狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄タイムスに取り込まれた大江氏と筑紫氏

2009-02-20 07:44:29 | ★集団自決

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昨日に引き続きで「南島志報」(平成21年1月1日)に掲載の錦古里正一氏の「沖縄集団自決Ⅲ」から抜粋引用します。

≪「沖縄集団自決Ⅲ」 錦古里正一

・・・晴美氏の恩師安仁屋政昭氏は、沖縄県史や市町村の戦時記録に携わっているが、氏は、「隊長命令」や「軍命」がいよいよ論破されそうになるや「合井地境」という戒厳令の発せられる状況を両島にあてはめて、だから村長や助役が号令を掛けようが、その責任は守備隊長にあると乱暴な論理を持ち出している。
しかし、沖縄本島が戦場となったのは4月であり、島田知事の統括する県庁業務は6月9日まで立派に機能していた。 安仁屋氏もこのことは承知の故「戒厳令は出ていないが、陸軍士官の赤松氏も梅澤氏も自分達が全権を握るべき事態であることは知っていたはずだ」と妄想に近い論証を展開しているが、独断の発令は重大な軍規違反となり、民政不加入の原則をも犯す行為と断罪されるべき事との整合性は成り立たない。
以上を考慮すれば、何故、沖縄タイムス社発行の『鉄の暴風』と沖教組ではなく、『沖縄ノート』と大江健三郎が糾弾されなければならないのかという疑問が生じるかもしれない。 しかし、この大江氏と『沖縄ノート』が、先に提示した二つの嘘を繋いだ張本人であるとすれば、どうだろうか。
『沖縄ノート』の集団自決に関する脱稿は1970年4月であるが月刊誌「世界」への発表は6月1日、岩波新書の発行は同年9月21日である。 この合間に突如、不思議なことが起こる。
それは、初版から20年間一度も増刷されることのなかった本の復刻である。 その本こそ同年6月20日発行の『鉄の暴風』である。
沖縄タイムスと大江氏の接点は1965年石垣島で当時記者だった新川明氏(後年社長・会長)との出会いでなされる。 このとき大江氏は新川氏の反骨の思想に感化され、以来沖縄の(左翼活動の)応援団となるのである。 (60年代までは県民で集団自決が軍命だという者はほとんどいなかった)
1971年の沖縄国会には、大江氏が呼びかけ人となり、174人の進歩的文化人称される人たちを束ねて日本軍国主義を許さぬ「沖縄非軍事化宣言」を提唱する生命を発表している。

                                             ◇

>沖縄タイムスと大江氏の接点は1965年石垣島で当時記者だった新川明氏(後年社長・会長)

>大江氏は新川氏の反骨の思想に感化され

新川明氏は新聞記者時代には本土復帰前の初の国政選挙に際し、「国政参加選挙拒否」の署名記事を連載し、

波紋を広げたこともある極左思想の持ち主である。

島ぐるみで勝ち取った「祖国復帰」にも、そっぽを向く「反復帰論者」である。

1972年5月15日の「祖国復帰」の日。

那覇市の与儀公園にある那覇市民会館では、国旗掲揚と君が代斉唱で「復帰祝典」が粛々と行われた。

その同じ時、同じ場所の与儀公園で、

日本復帰に反対する「県民大会」が行われていたが、

雨の中その大会に参加した市民たちが心の支えとしたのが、

新川明氏が唱える「反復帰論」だと言われている。

新川氏は現在でもタイムスОBジャーナリストとして左翼論陣を張っているが、何よりも、保守派とみられる琉球大学の三人の教授によって発表された「沖縄イニシアティブ論」に先頭を切って噛み付いた人物で、

その後沖縄タイムス紙上で行われた、左翼学者総動員による「袋叩き」の仕掛け人といった方がわかりやすい。

以後、沖縄の保守系学者は沖縄の新聞の論壇から放逐されるようになる。 

つまり沖縄の二紙を左翼学者が独占するような現状のきっかけを作った人物でもある。

沖縄紙の卑劣な言論封殺手段⇒「沖縄イニシアティブ」方式

また有名な「白旗の少女」の写真を基に、「少女を盾にして米軍に投降する醜い日本兵」というウソをでっち上げた子供向けの絵本を出版し、沖縄の子ども達に反日思想を植え付けている人物である。⇒白旗の少女の神話

大江氏と沖縄タイムスとの接点が新川明氏だとしたら、筑紫哲也氏を「沖縄タイムス史観」に取り込んだのは、新川明氏の先輩記者である豊平良顕氏であると筑紫氏自身が述懐している。

沖縄は、筑紫氏のジャーナリストとしての起点であり、それは抽象論でいうのではなく、米軍占領下の昭和43年から昭和45年の二年間、朝日新聞沖縄特派員として、沖縄タイムス、特に創業者の豊平良顕氏の薫陶を受けたという。

豊平氏といえば『鉄の暴風』の執筆者であり監修者でもあるので、若き日の筑紫氏が新聞記者として、その薫陶を受けていたとなると、大朝日の筑紫記者が沖縄タイムスに影響を与えたというより、その逆であったといえる。

筑紫氏によると沖縄紙の「偏向報道」は米軍占領当時からあったという。

沖縄駐在当時、豊平氏に沖縄紙は「復帰運動の機関紙ではないか」という問いをぶっつけて見た。

「一方には政治、経済、軍事に及ぶ全権力を手中にした異民族の統治者がいる。 その一方には民主制の下なら誰もが保障されるはずの基本的権利一切を奪われている被統治者がいる。この両極端な不均衡のなかで、両者の言い分を平等に取り上げることが果たして客観的、中立、公平を「いえるのか」という意味の答えを得たという。

なるほど、当時の沖縄でなら理解できなくもない意見だが、筑紫氏は豊平氏の言葉を借りて現在の沖縄紙の「偏向報道」を正当化しようとしている。

だが、現在の沖縄は米軍統治下でもなければ、チベット自治区でもない、日本国憲法の下のまぎれもない日本の一県であることを忘れている。

それどころか沖縄紙の偏向報道は日本復帰してからその度合いを激しくしており、今では偏向報道というより反日報道といった方がふさわしい。(筑紫哲也と沖縄タイムス 沖縄紙偏向していない!

 

祖国復帰祝典が挙行された那覇市民会館で、筑紫哲也氏のお別れ会が開かれるという。

千人以上収容できる那覇市民会館で多くの出し物も付いて入場料は無料というから「プロ市民団体」んの豊富な資金には驚かされる。

初代ネーネーズ13年ぶりに集う/24日 筑紫さんお別れ会【02月18日】

 

参考エントリー:

沖縄タイムスは偏向していない!by沖縄の「識者」

 タイムス、新報はサヨクの機関紙だ!

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1 コメント

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OTVスーパーニュースでも・・・ (がじゃっち)
2009-02-25 13:57:25
昨日の筑紫哲也さんのお別れ会の模様はライバル局のOTVでも取り上げられていましたよ!
なんだかんだ言っても筑紫さんって沖縄の人達に慕われていたんですねぇ・・・。惜しむらくはたばこの吸い過ぎですよねぇ・・・。もう少したばこを控えていたら・・・(左翼偏向報道については別ですが・・・)と思えてなりません・・・。筑紫さんの死後、回りでたばこを吸っている人に「筑紫さんみたいになってもいいの?」と言っているんですが、禁煙に踏み切った人はいません・・・。皆さん禁煙しましょう!

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