狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

★まだまだ続く星、上原の衝撃!

2009-06-18 07:45:34 | ★集団自決

人気blogランキングへ クリックお願いします 

【動画】必見!
1/2【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・前半[桜 H21/6/15]

 
                    *
 
世界日報「沖縄のページ」が星、上原両氏の記者会見を掲載!

沖縄戦集団自決~県内知識人が軍命説を根本否定

 文芸誌「うらそえ文藝」最新号で

 先の大戦末期の沖縄戦時に座間味島、渡嘉敷島で起きた集団自決で、当時の守備隊長だった梅澤裕氏と赤松嘉次氏(昭和55年死去)が住民に自決を強要したかどうかの事実関係をめぐって、文芸誌「うらそえ文藝」(沖縄県浦添市文化協会発行)はこのほど、「隊長の自決命令はなかった」とする特集記事を掲載、県内外に波紋を広げている。 (那覇支局・豊田 剛   

 5月に発行された「うらそえ文藝」第14号は、34ページにわたって「集団自決」問題を取り上げた。同誌がこうした政治的問題に触れるのは異例とも言える。特集記事を執筆したのは、「うらそえ文藝」編集長で沖縄県文化協会長の星雅彦氏と沖縄戦ドキュメンタリー作家の上原正稔氏の2人だ。

 星氏は自らによる聞き取り調査を根拠に、上原氏は米軍関係の資料や関係者による証言を根拠に「隊長の軍命令はなかった」として、「軍命説」を地元紙による「でっち上げ」と結論付けている。

 上原、星両氏は9日、県庁記者クラブで緊急記者会見を開いた。会見には地元紙と地元テレビの記者のほか、本土の新聞記者数人が参加していた…

県民は2人の守備隊長に謝罪を 上原氏
マスコミの「強制集団死」は誤り 星編集長


 星氏は冒頭、「集団自決はこれまで隊長命令と信じられていたが、その誤解を解きたいというのが記者会見を開いた理由だ」と会見理由を述べた。

 上原氏は「あたかも(赤松嘉次、梅澤裕両隊長の)2人を悪者に仕立てた沖縄タイムス、琉球新報の責任は非常に重い。そして、沖縄県民は知らず知らずのうちに犯罪者に加担してしまっている。真実が明らかになった今、県民は誤りを認めて2人に謝罪すべきだ。これが人間の尊厳を取り戻すということ」と訴えた。


 上原氏も初めは1950年に沖縄タイムスが発刊した『鉄の暴風』が正しいと思い込み、曽野綾子氏が1973年に出版した『ある神話の背景』で自決命令説を否定した際も、守備隊長による軍命を信じて疑わなかった。

先入観を振り払うのは大変なこと」という上原氏は、米国の資料などと照らし合わせるうちに『鉄の暴風』が現地調査もせずに書いた「デタラメ」であったと気付いた。

 特に手榴弾の配布を自決命令の根拠とする説について、上原氏は「当時、手榴弾2発ずつが防衛隊員によって渡された。防衛隊員は軍人と同じ格好をしていたため間違えやすいが、現地招集者だ」と説明、旧日本軍が配布しなかった事実を強調した。

 また、上原氏は「自分の親兄弟、親族を殺した人が戦後の援護法(戦傷病者戦没者遺族等援護法)で莫大な見舞金を受け取っている。この事実を隠したいがために、島の人々は本当のことを言わずに黙っている。

そして地元2紙が事実を隠そうとしている。悲劇が悲劇に輪を掛けている」と述べ、援護法で沖縄県民を救済するために守備隊長が「軍命」を事実に反して認めた背景を説明するとともに、この事実を公表するよう当事者に求めた。

 一方、星氏は、沖縄県史編纂で68年に慶良間諸島を訪問した際、『鉄の暴風』と住民の証言に食い違いがあることに気付いたが、県内マスコミは異論を挟めない状況だったことから長らく沈黙してきた。

 しかし、「昨年発行した(「うらそえ文藝」)第13号の編集後記で集団自決問題に触れ、県内外の読者から『続きであなたの考えを述べてほしい』という激励を多くもらい、今号で詳しく特集することを決めた」と特集掲載の理由を説明した。

