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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

宮城晴美氏の苦悩(2)-真実味ない「決定的証言」

2008-05-30 06:43:45 | ★集団自決

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那覇市史完成 編さん47年【写真】(沖縄タイムス 2008年5月22日)
那覇市史完成 編さん47年
 数十万年前の古那覇の地形形成から琉球王朝時代、戦前戦後、現代に至る歴史をまとめた「那覇市史」全三十三分冊がこのほど完成した。一九六一年に編さんを始めて以来、大学・研究機関の専門家や研究員、大学院生、一般市民らが資料収集や執筆作業に参加。四十七年間の地道な編さん活動の集大成となった。二十年以上市史編さんに携わっている市歴史博物館の島尻克美さんは「那覇に限らず琉球・沖縄の歴史を網羅した貴重なデータ資料が完成した。多くの人が活用し、沖縄の歴史に興味を持つ若い世代の育成にもつなげたい」と話した。
 市史は通史編三巻と、資料編三巻二十九冊、総索引・市政年表の別巻一冊の計三十三冊。

 琉球王朝時代までをまとめた第一巻には中国との交流の任務に当たった久米村の家譜や、首里に居住した士族各層の家譜それぞれ五十一冊などを収録。明治以降の近代史、第二巻には県内の新聞記事や市民の戦争体験記などを記した戦時記録、沖縄戦で破壊される前の旧那覇・首里・真和志・小禄の生活文化、祭祀などが分かる民俗資料などがある。

 戦後の現代史、第三巻は二〇〇〇年までの資料を集めた。

 行政書類に加え、沖縄戦の収容生活、満州、朝鮮、フィリピンなどでの市民の戦争体験記などを掲載している。

 市は市史編さん作業を通し、古文書解読などの講座を開講。受講者が解読した資料を市史に掲載するなど市民参加型の編さんを進めてきた。

 市歴史博物館主査の宮城晴美さんは「写真や情報の提供など多くの市民や研究者の協力に支えられた。今後は市史を使った講座などを通し、市民に還元していきたい」と話した。

 市史は歴史博物館で購入できる。

 問い合わせは同博物館、電話098(869)5266。

                                                ◇

那覇市の国際通りの端っこ、県庁や那覇市役所庁舎の在る界隈に「パレット久茂地」という賑やかなショッピングモールがある。

宮城晴美氏、その中にある「那覇市歴史博物館」の主査を勤めている。

宮城氏がマスコミに登場するときは女性史研究家という肩書だが、2000年12月に『母の遺したもの』を出版した後の2001年より、那覇市職員としての公務員としての別の顔も持っている。

そんな宮城氏の那覇市職員としての別の一面を報じたのが、上記タイムス記事である。

那覇市歴史博物館ホームページ 

宮城氏は、今や単なる「沖縄戦証言者」としてのみならず、公務員兼女性史研究家としてマスコミや県そして市町村主催の文化講座では講師としてなくてはならない存在になっている。

活躍の例
「トートーメー」の歴史を学ぼう!2月23日(土) 午前10時~11時半
宮城晴美(那覇市歴史博物館主査)

 彼女が母の遺言を踏みにじった代償は「沖縄タイムス史観」に支えられた現世の栄誉だったのだろうか。

知人のふと漏らした独言が耳をよぎった。

「沖縄で『識者』として生き抜くには『タイムス史観』を全面的に受け入れねばならぬ」

「物言えば唇寒し・・・」とも。

昨日に引き続き「沖縄戦「集団自決」から62年 真実の攻防 第2部」より宮城晴美氏に関する記事を抜粋し以下に引用します。

                     ◇
 
平成19年10月26日
真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から62年 第2部 <4>

宮城晴美氏の苦悩(2)-真実味ない「決定的証言」、同じ証言、既に著書に引用 
 9月29日の沖縄県民集会を報じる新聞を掲げながら、検定撤回のビラを配布する「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」の関係者=15日午後、有楽町マリオン前(岩城喜之撮影) 
 「戦隊長による命令があったかどうかは分からない。しかし、住民の『集団自決』は軍の命令や指示によるもので、その最高責任者は部隊の指揮官である梅澤氏だ」。七月二十七日、大阪地裁で証人尋問に立った宮城晴美氏(57)は、それまで梅澤隊長の自決命令を否定する立場だったが、今年六月二十四日、座間味村の宮平春子さん(80)に取材して認識を変えたと語った。
 春子さんから、兄で兵事主任だった宮里盛秀助役(当時)が「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」との発言を聞き、これを軍命令の「決定的な証言」と受け止めたという。

 だが、この証言は目新しいものでもなければ、決定的でもない。なぜなら宮城氏は、この証言を既に知っている。それは、宮里助役の父、宮村盛永氏の自叙伝(昭和三十一年十月起稿)にある。

