狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

目くらまし作戦①-「ケラマとゲルマ」 「沖縄集団自決」訴訟

2007-04-11 12:26:09 | ★集団自決

 2006年10月3日(火) 沖縄タイムス 朝刊 1面 
 
米公文書に「軍命」慶良間・集団自決/発生直後の住民証言

関東学院大 林教授発見

 沖縄戦時下の慶良間諸島の「集団自決」をめぐり、米軍が上陸直後にまとめた資料に、日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す記録があることが、二日までに分かった。関東学院大学の林博史教授が米国立公文書館で発見した。

記録は一九四五年四月三日付の「慶良間列島作戦報告」。
慶留間島の住民への尋問で「住民らは日本兵が米軍が上陸してきた時は自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。

「集団自決」発生直後の記録として、住民への命令状況を伝える貴重な資料。林教授は「自決命令があったことは、既に三月下旬時点で島民たちによって語られていた。戦後創作されたものではない」と指摘。近年、「集団自決」の軍命を否定、沖縄戦の事実をゆがめようとする動きを批判した。(謝花直美)

 記録は、四五年四月三日付の米歩兵第七七師団砲兵隊による「慶良間列島作戦報告」。林教授が八、九月に渡米した際、入手した。

 報告では、慶留間の住民を男女別に収容し尋問した内容として「三月二十一日に、日本兵が慶留間の島民に対して山中に隠れ、米軍が上陸してきた時には自決せよと命じたと繰り返し語っている」と記述されている。

 また、座間味島については歩兵第七七師団「アイスバーグ作戦 段階1 作戦報告 慶良間列島・慶伊瀬島」で、座間味の「集団自決」の生存者に対し、医療スタッフが治療を施していることを記述。「一部の民間人は艦砲射撃や空襲によって傷ついたものだが、治療した負傷者の多くは自ら傷つけたものである。明らかに、民間人たちはとらわれないために自決するように指導されていた」と記録されている。

 林教授は、各島の間で「三月下旬の時点において、慶留間では日本兵が自決せよと命じていること、座間味でも島民たちが自決するように指導されていたことが保護された島民たちの証言で示されている」と解説する。

 その上で「日本軍ならびに行政・教育を含めて、島民たちは自決するように命令あるいは指導・誘導されていたことは、この三月下旬時点でも明確であった。米軍は事態を正確に認識していたといえる。自決するように命令あるいは指導されていたことが当時から認識されていたことを裏付ける資料といえる」と指摘している。

 慶良間諸島の「集団自決」 海上特攻の任務を帯びた海上挺身隊各隊が駐屯した慶良間諸島では、1945年3月23日から米軍の空襲、艦砲射撃が続いた。米軍が26日に慶留間座間味、27日に渡嘉敷に上陸すると、「集団自決」が発生。渡嘉敷島329人、座間味島177人慶留間53人が犠牲となった。

                                      ◇

「岩波訴訟」の被告側は遂に、

地名の目クラマシ作戦、

そして英文誤訳作戦に出た。

証拠資料として提出されたのが、昨年の10月3日の沖縄タイムス朝刊一面の記事(二次資料)。

記事で示された一次資料(米公文書)の恣意的誤訳。

まるで英文解釈の授業のようなやり取りが裁判で行われた。

問題の証拠記事が上記記事。

記事によると、公文書資料の報告は、慶留間の住民を男女別に収容し尋問した内容として次のように記述している。

「三月二十一日に、日本兵が慶留間の島民に対して山中に隠れ、米軍が上陸してきた時には自決せよと命じたと繰り返し語っている」(林教授訳)

■紛らわしい名前の慶良間諸島の島々■

先ず、慶良間慶留間、渡嘉敷、座間味と紛らわしい地名が並ぶが問題を整理すると、

「岩波訴訟」の争点は渡嘉敷島、座間味島夫々の守備隊長が「集団自決」の軍命令を出したかどうかである。

そして渡嘉敷島、座間味島、慶留間島は慶良間諸島に含まれる。

・慶良間諸島http://www.pref.okinawa.jp/96/kankouka/kerama/

 「慶良間諸島」は那覇から船で約1時間の距離にある、渡嘉敷(とかしき)島や座間味(ざまみ)島、阿嘉(あか)島、慶留間(げるま)島をはじめ、大小30余の島々がからなる。

