狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

68年ぶり「父、帰る」、沖縄戦の日本兵

2013-07-10 07:28:00 | 県知事選

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【告知】

本日も午後2時~3時の間に2回目の更新をして、世界日報「連載」の『貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実』を紹介します。

                 ☆

沖縄防衛のため戦死した日本兵の出身地は、地元沖縄は結うまでもなく、北は北海道から南は鹿児島まで日本全国に及ぶ。 

日本兵が、沖縄防衛のため奮闘し戦死したにもかかわらず、地元沖縄では日本兵は沖縄住民を虐殺するためやってきた悪鬼のように報道されている。 

しかし彼らは故郷では妻や子が待つよき父であり、兄弟姉妹にはよき兄であり又両親にとっては愛すべき息子であった。

沖縄メディアが連日報ずるような「残虐非道非道な日本兵」ではなかった。

当時人口約60万人の沖縄に約10万人もの日本軍が駐屯したら、中には悪さをした日本兵がいたとしても不思議ではない。石川五右衛門も「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の数ぞ尽きまじ」と詠っているくらいで、いつの時代にも少数の悪さをするものはいるもの。

だが彼ら日本兵のほとんどは故郷に残した家族のため、祖国防衛に命をかける覚悟の生真面目な若者たちだった。

連日日本兵を貶めている沖縄2紙は、彼らの遺品が68年ぶりに故郷に帰ったというニュースも平然と黙殺する。 「沖縄住民を虐殺」するため沖縄に来た憎むべき日本兵の遺品など報道に値しない、とでも考えているのだろう。

地元紙が新聞としての矜持と使命を投げ捨てた現状では、沖縄戦関連の記事を本土紙で知るのは日常茶飯事である。

■7月7日付世界日報の記事

68年ぶり「父、帰る」
沖縄戦日本兵の遺品、米で発見
警察官ら尽力、遺族の元に・東京

 太平洋戦争の沖縄戦で亡くなった日本兵の遺品の日章旗が米国で見つかり、6日、遺族の手に返された。「いつか家族に返したい」と旗を持ち帰った米兵の思いに応えた米国在住の日本人女性や警視庁の警察官の尽力で遺族が見つかり、「68年ぶりの帰還」が実現した。

 日章旗の持ち主だったのは警視庁千住署の巡査だった星藤二さん。1945年6月に28歳で沖縄で戦死し、遺骨も見つかっていない。

 日章旗は米陸軍工兵として沖縄戦に従軍したハーバート・インガルス・マクドゥガルさん(87)が戦時中、首里城近くの洞窟で見つけ「戦火で焼ければ家族に渡せなくなる」と米国に持ち帰った。返せないまま自宅にしまい込んでいたが体を壊し、今年3月、施設に入る前に孫娘(24)に「持ち主を見つけてほしい」と託した。

 孫娘は日本領事館などに尋ねたが手掛かりはなく、米大学の日本語教師鈴木亜希さん(39)に相談。旗は出征する星さんに当時の署長や署員が寄せ書きして贈ったもので、鈴木さんは「千住署」の文字を頼りに米国から同署に連絡した。

 応対した千住署の小暮展也警部補(55)は、署に資料が全くない状況から「何とかしたいの一念」で、警視庁の古い人事記録をたどり、一人息子の忠孝さん(71)を見つけ出した。

 千住署で一時帰国した鈴木さんから日章旗を手渡された忠孝さんは「父が戦死したときは3歳で抱っこされたおぼろげな記憶しかない。写真も数枚しかなく、父の痕跡が見つかったことに感激という言葉しか出ない」と感無量の様子。「父の『帰りたい』という思いと関わってくれた方々の真心が奇跡につながった」と、言葉を詰まらせた。

                   ☆

今回の日本兵は当時28歳で沖縄で戦死した元警察官の星藤二さんだったがまだ遺骨は発見されていないという。

星さんには故郷に3歳だった息子の忠孝さんが感激に胸を詰まらせた気持ちがよく理解できる。

戦後68年が経過している。

沖縄2紙も、沖縄防衛のため戦死した日本兵を貶めることを、止める時期に来ているのではないか。


沖縄で貶められている典型的な日本兵像

 

 

 ■7月9日付世界日報記事

【ビューポイント】

祖国のため戦った沖縄県民
献身的思いも忘れるな
マ元帥は「自衛戦争」と証言  

前沖縄県文化協会会長 星雅彦


 沖縄県では先の大戦末期の沖縄戦の終結した日として、犠牲となった約20万人の戦没者の冥福と世界平和を願う日として、6月23日を「慰霊の日」と定め、先月も安倍晋三首相はじめ政府要人や仲井真弘多知事らが参列して、糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が行われた。毎年、先の大戦、沖縄戦とは何であったか問い質す日でもある。

 1941年12月8日未明、日本海軍機動部隊は太平洋を東方へ進みハワイの真珠湾に集結した米艦隊めがけて奇襲攻撃をかけた。その時から3年8カ月に及ぶ長期の日米戦争の火ぶたが切られた。開戦前の日本は、米国と苦渋の交渉を続けていた。日本側は二つの妥協案を捻出した(甲案、乙案)。この中に、経済封鎖を解除してもらえば、友好国としての役目を務めたいという希望的な創案を日本が持っていたと認められる。

 しかし、これを米国は微塵も受け入れず、非情な最後通牒を突きつけた。ハル国務長官による、いわゆる「ハル・ノート」だ。「日本は、明治維新前の状態に戻るべきで、隣国の文化や物資などを欲しがらずに、全ての権益は放棄すべきだ」と要求したのだ。

 日本にとって先の大戦は大東亜戦争であって、「太平洋戦争」とは戦後途中から、米国によって名づけられたものである。アジアの植民地をめぐる列強との戦争への道、その準備態勢が感じとれるなかで、窮地に追い込まれていた日本は先手を打った。戦況は当初、日本軍は善戦した。そして、怒涛の勢いで進軍してくる日本軍に圧倒されて、フィリピンで追い詰められたマッカーサー米軍司令官はマニラを放棄して、バターン半島とコレヒドール島に籠城する作戦に出た。しかし、間もなくマッカーサーはコレヒドール島からも「必ずや私は戻って来るだろう」(I shallreturn.)と言い残して脱出した。その後、米軍は戦況を逆転させ、マッカーサーは予言した通りに戻ってきた。

 1945年4月1日、米軍は沖縄本島西海岸に上陸した。その後2カ月半にわたって、日本軍と沖縄県民は「軍民一体」となって「皇国日本」の防衛のために死力を尽くして戦った。しかし、このことはあまり話題になっていないが、その様子は、太田実海軍司令官が本土に宛てた「沖縄県民かく戦えり」の電文に込められている。沖縄戦は米国が予想していたよりも日本軍・県民が一体となって善戦したが、集団自決(玉砕)が慶良間諸島の他に数カ所でも起きていた。それは隊長命令の有無だけで解決できる問題ではないだろう。総体的に沖縄戦の犠牲者数をあげると、日本軍が約8万5000人、沖縄県民が約10万人、米軍が約1万3000人。この概数の多寡も問題になるが、軍民が一体どころか、入り乱れて、融合と反発の狭間に、お国のために死ぬんだという思いがあった。無念どころか、献身的な自己犠牲の思いがあったことも忘れてなるまい。

 沖縄戦がほぼ終焉(離島等は残っていた)に向かっているとき、米国は広島(8月6日)・長崎(8月9日)に原爆を投下した。日本はポツダム宣言受諾の決断に迫られた。昭和天皇はポツダム宣言受諾を決断され、8月10日の御前会議でいわゆる「終戦の聖断」を披瀝された。8月14日の御前会議では、同宣言の無条件受諾を決意し、敗戦の詔書を提示し、同日、詔書を自ら音読して録音し、8月15日にラジオ放送により国民に終戦を伝えたのだった(玉音放送)。

 筆者は、熊本県八代中学1年生の時、妙見寺の境内で聞き取りにくいユニークな音声の玉音放送を神妙に聞いていたことを思い出す。その時、先生方は嗚咽をもらしていた。その後、日本は戦争終結のための調印式を9月2日に予定し、東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で全権・重光葵が連合国代表を相手に行事を済ませたのである。

 1946年から48年にかけて行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)は、戦勝国が敗戦国である日本の指導者を裁く形式で、罪刑法定主義・法の不遡及が保障されていない裁判だった。裁判は東條英機ら7人を死刑、16人を終身刑にするなどの判決を下した。

 しかし、判事の一人インドのパール判事は判決文の中で、この裁判について「復讐の欲望を満たすために、単に法律的な手続きを踏んだに過ぎないというようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い」と断罪した。そして「裁判の本質は連合国側の政治目的を達成するために設置されたに過ぎず、日本の敗戦を被告たちの侵略行為によるものと裁くことによって、日本大衆を心理的に支配しようとしている」と批判、「かつて欧米諸国がアジア諸国に対して行った(植民地政策の)行為こそ、まさに侵略行為である」と、全被告の無罪を主張したのである。

 その後、来日したパール判事は、日本の現状を見て「東京裁判史観というゆがめられた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい」と苦言を呈した。パール判事の言葉は、現在の日本にとっても示唆に富むものである。

 最後に、日本軍と戦ったマッカーサーが1953年の朝鮮戦争後に帰国した際、米上院の軍事外交合同委員会で、「日本の戦争は自衛のためのものだった」と証言していることも記憶にとどめておく必要があろう。

(ほし・まさひこ

             ★

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星雅彦というスリル

 



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