狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「報道2001」 「慰安婦」と「集団自決」で大バトル!

2007-04-08 09:01:27 | ★集団自決

「報道2001」がホットな歴史テーマ「慰安婦問題」と「集団自決」を取り上げた。

出演者 

秦郁彦・元千葉大教授、

中西輝政・京都大学教授、

古森義久・産経新聞ワシントン駐在編集特別委員

姜尚中・東大教授、

藍谷邦夫・弁護士、 

高嶋伸欣・琉球大学教授

詳しいテキスト起こしは他のブログにお任せして、感想だけを述べたい。

◆「慰安婦問題」

印象に残った発言は秦教授が安倍首相の「狭義の強制云々」の発言を捉え下手な説明だとし、

「軍の強制を示す証拠は出ておらず戦後60数年たった現在でも出ていない」

「もう軍の強制はなかったと断定してよい

 

これに対し

高嶋教授:「証拠資料がないからといって強制がなかったというわけではない」

「終戦時に慰安婦に関わる証拠資料は全て廃棄した

秦教授:「そちらの方々はすぐそのように言うが、最初は証拠資料がないのは『よく探してないから』と言っていた」

「丁寧に調べても見つからないと、今度は廃棄したから言い出した」

「日本軍は全ての命令を書類で残す。何十万にも及ぶ書類の中から慰安婦関係だけを選んで廃棄するのは不可能

「仮に完全に廃棄していたとしても誰かが記憶している筈だが、これも皆無」

「それに20万にも及ぶ大量の性奴隷を誘拐していたら親戚、や近所の人の目撃証人があるはずだが、これも皆無

「それにそんな大量の朝鮮女性を誘拐していたら当時の朝鮮の男性が黙って見過ごしていたはずがない

これに対する反論はなかった。

 

◆「集団自決問題」

秦教授が決定的証拠として、

宮村幸延氏(座間味村援護係、宮里助役の弟)の梅沢・元守備隊長宛の侘び状のコピーを見せた。 

「同侘び状で宮村氏は、隊長命令説は援護法の適用を受けるためにやむを得ずつくり出されたもの、と明記され昭和62年3月28日付けの親書もある」

これに対し高嶋教授は、

「宮村幸延氏は侘び状を書いた記憶がなく、同氏が作成・捺印したものではないと述べている。仮に同氏が作成したものであるとしても、泥酔させられて書いたので同氏の認識や意思に基づくものではない」

と反論した。

しかし、沖縄の「市民団体」の激しいバッシングを避けて密かに座間味島を訪れた梅沢氏の立場は言わばサッカーで言う「アウェイ」の状態。

其処で宮村氏を記憶がなくなるほど泥酔させ得たとは考え難い。

一旦良心の声に耐えかねて「侘び状」を書いたが、その後の「市民団体」のバッシングや「裏切り者」と言った声に「泥酔して書いたので記憶にない」と言わざるを得なかったと考えるのが妥当だろう。

因みに当日記のように沖縄では珍しく保守意見を発信するブログにも

「沖縄人のくせに」とか「裏切り者」と言った感情的な書き込みがあるくらいだ。

昨年同じように「軍命の存在」を否定する証言をした照屋さんも当初、「匿名にしないと沖縄では生きていけない」と言っていたくらいバッシングは激しい。

「集団自決問題」の口火を切った曽根綾子氏も沖縄側からの激しいバッシングを受け剃刀の刃を郵送された事もあったという。

◆援護法社会

0歳児までも軍の協力者として「援護法」の申請をしたといわれる沖縄は「援護法社会」というらしい。(石原昌家・沖縄国際大学教授)

◆参考:政府が「軍命に書き換え」指導

援護法適用のために「軍命に書き換えた」当時の琉球政府・援護課の役人をしていた照屋昇雄さんの証言

◆【動画】軍命はなかったhttp://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/

照屋さん終戦直後の昭和20年代後半から琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった人。

琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務め渡嘉敷島の調査を担当した。

照屋さんは「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。 

◆参考:

渡嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

       

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決

         ◇

近所に慰安所」 沖縄戦で住民証言

証言や研究成果について聞く参加者ら=7日、宮古島市中央公民館

 【宮古島】「宮古島の日本軍『慰安婦』について証言を聞く会」(宮古島の日本軍「慰安婦」問題を考える女たちの会主催)が7日、宮古島市中央公民館で開かれた。沖縄戦当時、朝鮮人慰安婦がいる慰安所に日本軍が出入りしていたことを住民が証言した。
 沖縄戦時、上野村野原に住んでいた与那覇博敏さん(73)が「小学5年のころ、家の近くに朝鮮人の女性たちがいる慰安所があった」と証言した。
 与那覇さんは「最初はどこの女性かなと疑問に思ったが後で朝鮮人と知った。日本軍の兵隊が出入りしていた。最初に見たのは1944年の早い時期。終戦間際までいたので、1年数カ月は慰安所として利用されていたと思う」と話した。
 県内各地の沖縄戦当時の慰安所について調査研究している早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程の洪允伸(ホンユンシン)さん(28)は、慰安所が宮古島に10カ所、伊良部島に1カ所の少なくとも計11カ所確認されていることを説明した
 洪さんは過去2回の宮古島の調査で、宮古の場合は慰安所が住民の生活圏と密接に関係を持っていたことを指摘。「宮古は米軍上陸がなく、沖縄の中でも比較的被害が少なかったと言われるが、被害の大きさは死者数なのか」と疑問視した。
 さらに「日本政府は『狭義の意味で強制はなかった』とあいまいな立場を取るが、沖縄からこうしたことについて考えないといけない。性を売ることを押しつけたのは誰か何のために必要だったのかという人道に対する罪を宮古だからこそ問える」と強調した。
 洪さんは宮古島で3回目の調査を5月に予定しており、証言者を募っている。問い合わせは宮古島の日本軍「慰安婦」問題を考える女たちの会0980(72)2774。
(琉球新報 4/8 10:19)

                   ◇

≪「小学5年のころ、家の近くに朝鮮人の女性たちがいる慰安所があった」と証言した。・・・日本軍の兵隊が出入りしていた。≫

慰安所があった事も、それを軍が利用していた事も歴史的事実。

今更早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程の洪允伸さんが宮古島まで出向いて、

証言を集めなくとも誰も異論は唱えないと思うのだが、

新聞の大見出しで

「近所に慰安所」

<沖縄戦で住民証言>

日本軍が出入り

・・・と書かれると、何か隠されていた新事実の発見のような印象操作を感じる。

 

≪ 性を売ることを押しつけたのは誰か≫

それは直接的には女衒であり、結局は貧困でしょう。

日本軍のせいにするのなら、現在も世界中に蔓延る売春も全てが日本軍のせいになる。

 

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