狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「嘘つきおじぃ」と「嘘つき新聞」

2008-08-02 07:17:09 | ★集団自決

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子供たちをイデオロギー闘争に引きずり込むのは、沖縄紙の常套手段だが、昨年の「11万人」集会では男女高校生を演壇に引っ張り出して、「沖縄のおじぃおばぁ」がウソつく筈がないと絶叫させ、良識ある県民を呆れさせた。

年寄りと子供を政治運動に使った仕掛け人の沖縄タイムスが、論理の欠片もない情緒綿々の社説を書いているので冒頭部分を引用するが、再度読み返してもクサイ・迷文でアル。

 <科書検定をめぐる九月二十九日の県民大会で、心に残る印象深い場面があった。読谷高校の津嘉山拡大君と照屋奈津美さんが高校生を代表して演壇に立ち、検定意見に疑問を投げ掛けた時のことである。

 「沖縄戦を体験したおじぃおばぁたちが嘘をついていると言いたいのでしょうか」

 「私たちは真実を学びたい。そして、次の世代の子どもたちに真実を伝えたいのです」

 タオルを握り締め何度もうなずきながら話を聞いているおばぁ。小さい体を丸めて目頭を押さえるおばぁ。そういう姿を壇上から見て、胸が熱くなった、と津嘉山君は語っている。>(沖縄タイムス社説: 12月28日 【教科書検定審報告(下)】幾つもの問いが残った

ところが沖縄タイムスが創り上げた「ウソをつかないはずのおじぃ」に、大ウソツキがいたというので話はややこしくなる。

この「ウソツキおじぃ」、繰り返し、繰り返し、ウソをつき続け各地の講演会でウソをつくにとどまらず、

法廷の証言台でもウソツキを試みた。

だが、さすがに偽証罪に問われる法廷では、自分のこれまでついて来たウソをあっさり撤回した。

「ウソツキおじぃ」と「ウソツキ新聞」の実体を真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から63年 3部<7>を引用して検証する。

<沖縄タイムス 「正確・人権」に欠ける報道
占領下の呪縛引きずる
 (前略)

 昨年、集団自決に関する教科書検定意見をめぐって沖縄世論が沸騰した中、金城氏は六月二日、那覇市で沖縄タイムス主催のシンポジウム「挑まれる沖縄戦―『集団自決』検定を問う」で、当時の体験を述べた。同紙が六月八日付でその詳細を報じている。

 「私たちは日本軍の強制、命令、抑圧によって精神的に追い詰められ、死に追い込まれた。軍の存在なしに住民が自発的に死を選択することは決してなかった」

 「私は渡嘉敷島の赤松嘉次守備隊長から直接聞かされたことをはっきり覚えている。『われわれ軍隊は、戦況を報告するため最後まで生き延びなければならないが、住民はそうではない』」

 牧師であり、短大の学長経験者でもある氏の発言として、二十万人読者を持つ沖縄タイムスが報じた影響はすこぶる大きい。この発言を真に受ければ、赤松元隊長とは自分たちは何としてでも生き延びる立場だが、「住民はそうではない」すなわち住民は死んでも構わないと語る、卑劣な軍人となってしまう。これは赤松氏の人格にかかわるだけの問題ではない。

 つまり、「日本軍は住民を守らない」という左翼の主張に合致し、作家大江健三郎氏が『沖縄ノート』の命題とした「沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生」(六十九ページ)を裏付けるものだ。

 本当に、金城氏はこのような発言を赤松氏から聞いたのであろうか。

 その点を、昨年九月十日、福岡高裁那覇支部の法廷で沖縄戦集団自決訴訟の原告側代理人が、証人として立った金城氏に尋ねた。

 すると、金城氏はこの発言をあっさり撤回。「私がふと言った言葉」であり、「これはちょっと削除してください」「私ははっきり言ってない」と弁解した。(略)>(世界日報)

つまり、これまでバラ撒いてきたウソ(集団自決は隊長命令)を、、法廷では、

「私がふと言った言葉」であり、「これはちょっと削除してください」「私ははっきり言ってない」と撤回しているのである。

だが金城氏がついたウソより、更に重大なウソは、

沖縄タイムスのウソ報道である。

それまで金城氏の「ウソの代弁者」として、県民を騙してきたタイムスは、法廷記録が公になった十月には、金城氏がこのウソ発言を撤回したことを知り得た立場にある。

それにもかからずである。

沖縄タイムスが、キャンペーン報道をまとめた同社刊『挑まれる沖縄戦』に収録された金城氏のウソ、「住民はそうではない」という発言は、

何の訂正も無くそのまま掲載されているのだ。

沖縄タイムスは当然、金城氏が法廷で発言の撤回をしたことも確認していながら、あえて金城氏のウソ発言をそのまま掲載した。

ウソと知りつつ・・・・。(歌謡曲の歌詞で聞いたような文句だが)

