狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

より興味深い尖閣問題、尖閣と中尊寺と日本の真珠王と卓球と

2017-08-11 07:32:36 | 未分類

 

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 上記講演会のテーマである「尖閣問題」をより興味深く理解するため、「尖閣と中尊寺と日本の真珠王と卓球」という過去記事を引用します。

一見、何の脈絡も無いテーマを無理やりこじつけした印象を受けるでしょうが、すべてが尖閣に深く関連していることを知ったら、驚くと同時に尖閣に対する興味が一段と深くなるでしょう。

つまり、上記講演会に参加される方は、是非下記を読んでください、ということです。

以下、尖閣と中尊寺と日本の真珠王と卓球と 2010-12-10 の引用です。


■尖閣と中尊寺と日本の真珠王と卓球と

 尖閣諸島を巡る日中の対立を機に、主権意識に目覚めた日本国民が、これまで無関心だった日本の固有の領土に関心を持つようになってきた。

これは中国の恫喝が日本にもたらした一つの奇貨である。尖閣諸島は、福岡県八女出身の古賀辰四郎が明治期に開拓に取り組んだ歴史を持つ。 

その後辰四郎が那覇市に創業した古賀商店を長男の善次が引継ぎ、石垣島で、虫下しの海人草(マクリ)や貝殻細工の貝殻の輸出などを手がける。

そして、二代目当主古賀善次の時代に、こんな史実を残している。
1919年、善次らは尖閣諸島近海で遭難した中国漁民31人を救助し、石垣島に運んで手厚く看護した。

翌年、当時の中華民国は長崎領事館を通じて善次らに感謝状を贈った。(※【おまけ】参照)

その文面には、漁民が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島に漂着した際…」と明記されており、当時の中国が、尖閣諸島は日本の領土として公式に認めていたことを物語っている。

ここで話が急転し、今中国の領海侵犯で揺れる尖閣諸島が、日本の国宝である奥州平泉の中尊寺と関わりがあるとか、日本の真珠王・三木本幸吉と縁が深い,

さらには「卓球」という言葉は尖閣の2代目当主に端を発し、それが全国に流布したなどとと言い出したら、話があまりにも唐突過ぎてホラ男爵との誹りを受けかねない。

だが、筆者は古賀辰四郎が創業した古賀商店で、長年番頭をしていた日高栄次郎の次男・剛に取材する機会を得て、尖閣と中尊寺そして日本の真珠王との関係を知ることが出来た。

子宝に恵まれなかった2代目古賀善治は番頭日高栄次郎の次男剛を養子にして古賀商店の三代目にする内諾をしていた。 そうなれば当然日高剛が尖閣諸島の三代目の持ち主になるはずであった。 

だが、実際には現在の持ち主栗原国起に譲り渡された。 

何故養子縁組が破談になり、日高剛が古賀家(古賀商店)の三代目ならなかったのか。 はたまた何故沖縄から遠く離れた埼玉在住の栗原国起に尖閣が転売されることになったのか。

現在も那覇市西町の旧古賀商店の跡地に居を構える日高剛からその経緯を聞くことができた。

だが、ここでその経緯に深入りするのはあえて避けるが、ただ一言で日高剛の心中を表現するなら「若気の至り(剛氏談)」だったという。

さて、国宝・中尊寺や真珠王・三木本幸吉と尖閣との関係だが、古賀辰四郎は尖閣に渡る前、石垣島の川平湾で日本の真珠王・三木本幸吉と共同出資で真珠の養殖を手がけ、貝殻細工の原料の夜光貝の輸出にも手がけ財をなした。 

昭和37年から始まる中尊寺の「昭和の大改修」では、貝殻細工の螺鈿の調達の話が京都大学を通じて古賀商店に舞い込んで来た。 当時沖縄の古賀商店は貝殻細工工芸・螺鈿では全国にその名を知られていたことがわかる。

二代目当主善次はテニスや卓球を沖縄に紹介したスポーツマンで、今でもテニスや野球に「古賀杯争奪戦」としてその名を残している。 ちなみにその頃2代目当主の善次は既に古賀商店の実務から遠のいており、商人というより沖縄の文化人としてベルリンオリンピックの見学に行き、その時沖縄紙の特派員を頼まれ、ベルリン報告記事を送信している。 

