狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「うつろな目の少女」の秘密!

2007-09-23 12:28:56 | 教科書


琉球新報 金口木舌2007年9月7日掲載  

 雨が降るさまを表す言葉はいろいろあるが「遣(や)らずの雨」は情趣を感じさせる。別れが惜しい訪問客を引き留めるかのように、急に降りだした雨を言う
▼「馬の背をわける」も乙だ。馬の毛並みが雨模様を連想させるのだろう。左右を分けるように、一方は晴れて片方は雨が降る状況。ウチナーグチだとカタブイ(片時雨=国立国語研究所沖縄語辞典)だが、残暑が続く中、このところカタブイが目立つという(略)

                   ◇

琉球新報の味のあるコラムに感心していたら、「遣らずの雨」で同じ新報の2週間前の「うつろな目をした少女」という衝撃的記事を思い出した。

沖縄戦を伝えるため伊丹市からわざわざ琉球新報を訪れて証言した大城盛俊氏の驚愕の記事のことだ。

教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる

2007年8月25日琉球新報

「沖縄がいつまでもバカにされたままでいいのか。沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴える大城盛俊さん=那覇市天久の琉球新報社

 「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。24日、琉球新報社を訪れた大城さんは、史実を歪める教科書検定の動きに「教科書が嘘(うそ)をついて、その嘘を教えられた子どもたちが大きくなったらどうなるのか」と懸念し、憤りで声を震わせた。
 表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。
 大城さんは、1945年4月1日の米軍の沖縄本島上陸後に家族と玉城村のガマ(壕)に避難したときのことを鮮明に記憶している。そこには200―300人の住民がいた。5月下旬、日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。彼らは黒砂糖が入った大城さんのリュックサックを取り上げようとした。大城さんが「取らないで」とお願いすると、「生意気なやつだ」と壕の外に引きずりだし、激しく暴行。硬い革靴でけり飛ばされた大城さんは気を失った。殴られた右目は失明した。
 数日後、大城さんは米兵に助けられた。同写真は診療所の前で撮影された。(略)
 (深沢友紀)

                     ◇

                                              

連日地元紙に登場する沖縄戦の証言者の話には一応目を通しているはずだったが、上記記事は不覚にも見落としていた。

後日、「12歳の少年が何故女装していたの」と知人に聞かれ、記事を改めて読み返してみたが、記事の意味が良く飲み込めなかった。

「男装の少女」は米兵の毒牙を逃れるため米軍占領後しばらくの間、沖縄のいたるところでよく聞いた話。

だが、逆におかっぱ頭の「女装の少年」の話は今回初めて記事で知った。

「男装の女性」が米兵の目をごまかす目的だったという先入観で、男の子が女装をした理由は記事によると次の通りだった。

「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」

という義父の言葉だ。

この文言を見ると容易にミスリードされてしまう。

「やられる」を「兵隊に遣(や)られる」では無く「兵隊にヤラれる」と誤読してしまったのだ。

言うまでなく、ここで言う「ヤラれる」とは「強姦される」を意味する。

「遣らず雨」の粋な意味は消え去り「ヤラれる」という直裁な表現だ。

連日の「日本兵は残虐だ」とのキャンペーン記事を見ていると、日本兵は「少年をヤル」までに鬼畜に陥っていたのかと一瞬目を疑ったくらいだ。

だが、ここで疑問が残る。

それでは、少年はヤルが少女ならヤラない鬼畜兵が沖縄に集中していたのか。

換言すれば沖縄に集結した日本兵はホモ集団だったのか。

■「うつろな目をした少女」■

問題のおかっぱ頭の少女の写真は新報のウェブサイト記事には掲載されていないが、沖縄戦史では「うつろな目をした少女」として有名な写真である。

だが、地元でこの「少女」が男の子であること知っている人は少い。

この写真が掲載されている「写真で見る沖縄戦-住民篇」では「ヤラれる」を「殺される」と説明している。
http://www.okinawa-sen.or.jp/060214/index.html

うつろな目をした”少女”
実は日本兵に殺されないようにおかっぱ姿にしていた少年
1945.6.21具志頭
 
 

 >日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。彼らは黒砂糖が入った大城さんのリュックサックを取り上げようとした。大城さんが「取らないで」とお願いすると、「生意気なやつだ」と壕の外に引きずりだし、激しく暴行。硬い革靴でけり飛ばされた大城さんは気を失った。
  特集 「写真で見る沖縄戦-住民

戦争末期になると、戦況悪化、長期化により兵士が不足し、兵役対象者が大学生にまで及んだ(学徒動員)。

そこで、沖縄においても、1945年3月に“鉄血勤皇隊”として沖縄の学徒が召集された。

日本陸軍第32軍の「鉄血勤皇隊ならびに活用に関する覚書」によると、

「各学校ごとに鉄血勤皇隊を編成し、軍の緊密な協力の下で軍事訓練を施し、非常事態ともなれば直接軍組織に編入し戦闘に参加させる」
 
と記されており、当初から軍の援助・指導を前提に、県立学校が積極的に軍事訓練・戦闘へ取り組んでいたことが伺える。
さらに、その添付文章などによると、召集対象年齢を下回る14~16歳の学徒についても召集に備えた書類を作ることが定められた
 
そうした覚書・協定に基づいて、当時の沖縄県庁は、各学校で集めた学徒名簿を軍に提出し、沖縄の14~16歳の少年を動員した。(ウィキペディア)
 