 「マスコミは最近、『集団自決』ではなく『強制集団死』という言葉を用いている。当時は天皇陛下のため、国のために死にたいという人もいた。『強制集団死』と言うと、当時の全体の空気を否定することになる」

 星氏はこう語り、「うらそえ文藝」が自決問題を再考するきっかけになることに期待を示した。

 地元紙は13日現在、記者会見内容の記事を掲載していない。集団自決の検証をしている団体は、インターネットを通じて両氏の主張を近く発信する予定だ。

 守備隊長や遺族らは、『鉄の暴風』の記述を基に書かれた『沖縄ノート』の著者、大江健三郎氏と出版社の岩波書店に対し、名誉毀損の損害賠償と出版差し止めを求めて訴訟を起こした。

昨年3月、10月の一審、二審判決では、自決命令について「認定するのは躊躇を禁じ得ない」「証拠上断定できない」とした上で、「真実と信じるに足りる相当の理由があった」「公正な論評も逸脱していない」として名誉毀損や出版差し止めの原告側の主張を退けた。原告側は上告し、現在は最高裁で争われている。

 沖縄の知識人が「(集団自決)軍命説」を正面から書物発刊で否定したのは今回が初めて。県民は、上原、星両氏の主張をどう受け止めるのか、また「うらそえ文藝」が二審後の証言として最高裁にどのような影響を与えるのか、注目される。(9/6/14付 世界日報) 

                   ◇

共同記者会見という公の場所で、星雅彦氏と上原正稔氏は、沖縄タイムス、琉球新報両紙を前にして、

両紙がウソをついている」

「事実を隠そうとしている」

「言論封殺をした」などと、

新聞としては致命的ともいえる批判を浴びせている。 

もし彼らの批判が根も葉もない虚言であれば両紙は当然何らかの反論をして前言を取り消させ謝罪させるのが世論を気にする新聞の行う行動だろう。

仮にそれを拒否されたら法的対抗手段も当然ありうる。

だが二紙とも反論どころかウンともスンとも答えることなく、ただ沈黙を守るだけである。

星、上原両氏が取るべき次の手段は、勝利宣言を公にすることだ。

「両紙が沈黙を守るということは、我々の告発は正しい、と沖縄二紙が認めたことである」と。

反論できないということは敗北を認めたことになる。

だが、沖縄二紙が今後両氏の勝利宣言に紙面を提供するとは考えられないので、『うらそえ文藝』集団自決・臨時増刊号の出版を勧めたい。

『うらそえ文藝』(4号)は注文が殺到し、目下品切れ中のことなので、臨時増刊もその話題性からいってベストセラーになること間違いないと思われる。

両氏は突然「隊長命令はなかった」と言い出したのではなく、過去にも同じような論調の文を多数活字として残しているので、それを拾遺して再発表することも出来るし、仲程琉球大学教授のような「軍命ない派」の論文も掘り起こして掲載できる。

一例をあげれば星氏は約40年前の沖縄タイムスに次のような文を寄稿している。

3月26日に赤松元大尉が来沖してから29日に慌しく去るまで、反戦平和の民主団体から怒りの声が起こり、ジャーナリズムはその抗議の様子を報道し続けた。
 私は記者団にまぎれこんで赤松一派をずっと追跡したが、詳細は別の機会にゆずるとして、
問題の自決命令のことを考えると、赤松が直接命令したかどうか、結論を急げばどうも疑問符が次々と出てくるのである。>(沖縄タイムスコラム 1970年4月3日)

>反戦平和の民主団体・・

新聞報道では赤松氏を追い返したのは、島の住民達ということだったが・・・・。

そして星氏が文章を次のように結んでいる。

そこで告発を徹底するためには、軍国主義に忠誠だった村の指導者たち(思想を先取りして、村民を足手まといに扱ったふしがある)にも向けてしかるべきであり、一人一人あの時点でどうだったか、真実をさらす勇気が問われるべきだと思。>(同上)