 息子の盛秀氏が「今晩忠魂碑前で皆玉砕せよとの命令があるから着物を着替えて集合しなさい」と父に語っており、宮城氏は『母の遺したもの』二百十七ページに引用している。春子さんはその場にいて、兄のこの言葉を聞いていたのである。

 宮城氏は、盛永氏の自叙伝でこの発言を読みながらも、隊長の自決命令はないと判断したのである。なぜか。昭和四年から九年にかけて座間味村長を務めた宮村盛永氏の自叙伝は「集団自決」騒動が社会問題化する前に書かれたもので一級の資料である。これを読めば、当時の村民の息遣いが感じられる。

 <(三月)二十四日、午前九時からグラマン機はますます猛威をふるい、日中は外に出ることは不可能であった。敵の上陸寸前であることに恐怖を感じながら、この調子だと家族が全滅するのも時間の問題だと考えたので、せめてに居る盛秀夫婦、直(注・五男)、春子とともにの近辺で玉砕するのがましではないかと家族に相談したら、皆賛成であった。同日の夜、自分は座間味の壕に帰り、村の情況と家族の安否を尋ねたら、皆元気いっぱいで覚悟の活動をしていた。(略)

 (二十五日)午後九時頃、直が一人でやって来て「お父さん敵は既に屋嘉比島に上陸するから村の近い処で軍と共に家族全員で玉砕しようではないか」と持ちかけたので皆同意して早速まで夜の道を急いだ。>

 そこに記されているのは、村人の玉砕に対する潔い覚悟と準備の様子だ。軍や隊長の命令という字句は一つもない。実際、初枝さんは、盛秀氏が梅澤隊長に向かって「老人と子供たちは軍の足手まといにならないよう、忠魂碑前で玉砕させようと思います。弾薬を下さい」と申し出た場に立ち会っている。それを止めたのは、ほかならぬ梅澤隊長だ。直接、梅澤隊長が自決または玉砕命令を出したと証言する人物はこれまで一人も出ていない。

 こうした当時の状況、初枝さんの証言、盛永氏の自叙伝などを総合すれば、「忠魂碑前での玉砕命令」は、盛秀助役が、村民や自分の家族が混乱も未練もなく自決できるようにと自ら考え出したものとみるのが自然であろう。宮城氏はそう判断し、「結局、住民を敵の『魔の手』から守るために、盛秀は自分や妻子の命をもかけて『玉砕』を命令し、決行した」と書き切ったのである。

 このように、『母が遺したもの』執筆時、「玉砕命令」は梅澤隊長からではなく盛秀助役が発したものと判断した宮城氏は、春子さんが聞いたという、兄の「玉砕命令」発言の詳細を聞こうとは思わず、ただ村民の玉砕場面を詳細に聞き、それを三ページも割いて書いている。一部を紹介する。

 <盛秀の妹の春子(一九歳)は、遺していたご飯をおにぎりにして、家族一人ひとりに配った。あわただしい食事を終えると、子どもたちから先に晴れ着を着せ、全員身じたくを整えた。出発の前、七歳、六歳、三歳の三人の子どもの前にひざまずいた盛秀は、三人をひとまとめに抱き抱え、これからお父さんと一緒に死のうね。みんな一緒だから怖くないよ」と、頬ずりしながら、しばらく子どもたちを強く抱きしめた。

 涙声はまもなく嗚咽(おえつ)にかわった。それから杯に水を入れて父親の盛永の前に進み、「お父さん、この世では十分親孝行できませんでしたが、あの世ではきっと孝行します」と水杯を交わした。

 親、きょうだいとも涙、涙で、あの世での再会を約束した。

 盛秀の妻はまだ一歳にもならない三女を背負っているため、三歳の次女を義妹の春子に預けた。

 「妹をお願いね。あの世に行ってから必ず会おうね」と涙をぬぐいながら固く春子の手を握った。……>

 宮城晴美氏が法廷で「春子さんへの取材が十分できなかった」と語ったのは正直ではない。新米記者でもあるまいに、最も肝心だと思っていたことを取材せず、本にしてしまったなどという釈明を誰が信じようか。ただ、当時は春子さんに取材しながら、家族の最期の情景こそ「決定的証言」と感じていたというのが真相であろう。

(編集委員・鴨野 守)

                     ◇

「沖縄集団自決冤罪訴訟」の控訴審第一回が6月25日、大阪高裁で行われます。

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2 コメント

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宮城さん (ヒロシ)
2008-05-30 18:33:44
宮城晴美さんは、、、お母さんと一緒に思い十字架を背負う道を選んだんですね。

冤罪の肩を担ぐという思い思い十字架。
毎日毎晩良心の呵責に、、、
本当の事を言えればどんなに楽か。

同調圧力に屈したのでしょうか、かわいそうですが赤松梅澤両隊長のつらさに比べたら、、、
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宮城氏が得たもの (狼魔人)
2008-05-31 18:10:49
ヒロシさん

宮城氏は母の遺言の代償に何を手にしたのでしょうね。
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