましスリは未遂に終わる。
”ホッ”とする。
あほめ!何でわざわざ隠すために左手でコート持っているのに、そのコートの下で左手使ってやらへんねん。

バスを降りてエムレが言うには、スリ一味に何か言ったり、じゃまをすると、ナイフを出してかかってくる。だから何も見ないのが良いのだと。
ウーーーーーン、確かに私はペルーのことや彼らに何かあっては困る。と思い黙っていたが、しかし、もしも私一人で乗っていてそれを見たならば、ペルーのことを思い出す以前に
「何しとんねん!どアホ!まともに働いて金稼げ!おっちゃん寝てたらあかんで!」
と大阪弁で大声で怒鳴っていたに違いない。
それをきっかけにスリ一味にナイフで襲い掛かって来られることを考えると、それだけで怖い。
しかし、しかし、その場でそれを見つけたらそんなことまで考えずに動いてしまう。
それが私の悪い?ところ。
もしも、エムレが私に何も言わなかったならば、私は確かにそうしていただろう。今までもそうしてきた。
しかし、しかし、、、、、今後はどうしたら良いものか?考えてしまう。

こんな場に出くわしたなら、あなたならどうする?

見過ごすのか?キケン覚悟で阻止するのか?

イスラームの国は治安良く、スリや盗みなど、ましてや強盗などはない。という私の観念が崩れた。
トルコだからか?

2005.3/29 アダナにて