星氏は約40年前の時点で、集団自決の真相は「軍国主義に忠誠だった村の指導者たち(思想を先取りして、村民を足手まといに扱ったふしがある)にも向けてしかるべきであり」としている。

 

■あるサヨク教授の沈黙■

同じ頃、安仁屋政昭沖国大名誉教授の同僚のサヨク学者儀部景俊沖国大教授(当時)も星氏と同じ論調の論文を発表している。

1972年5月6日発行の『これが日本軍だ』(沖縄県教職員組合)の編著者である儀部景俊沖国大教授は戦争責任追及について次のように書いている。

(1)沖縄県民が全体が被害者であったとして、沖縄で帝国主義戦争推進の役割り果たした戦争指導者の責任を不問に付してはならない。

(2)渡嘉敷島や久米島の例にみられるように、責任追及の対象を特定の日本軍将校個人に限定することは、戦争の性格や責任のありかたをあいまいにするというになるということ。(『これが日本軍だ』)

軍人らしい言動で住民を扇動した人物には宮里盛秀氏山城安次郎氏の他にも米軍統治下の沖縄の主席を勤めた当間重剛氏や、その前の沖縄群島知事を勤めた平良辰夫氏らがいる。

沖縄の米軍は本土で行われたような「軍国主義扇動者」に対する公職追放は実施しなかった。

ちなみに儀部教授は安仁屋教授と同年に広島大学を卒業し、同時に那覇高校の社会科教諭になっている。

以後、同僚の安仁屋教諭と共にマルクス史観による沖縄戦史を研究し、ほぼ同時期に沖縄国際大学に赴任している。

どちらかというと儀部氏の方がリーダー的役割りを果たしており、『これが日本軍だ』の場合もそうだが、安仁屋氏との共著では常に儀部氏が代表編著になっていた。

例を挙げると、こんなのがある。

『戦後沖縄の歴史』 (儀部景俊, 安仁屋政昭, 来間泰男. -- 日本青年出版社, 1971 )

なお共著者の一人来間泰男氏は沖国大の後輩教授で、儀部、安仁屋両氏が大学卒業後始めて教師として赴任した那覇高校当時の教え子である。

だが不思議なことに復帰後は、安仁屋教授の沖縄マスコミにおける先鋭的な活躍に比べて、儀部教授の名を沖縄紙の紙面で見ることはない。

儀部教授の心境に一体何があったのか。

人気blogランキングへ クリックお願いします 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

このアイテムの詳細を見る

ジャンル:
ウェブログ
コメント (4)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 世にも不思議な物語 霊界か... | トップ | ★こんな民族に選挙権だと!?在... »
最近の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (義挙人)
2009-06-19 01:50:48
在日朝鮮人に選挙権?
とんでも、ハップンです。WHY ?,WHY?  もしそうなったら、核爆弾が、わが国に落とされたのも、同然です。
みんなで頑張れば阻止出来る。
[YES WE CAN]
Unknown (狼魔人)
2009-06-19 09:22:02
義挙人さん


>もしそうなったら、核爆弾が、わが国に落とされたのも、同然です。

スパイ防止法のない国にスパイを住まわしているだけでも危険なのに、スパイに選挙権なんてとんでもない話ですね。

Unknown (いつも読んでいます)
2009-06-19 17:34:46
狼魔人さま
ブログの更新をいつも楽しみにしています。
私も沖縄県民ですが、県内の新聞では全く取り上げないので、記者会見動画の紹介等々、大変ありがたいです。
星さん、上原さんのこれからの活動に期待します。
梅沢さんがお元気なうちに、はっきりさせたいですね。
では。
Unknown (狼魔人)
2009-06-20 08:17:12
いつも読んでいます、さん

>県内の新聞では全く取り上げないので・・・

ネットが普及する以前でしたら、この手で世論を誘導できたでしょうが、いくら新聞が無視してもネットで全国に情報は走っています。

沈黙を続ければ新聞の「敗北宣言」とみなされるでしょうね。

そして県民の新聞離れが加速するでしょう。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL