狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

真相を墓場まで持ち込んだ二人

2007-09-26 06:51:08 | ★集団自決

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最近の沖縄のマスコミ記事は「集団自決」論議から「歴史わい曲」、更に「教科書検定」そして「教科書検定撤回を求める県民大会」へと大きくスライドをしている。

新聞論調では、この問題の唯一の論点である「軍命の有無」は敢て避け、強制死と軍命の有る無しとは関係ないと乱暴なことを言い出す始末だ。

そんな状況で「集団自決」の犠牲者の数を持ち出したら、

集団自決があったのは紛れも無い事実であり、「犠牲者の数など問題ではない」とでも言いかねない。

「南京大虐殺」で「大虐殺」が論破されると、虐殺があったのは紛れもない事実であり「人数の問題ではない」という連中の理屈と共通である。

だが、本稿では敢て何故犠牲者の数が定まらないのかという点について、触れて見たい。

そこには「犠牲者の数」にまつわる「善意」と「悪意」の二つの顔が見え隠れする。

                    *

■犠牲者の人数は不確定■

「集団自決」は親、兄弟、親戚、そして隣近所の顔見知りという極めて近しい人間関係の中で起きた。

それだけに生き残った人々の心理の葛藤は体験しない人の想像を超える。

その一方、それだけ緊密な人間社会の中で起きた悲劇なら、被害者の実数は正確に把握されてしかるべきだろう。

だが、公表されている被害者数は必ずしも一定ではない。

その人数の定まらない理由も『鉄の暴風』にあった。

確たる証拠も無いまま『鉄の暴風』による「隊長による自決命令」という伝聞記事が一人歩きしたため、住民のつながりも深く調査も容易なはずの集団自決者の数は次の如く出典によって異なる。

①「鉄の暴風」⇒渡嘉敷島329人、 座間味島⇒52人

②「住民処理の状況」(沖縄南方連絡所勤務、馬渕総理府事務官執筆)⇒渡嘉敷村103人、 座間味村155人

③「沖縄作戦講和録」(陸上自衛隊幹部学校発行)⇒渡嘉敷村329人、 座間味村284人

小さな島で、しかも住民同士のつながりの緊密な地域の「事件」にしては数字のばらつきが激しい。

その秘密は島民しか知らない「特殊事情」にあった。

                     *

■玉井元渡嘉敷村長の提案■

昭和54年、渡嘉敷島の戦跡碑が建立された。

その碑文のことで兵庫県の赤松隊長の自宅に、当時の玉井喜八渡嘉敷村長、曽野綾子氏そして赤松対戦友会の谷本小次郎氏が集まった。

「世界日報」の鴨野記者が谷本氏から聞いた話を「月刊ビューポイント」 より引用する。

≪集団自決の数をどうするか、という話題になった時、玉井村長が「315人でお願いします」と発言した。 「それはまたどうしてですか」と谷本氏。彼は渡嘉敷の自決現場を見ていない。 戦後、慰霊のために訪問した時、「せいぜい多くて100人集まるのがやっとではないか」という印象を抱いていた。

玉井村長はこう語ったという。「昭和27年までに亡くなった人の数が315人だからです。 厚生省は(援護法がスタートする)27年まで入れてよい、と言いました。 白玉の碑には、27年までに亡くなった315人の名が刻まれています」