その時、当時「ピンポン」の名称に初めて「卓球」と命名したのが善次だといわれている。 新聞の版組みにピンポンの活字が入らず困っていたところ善次の「卓球でよいだろう」との機転で以後、「卓球」という言葉がピンポンに代わって全国的に広まったという。 つまり「卓球」という言葉の始まりは沖縄の新聞、ひいては尖閣諸島の2代目の持ち主・古賀善次ということになる。

さて初代当主の古賀辰四郎が冒険心に溢れた野人の趣があるのに対し、二代目善次はお公家様の風貌を持つ文化人であり、中尊寺の大改修の話が舞い込んできた頃は、その事業のほとんどを番頭をしていた日高栄次郎の南海商会に引き継がしていた。名刺に肩書きの欲しかった善次は、南海商会の取締役の肩書きを使用していた。

さて、中尊寺の大改修の件だが古賀商店の仕事を引き継いでいた日高栄次郎が夜光貝の納入に奔走し、「大改修」を成功裡に終えることができた。 

石垣島の川平湾では今でも古賀辰四郎と三木本幸吉が手がけた真珠養殖が石垣名産の黒真珠となって輝いているし、奥州中尊寺には尖閣諸島の開拓者辰四郎の壮大な冒険心の結晶が中尊寺の螺鈿細工に化身して、今でも燦然と光り輝いていることになる

 

【おまけ】※

中華民国の感謝状が当時の石垣村長の遺品から見つかったことを報じる記事です。

http://www.ntt-i.net/kariyushi/yaeyama_kansha.html

2010年11月28日 琉球新報 

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2 コメント

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本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2017-08-11 10:28:52

オピニオン面に一般投稿6本(児童生徒の「ぼくも私も」など除く)。

「平和探る努力 歴史に学ぼう」の八重瀬町・幸地忍さん(72)は、1月19日、2月18日、3月22日、4月19、22日、5月14、28日、6月16、23日、7月2、15、31日に続き今年13回目の掲載。
「有能な政治家 必ずどこかに」の那覇市・久貝英世さん(67)は、1月7、24日、3月4、20日、4月7日、5月24日、6月25日、7月9、20、31日に続き今年11回目の掲載。
「興南旋風再び ナインに期待」の那覇市・知念徳彦さん(67)は、1月25日、2月21日、3月5、17日、5月22、31日、6月30日、7月6日に続き今年9回目の掲載。
「体の回復ぶり 生きる喜びに」の豊見城市・大嶺よし子さん(72)は、、1月3、26日、2月14日、3月10、30日、4月18、30日、5月5日、6月6日、7月7、23日に続き今年12回目の掲載。
「オスプレイ配備撤回を」の山本隆司さん(60)は、昨年11月11日以来の掲載。
「子供を伸ばす子育て」の那覇市・松原英明さん(42)は、4月28日、5月16日に続き今年3回目の掲載。

カギカッコは投稿欄における見出し。

オール沖縄会議事務局長の山本隆司さんは前沖教組委員長、三重県出身。


Unknown (amai yookan)
2017-08-12 18:51:23

>中華民国の感謝状が当時の石垣村長の遺品から見つかったことを報じる記事です。
http://www.ntt-i.net/kariyushi/yaeyama_kansha.html


わずか7年前の新報の記事ですか、新報も、この頃は、まだまだ「正常な部分も有ったよーですね」驚きです。

この中共の文書は、非常に重要で・信憑性のあるもの。これを付き付ければ「中共はグウの音もでない代物で

もし偽者とか言ったら自分の国の過去を侮辱することになり・恥ずかしい言動でしょう。

これを中共を初め全世界にばら撒きましょう!(勿論英訳・世界各国の言語で)電車の宙吊・TVCM・新聞公告などで、、、

日本政府は世界に向け発信・周知を計る義務が有りますね。

明日8月13日の「正す会の定例会」楽しみです

政府高官・石垣市長・玉津前教育長・ついでにオナガさんもお声がけして呼びましょう!

       

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