「岩波訴訟」で原告の梅沢元少佐と故赤松大尉(実弟が原告)は夫々座間味島と渡嘉敷島の守備隊長であった。

沖縄タイムス記事で林教授が米公文書で見つけたと報じた住民の証言とは問題の両島ではなく、

同じ慶良間諸島の慶留間島の住民の聞き取り調査であり渡嘉敷、座間味両島とは全く別の島の調査である

字面が似ているので(慶良間諸島と慶留間島)タイムス記事でも読者には誤認されがちだったが裁判証拠としては峻別されるべきもの。

島の守備隊長が住民に残虐非道な自決命令を出したといわれるのは渡嘉敷、座間味両島だけである。

では同じ慶良間諸島でも慶留間島や阿嘉島には自決を強制する悪鬼のような日本軍の守備隊長はいなかったのか。

慶留間島には第一中隊、阿嘉島には第2・第3中隊が配属されており、海上挺進第2戦隊の戦隊長・野田少佐がこれを指揮していた。

そして各島には夫々守備隊長がいた。

では、「渡嘉敷島、座間味島」と「慶留間島、阿嘉島」との違いは何だったのか。

残虐な守備隊長が島に居たか居なかったかの違いだったのか。

いや、そうではない。

『鉄の暴雨風』(沖縄タイムス刊)に記述されたかどうかの違いに過ぎない。

『鉄の暴風』の杜撰な記事にならなかったおかげで慶留間島の大下戦隊長と、「阿嘉島」の野田戦隊長は、

大江健三郎氏の『沖縄ノート』で残虐な日本兵として糾弾されることもなく、

軍命令による「慶留間島、阿嘉島の集団自決」として教科書に載ることもなかった。

 

■沖縄タイムス記事(二次資料)を証拠として提出■

提出証拠に困ったのか被告(大江・岩波)側は紛らわしい地名で錯乱させる作戦に出たようだ。

以下タイムス記事を証拠とする被告側に対する原告側の反論。
(「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」より「原告準備書面」http://blog.zaq.ne.jp/osjes/

 2 ①乙35の1、乙35の2「米軍作戦報告書が掲載された沖縄タイムス」について
 原本ではない二次資料性について
    まず、そもそもの問題は、被告らの主張は、沖縄タイムスに一部分が掲載されたのみで、全文でもなく、どのような文脈の中で記載されたかも判らないものを、乙35の2の林教授の見解意見をも混在させた上で議論している点である。
    被告らが主張するように、米軍の公文書である「作戦報告書」に記載があるというのならば、まず、そもそも、乙35の2に見られる特定の意見を持つ林教授の見解意見を除いた形で、純粋に文書から、どのようなことが読み取ることが出来るかという作業が必要となるはずである。
    しかも、乙35の1、乙35の2に記載の英文は、本件とは関係がない座間味村「慶留間」(「げるま」と読む。)島のものであって、肝心の座間味村「座間味島」に関する作戦報告書については、沖縄タイムスの記事(乙35の1)にも、林教授の論説(乙35の2)にも、林教授が訳したとみられる(以下にも述べるが、この翻訳も恣意的であると言わざるを得ない。)訳文の記載しかないのである。(略)


 3 ②「慶留間島」と「座間味島」
   乙35の1、乙35の2の沖縄タイムスの記載、特にその英文の記載は、そもそも、「慶留間島」(げるまとう)のもので、本件とは何ら関係がない。被告らの主張は、乙35の1、乙35の2の沖縄タイムスの記事においては、記載の上からも一応区別されているものを、一緒くたにしている。「慶良間」(けらま)列島(これは、座間味島、渡嘉敷島、慶留間島が含まれる)の中にある「座間味島」、「渡嘉敷島」とは異なる「慶留間島」を混同させるような被告らの主張は、極めて不誠実なものであり、姑息であるといえよう
   正確にいえば、座間味村は、座間味島、慶留間島、阿嘉島を含むものであるが、本件で問題となっているのは座間味村「座間味島」と渡嘉敷村「渡嘉敷島」での集団自決なのである。乙3・11頁からも明らかなように「慶良間島」には大下戦隊長が、「阿嘉島」には野田戦隊長が、特攻戦隊長として赴任し、特攻断念後、守備隊長となっていたのであった(尚、慶良間島でも、阿嘉島でも集団自決は確認されていない。)

 (略)

 結論
以上から明らかなように、乙35の1、乙35の2の沖縄タイムスの記事は、本件における「軍命令」の存在を立証するものでは到底ない。むしろ、その英文は「軍命令」を否定するものとさえ読めるものである。林教授の和訳については、本件で対象となっていない「慶留間島」(それは「座間味島」でも「渡嘉敷島」でもない。しかも、そこでは、集団自決は報告されていない。)における日本兵達による占領軍の非道という前提事実を踏まえてされた島民に対するアドバイスについて、構文的にも恣意的に解釈されたもので、本件においては何ら意味がないものである。
渡嘉敷島と座間味島で発生した集団自決における「軍命令」の有無が問題となっている本件において、これを証明するものとして、そもそも集団自決が発生してもいない慶良間島において兵隊達が島民に語った言葉(それを命令と翻訳するには大いに疑問がある)を記載した英文を「軍命令」の証拠として提出していること自体、被告らが主張している「軍命令」の根拠が極めて乏しいこと露呈するものであると言わざるを得ない。
  