戦争が長引けばそのうちこの少年も正式に招集される。
 
結局、この話は12歳の少年が兵役の手伝いを逃れるためにおかっぱ頭の少女に変装していたのではないか。
 
 
一方。これとは逆に米兵の獣欲から逃れるため長い髪を坊主頭にして顔に泥を塗って薄汚い少年に化けた話は、沖縄では密かに語られる実話である。

米兵蛮行の象徴 「ボンベの鐘」 

<時鐘は時計の代わりだけでなく、時代の相を写す鏡でもあった

米軍占領下の沖縄の歴史を知る上でどうしても語らねばならぬ、もう一つの「鐘」がある

不発弾を利用した「ボンベの鐘」のことだ。

形はボンベだが、実際は不発弾の爆薬を抜き取った「不発弾の鐘」と言ったほうが正確だろう。

 

 

←「ボンベの鐘」

 

「鬼畜米英」と信じ込んでいた米軍は“思ったより”親切だった。

年寄りの傷の手当てをしたり、赤ん坊にミルクを与えたり・・・。

だが米軍はヒューマニズムに溢れていたというのは神話に過ぎなかった。

米軍の沖縄占領から数年間の米軍の蛮行はマスコミには封印されたままである。

当時の沖縄住民は米兵の蛮行には目をつぶって耐える以外にはなかった。

現在70歳以上の女性なら、1945年の占領当時から数年間、各集落の入り口にぶら下っていた米兵監視用の「鐘」のことを覚えているはずである。

米兵の蛮行から身を護るために沖縄住民が考えただした「ボンベの鐘」のことを。

<この鐘は部隊に近いところの集落にかけられているものです。収容所のところです。これは夜な夜な集団で米軍の兵隊が集落内に襲ってくるときに、危険を知らしめる鐘だったんです。このボンベを打ち鳴らされる数は、あるいはそれ以上の数が女性たちに性的暴力を奪っていったという、一つのシンボルといいますか、今でもこれは砂辺地区に残っているボンベです。このことを島マスさんは女性は安心して当時は外出もできなかった。家の中にいても、いつ米兵が入ってくるか分からない。人々は自衛手段としてボンベの鐘を打ち鳴らしました。占領地の沖縄は無法地帯でした」という表現があります。>(沖縄県収用委員 第8回会審理記録」の一部抜粋)http://www.jca.apc.org/HHK/Kokaishinri/8th/Matayosh
i8.html

 

現在の判断基準で考えれば、12歳の少年を将来兵役に取られるのが忍びがたく我が子をおかっぱ頭の女の子に変装させて兵役を逃れさせる親心はよく理解できる。
 
だが、時代は62年前の戦時中のこと。
 
当時の基準で言えば兵役拒否であり「非国民」といわれても仕方のない行為だ。
 
食料を要求する日本兵を「取らないで」と拒否した“少女”がもみ合ううちに男であることがばれてもおかしくはない。
 
記事では書かれていないが「生意気だ」という一言より
 
「女の癖に生意気だ。 おや、貴様男だな。 兵役拒否したな!」といって殴られたと言う方が自然だろう。
 
さらに冒頭の琉球新報記事にはもう一つ疑問が残る。
 
1983年、喉頭(こうとう)がんで声帯を失ったが、人工声帯で沖縄戦の実相を全国各地で語り続ける。講演は23年で1120回を数えた。

 
23年間に1120回の講演会をこなすとは、単純計算をしても1週間に1~2回の講演会を23年も続けたことになり、ある意味で講演会のプロともいえる。
 
その講演会のプロが「うつろな瞳をした少女」の本人なら、わざわざ伊丹市からインタビューのためだけに琉球新報を訪れて一回の講演会も無く帰るのが不可解だというのだ。
 
地元紙は今まさに沖縄戦の証言者で大キャンペーンを張っている真っ最中ではないか。
 
日本軍の残虐性を訴えるのに「うつろな瞳をした少女」ほどおいしい演題はないはずだ。
 
講演会のプロが一回も講演会をせずに尼崎に帰ったのには訳があったのだろう。
 
沖縄では米兵を逃れるための「男装の女性」の話は数多いが日本兵から逃れるための「女装の男性」の話は大城俊盛氏以外には聞いた事が無いのだ。
 
本土各地では「うつろな瞳をした少女」として講演を続けられても現地の沖縄では実質上の「徴兵拒否」がばれてしまうのを恐れて琉球新報も講演を避けたのではないか。
 
さらにもう一つ、「釣りキチおやじの言いたい放題」が同じ記事に次のような疑問を投げかけている。
 
≪マスコミの世論操作、『「兵」と「軍」との巧妙なすり替え』
「教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる」との記事が、8月25日16時4分付で琉球新報から発せられた。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-26594-storytopic-
1.html

この中に、
日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。(略)「日本兵は本当に恐ろしかった。住民を『スパイだ』と決め付けて虐殺したところも見た。捕虜になれば男は戦車でひき殺され、女は暴行され殺されると言い聞かせ、住民を死(集団自決)に追い込んだのは日本兵だ」と厳しい口調で語る。
との記述がある。
(略)
しかしながら、此処には巧妙な論理のすり替えがある。
事実は日本『兵』なのに、結論は日本『軍』となっていること。
『個としての組織の構成員』が、何時の間にか『全体としての組織それ自体』にすり替えられてしまっている事である。
生きるか死ぬかの極限状態を潜り抜けた、当時は12歳の少年、しかもそのときの苦しみを今も引き摺らざるを得ない運命に置かれている方の言については云々する立場にはないが、この方の言を奇貨として、しかも論理をすり替えてまで世論操作を行おうとは、言語道断と言わざるを得ない。 ≫
 

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