戦時中またはその前後に死んだ村人であれば、自決者でなくとも一人でも多くの村民を助けたい。 その「善意」が次第に、自決者の数を膨らませていったのであろう。 

膨らむ数字は、日本軍の残虐性の証拠としたいと考える者たちの筆で、喧伝(けんでん)された。

真相を知る村人らは、ひたすら沈黙を守った。  軍の関係者もまた、沈黙を続けた。 ただただ左翼文化人、学者、反基地運動家がこれを利用したのである。≫

                     *

■墓場まで真相を持っていく■

昭和54年、赤松隊長の自宅で自決者の人数を相談した当時の玉井渡嘉敷村長(故人)は元琉球政府職員照屋昇雄さんの証言にも登場する。

「真相を知る村人らは、ひとすら沈黙を守った」と鴨野記者が記するように、真相を知る村人の代表格である玉井村長も、その後沈黙を守ったまま故人となった。

そう、真相を知る村人たちは真相を「墓場の中まで」持って行ったのだ。

だが故玉井村長とともに「真相を墓場の中まで持って行こう」と誓い合ったもう一人の男がいた。

事実の隠蔽に自責の念に駆られた元琉球政府援護課職員の照屋昇雄さんである。

産経新聞への照屋さんの長い証言の中から玉井村長に関する部分を次のように証言している。

 ≪--赤松元大尉の反応は


 「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」

 「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った

 --住民は、このことを知っていたのか

 「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」

 --あらためて、なぜ、今証言するのか

 「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」
産経新聞【2006/08/27 東京朝刊から】 ≫
 
 
■口をつぐんだもう一人■
 
更にもう一人「真相を墓場の中まで」持って言った男がいた。
渡嘉敷島の「集団自決」で手りゅう弾を配ったとされる兵事主任の富山真順氏である。
 
富山証言を元に「村史」には「軍命令があった」と記述されているが、真実は何も語らず、真実は自分の胸に秘めたまま墓場の中まで持ち今だのだ。
 
ちなみに富山証言の「手りゅう弾を住民に二個ずつ配り、一発は敵に、残り一発で自決せよ兵器軍曹が訓示を述べた」は『渡嘉敷村史・通史編』に記され「軍の命令」「軍の関与」の根拠となっている。
 
だが、この『渡嘉敷村史・通史編』は「集団自決」の実に45年後の1990年に発刊されており、富山氏の証言内容は「軍命」を正当化するために書かれたものと見られる。((世界日報 2007年 9月8日)
 
この経緯を富山氏から直接聞いた渡嘉敷在住の源哲彦氏が9月1日の沖縄タイムス「論壇」で次のように述べている。
 

≪戦後、富山真順氏(故人)は、軍から「自決命令」が出されていることを明確に証言している(以下『渡嘉敷村史・通史編』。

①1945年3月20日、赤松隊長から伝令が来て平時主任に対し渡嘉敷部落の住民を役場に集めるように命令した。 兵事主任は軍の指示に従って「17歳未満の少年と役場職員を役場の前庭に招集した。

②その時、兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手りゅう弾を2箱持ってこさせた。 兵器軍曹は集まった20数名の者に手りゅう弾を2個ずつ配り、“訓示”をした。「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。 敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になる恐れのあるときは、残りの1初で自決せよ!」。

このことを「軍の命令」、「軍の強制あるいは関与」が無かったとは言えまい。 当時の村長や兵事主任はすでに故人となり、生の声で「証言」を聞くことは出来ないが、富山氏は生前「真実は今や私だけが知っている。 その真実は墓場まで私が持っていく」といったのを直接聞いた事がある。≫(沖縄タイムス)

 

富山助役、玉井村長など真相を知る村人は「真実」は何も語らず「墓場まで」持って言った。

そして、真実は村人ではなく当時聞き取り調査をした照屋昇雄さんの勇気ある証言で明らかになったのだ。

巷に溢れている「軍命令」は真実ではない。

 

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2 コメント

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墓場まで (ヒロシ)
2007-09-26 16:06:41
>「真実は墓場まで持っていく」
私もタイムス紙を読んだ時にぴんと来たんですけど。
タイムスの記者も気付かなかったのでしょうか?
基本的な日本語を理解する能力があれば分かるはずですけどね。
国語の読解力 (狼魔人)
2007-09-27 07:12:38
ヒロシさん

>基本的な日本語を理解する能力があれば分かるはずですけどね。

仰るとおりです。

この程度の国語読解力でも新聞記者は勤まるということです。

記者だけではなく、左翼学者の中にも意識してなのか本当なのか、文章の誤読を専門にしている連中も目に付きます。

沖縄タイムス記事で、米公文書を誤訳して時節を有利に導こうとした某左翼学者もいましたね。

歴史を論ずる前に国語や基礎英語の読解力の勉強からはじめないと「集団自決」の論争ははかどらないでしょう。 疲れますね。(笑)

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