5 座間味村「座間味島」の記載について
既に述べたことであるが、本件の対象となる座間味村「座間味島」に関する部分については、乙35の1、乙35の2の沖縄タイムスの記事には、そもそもの英文自体が記載されておらず、林教授の意見を交えた和訳と、事実と意見自体を区別しない論説によっているのであり、そもそも真偽を論じるに適切ではない。
しかし、この沖縄タイムスの記事をよく読むと、林教授自身、座間味村「座間味島」について、「軍命令」はなかったことを自認する意見を記載している。つまり、林教授は、座間味の報告書について、
「明らかに民間人たちは捕らわれないために自決するように指導されていた」
  という訳文を記載し、それを基に、
「『集団自決』がおきた直後の時点において、慶留間島では複数の日本兵から米軍上陸時には自決せよと命じられていること、座間味でも島民たちが自決するように指導されていたことが、保護された島民たちの証言で示されている。」(乙35の2)
との意見を述べている。
    林教授によれば、「慶留間島」は「命令」で、「座間味」は「指導」であったということになる。恐らく「座間味」の原文は、「tell 人 to ~」よりもニュアンスが更に弱い特定の言葉を使っているのであろう。
    そして、林教授は更にいう。
    「日本軍を中心とする戦時体制が島民の生命を犠牲にしたことがよくわかる。部隊長の特定の命令があったかなかったという命題だけに『集団自決』の議論を限定し、日本軍の名誉回復をはかろうとする企てが、いかに視野の狭い、木を見て森を見ない愚論であるか、米軍資料を読みながら改めて感じた。」(乙35の2)
被告らは、既に、この資料においても論点を恣意的に移そうとしている。 被告らは、「沖縄ノート」が引用した沖縄戦史、「太平洋戦争」が記載する「部隊長の特定の命令」(軍命令)を出したとする非道な元隊長の行為について、非難し続けて来たはずである。
被告らは、当時の戦時体制について非難する前に、事実は事実と認め、誤りは誤りと認め、謝罪し、記載を書き直すことで、非情な軍命令を下したと非難された元隊長の名誉を回復することが先決であろう。言うまでもないが、裁判は、歴史観を議論する場ではない。この裁判では、被告らの著作が「『原告梅澤少佐』、『赤松大尉』が非道な軍命令を出した」と非難したことが、果たして事実に基づくものかどうかが問われているのである。当時の戦時体制や日本軍の沖縄戦についての考察や非難は、別のところでなされる問題である。

 

★筆者注:
特定の意見を持つ林教授の見解意見

◆林教授は元々「軍命による集団自決」肯定派で、ホームページ等で沖縄戦における「日本軍の悪行」を追及する論文を書いている

・「集団自決」の再検討http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm)

最近では状況利あらずと判断したのか、左翼学者によくあるすり替え理論で「軍命令の有るなしは問題ではない」(下記沖縄タイムス記事)といった路線変更を図っていた。

なお、林教授は東京都知事選では、浅野氏を支持の要望書を共産党に送り、断られている。(HP: http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/index.html

 

◆沖縄タイムス<2005年7月4日 朝刊24面>

[「集団自決」を考える](20)
識者に聞く(3)
林博史関東学院大教授


命令有無こだわり不要
前提に「逆らえない体制」

 ―「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。

 「直接誰が命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう」

 ―沖縄戦で住民が置かれた社会状況や支配の構図は。

 「軍人がいると住民は投降できない。投降できないとしたら、壕に隠れていて、攻撃されるしかない。あるいは、軍人がいなくても在郷軍人など軍の意思をたたき込まれた者が『集団自決』の口火を切る」

 「沖縄のような島では、逃げ場がなく、教育も徹底している。役場も軍も、そこから言われたことはお上の『命令』である。村の幹部らが『集団自決』を主導したとしても、幹部自体が国家の末端だから、『村が勝手にやった』とはいえない。軍の免罪にはならない。個々の軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、住民が追いつめられ、『自決』しかないと思い込ませる状況をつくったのは軍を含めた国家だということが前提になる」

 ―軍民雑居や皇民化教育といった影響が大きいと。

 「軍がいなかった島では『集団自決』はほとんど起きていない。移民帰りの人だけでなく、戦争に疑問を持つ人、民間人が戦争で犠牲になることはない、と素直に考える人はいた。地域のリーダーらが、『死なないで生きよう』と言える状況にあったかどうか。軍が居ればまず言えない。慶良間のように小さな島では、なおさらだ」



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