沖縄タイムスはこれまでも、読者を馬鹿にしているとしか思えないような手法で、捏造報道をしてきた。 

非公開だった金城氏の証人尋問での発言撤回についても、そんなことは誰も気付くまいと、読者をなめきったいつもの手法で、法廷証言を黙殺したのであろう。 

冒頭に挙げた高校生の次の言葉を、

「ウソツキおじぃ、とウソツキ新聞」にそのままお返ししたいのだが・・・。

「私たちは真実を学びたい。そして、次の世代の子どもたちに真実を伝えたいのです」

 

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若い人がいなくなるかも? (Munakata)
2008-08-02 10:20:22
私の会社で大学時代アルバイトを4年間していた子がこちらに(東北の地方都市ですが)戻ってきております。 はっきり言えば沖縄を捨てたのかも知れません。 理由ははっきり言っていませんが、なんか沖縄が自分には合わなくなったような事を言っておりました。 ご両親も、生活基盤もちゃんと沖縄にあるのに
なんか聞いてて悲しくなりました。
もう一人これは女の子ですが、教職をとって
沖縄で先生をしていたはずなのですが、今は
東京に居るみたいなのです。(これは会社の
女の子から聞きました)
たまたまなのかも知れませんが、沖縄はなん
かが違うのではないかと思います。
若い人を大切にして欲しい、年寄りの面子
だけで生きているような気がします。

ある遺稿集 (太平山)
2008-08-02 22:52:35
狼魔人さま

こんばんは。またまた失礼します。資料の沖縄タイムスの社説の中に懐かしい名前がありましたのでそれについて少しばかり話してみましょうね。

【引用開始】
土地の記憶・国民の記憶
かつて沖縄に中屋幸吉という詩人がいた。米軍統治下に生きた中屋は、文学と社会運動に身を投じ、復帰前に若くして自ら死を選んだ。彼の残した言葉にこんな表現がある。
 
「キミハ ソッチカラ オレヲナガメ オレハ コッチガワカラ キミタチヲ ミテイル」
 
この表現の真意は分からない。本土の視線を見返す沖縄の視線のようにも感じられる。確かなことは、「キミ」と「オレ」の間に深い溝があることが自覚されていることだ。

【引用終了】

この記事を書いたのは全共闘世代でしょうね。編集長でしょうか。上記の言葉は中屋幸吉の遺稿集「名前よ立って歩け」からの抜粋ですね。続きを紹介しましょう。

「今日 エイガ ミタ 小林旭ノ ボクトシテハ ヒトガ殺サレ シンデイク シュンカンノ描写ガ オモシロカッタ エイガデハ ミンナ タノシソウニ コウフクソウニ シンデイク ダガジッサイハ 殺スノモ 死ヌノモ ムツカシイ カコクナ イシガ イル」

当時は遺稿集がはやりましたね。高野悦子の「20歳の原点」山村政明の「いのち燃えつきるとも」等がありました。それらを読むと、何か生きているのが申し訳ないような気がして死なねばならないのかと本気で考えるようにもなりました(笑い)。冗談ですけれども。

しかし「深い溝があることが自覚されていることだ」なんて大層ぶった言い方ですね。いい年した大人であれば例え家族であろうとも、大なり小なりそれは存在すると認識するのが当たり前の話ではないでしょうか。この社説は続いてこう言います。

>今回の教科書検定であらわになったのも、日本軍による強制を認めようとしない「キミ」と、史実がねじ曲げられることを憂慮する「オレ」の対立の構図だった。沖縄の戦後史は、今に至るまで、このような図式の繰り返しだった、ともいえる。<

これなどは何と表現したらいいのでしょうか?溝があることを嘆いているのであれば女学生のような方だと言いたいのですが、何とも身勝手で傲慢な文章ですね。まっこと「○○と小人は養い難し」です。

私なら「殺スノモ 死ヌノモ ムツカシイ カコクナ イシガ イル」それこそを考えるべきだと思いますが。

中途半端ですみません。それではまた。




Unknown (狼魔人)
2008-08-03 10:31:05
◆Munakataさん

沖縄の若い人の中にも沖縄紙を妄信してミョウな言動に走る連中もいますが、ネットの普及のせいか、冷静にモノを見る若者も増えています。

楽観主義なのかも知れませんが、沖縄もこの数年で変わっていくような気がします。

>もう一人これは女の子ですが、教職をとって
沖縄で先生をしていたはずなのですが、今は
東京に居るみたいなのです<

このような元気のある若い人が増えるのは沖縄にとっても良いことだと思いますが・・・。

又コメントください。


◆太平山さん

いやいや、タイムス社説の引用文の解説参考になりました。

社説がクサイ文章だったのは全共闘の遺稿ならぬ「遺恨」が満ちていたせいなのですね。(笑)

>>今回の教科書検定であらわになったのも、日本軍による強制を認めようとしない「キミ」と、史実がねじ曲げられることを憂慮する「オレ」の対立の構図だった。沖縄の戦後史は、今に至るまで、このような図式の繰り返しだった、ともいえる。<<

全共闘の「思い込み」に無理やり読者を引き釣り込もうと言う焦りが感じられます。

いずれにしてもくだんの社説が「語るにに落ちた」クサイ文であることだけはは間違いないですね。(笑)

また面白い話聞かせてください。
ある遺稿集(2) (太平山)
2008-08-05 20:21:34
狼魔人さま

こんばんはまたお邪魔します。30年以上前に読んだ中屋の遺稿集を今読もうとは、思いもよりませんでした。手元にあることが不思議なくらいですから。これも何かの縁でしょう、タイムスが引用した中屋の詩を私なりに考えてみたいと思います。

はっきり言いましてタイムスの解釈はこじつけが強いですね。中屋の詩を引用することにより箔をつけたかったのか、ある魂胆がみえみえです。おそらく中屋の詩など誰も知らないだろうと思ったことでしょう。そうでなければあのような解釈をするはずがありません。全共闘ばりの高級言葉で言えばスノビズムの腐臭が漂う社説といえましょうか。

ここでタイムスが引用した中屋の詩のフレーズをもう一度紹介しましょう。

【引用開始】

「キミハ ソッチカラ オレヲナガメ オレハ コッチガワカラ キミタチヲ ミテイル」
 この表現の真意は分からない。本土の視線を見返す沖縄の視線のようにも感じられる。確かなことは、「キミ」と「オレ」の間に深い溝があることが自覚されていることだ。

【引用終了】

この部分の前段には次の言葉が入ります。
「闘ウヤツハ 闘エバイイ 生キテイル以外ニ能ノナイ奴ハヤッパリ ノコノコシテイイ モウダレニモ会イタクナイ イキテイル奴ハ ボクト カンケイナイヨ」

中屋を解くキーワードは「私は永遠の自殺者」というように「死」にあります。あの詩の題名は「最後のノート」ですから死を決意した中屋の訣別の詩でしょう。したがって次の言葉に関して。

「キミハ ソッチカラ オレヲナガメ オレハ コッチガワカラ キミタチヲ ミテイル」

この言葉の意味は中屋が自らは死人として現世の友に語っている言葉であると考えています。ある言葉を補足すると以下のとおりになります。

キミハ ソッチカラ(この世から) (あの世にいる)オレヲナガメ オレハ コッチガワカラ(あの世から) キミタチヲ ミテイル

あの世は彼岸でありこの世は此岸ですね。ところが中屋は死人で視座はあの世にありますから中屋にとってあの世は此岸(コッチガワ)となります。間に横たわるのは三途の川ですね。

三途の川は深い溝ではない。仮にそうだとしても中屋は自身から三途の川を渡ったのだから、三途の川を問題視したわけではない。ましてやそれに嘆き絶望したわけでもない。

上記は「確実に死ぬのだ!」という中屋の過酷な意志が感じられる部分であると考えています。

せっかくですから次に中屋の「最後のノート」の全部を紹介したいと思います。

ある遺稿集(3) (太平山)
2008-08-05 20:27:04
最後のノート

アメガフッテル アメガフッテル
   トオオク トオオク ニモ フッテル
   チイサイ チイサイ イノチノウエニモ
   アメハ ヤッパリ フッテイル
   イシモ ヌレテイル
   ソラモ
   ユビノサキモ ヌレテイル
   ドウシヨウモナク イタシカタナク
   ヌレテユク
 
   イマ
   カナシイトモ オモワナイ
   タダ
   ミョウナ 深ミ
   エジプトノ ピラミッドノ
   アノ中ノ石棺ノ
   ワビシサガ
   ナントモ ジブンノ モノノヨウダ
 
   あめ あめ あめ あめ
   あめふうり
   あめふうり
   喫茶店
   みんな おちてくる人だ

闘ウヤツハ 闘エバイイ 生キテイル以外ニ能ノナイ奴ハヤッパリ ノコノコシテイイ モウダレニモ会イタクナイ イキテイル奴ハ ボクト カンケイナイヨ

キミハ ソッチカラ オレヲナガメ オレハ コッチガワカラ キミタチヲ ミテイル

今日 エイガ ミタ 小林旭ノ ボクトシテハ ヒトガ殺サレ シンデイク シュンカンノ描写ガ オモシロカッタ エイガデハ ミンナ タノシソウニ コウフクソウニ シンデイク ダガジッサイハ 殺スノモ 死ヌノモ ムツカシイ カコクナ イシガ イル


中屋幸吉著 「名前よ立って歩け」より

それではまた。


Unknown (狼魔人)
2008-08-06 19:36:20
太平山さん

思わぬ機会で、最近はめったに読むことも無くなった詩を、それも郷土の詩人の詩を読ましていただきました。 ありがとうございます。


>エイガデハ ミンナ タノシソウニ コウフクソウニシンデイク ダガジッサイハ 殺スノモ 死ヌノモ ムツカシイ カコクナ イシガ イル<

このくだりを読んで、手榴弾で皆揃って一気に死ぬことが出来ず、カミソリや棒切れで殺しあった「集団自決」の証言と重なるものがあり、
「殺すのも死ぬのも過酷な意思がいる」と深く考えさせられました。

>全共闘ばりの高級言葉で言えばスノビズムの腐臭が漂う社説といえましょうか。

同感です。

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