狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

県議会 検定撤回へ現地調査  【金城武徳さんの証言】

2007-07-07 06:37:35 | ★集団自決

県議会文厚委 検定撤回へ現地調査

 文部科学省の教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍強制などの記述が修正・削除された問題で、県議会文教厚生委員会(前島明男委員長)は6日午前、渡嘉敷島で「自決」現場を視察したほか、「集団自決」の生存者らから聞き取り調査を始めた。午後には座間味島に渡り調査する。

(7/6 16:05)全文 >>

「集団自決」の生存者から当時の話を聞く県議会文教厚生委員会の委員ら=6日午前10時半ごろ、渡嘉敷村

                                      ◇

ものには順序というものがある。

「『集団自決』に軍命令があったことは消しがたい事実である」。

この言葉を合言葉に県議会議決をし、文部科学省にまで抗議の代表団を送っていたはず。

今頃現地調査ですか。

では、議決をした根拠は何だったのですか。

不勉強なまま、いい加減に議決したのですか。

新聞が騒いだから議決したでは通る話ではない。

 

ところで上記写真で、前の方で県議団に両手を広げて説明しているのは「集団自決」の生き残り金城武徳さん(76)さんである。

これまで何度も現地調査団に現場説明、証言をしてきた重要証人だが、何故か沖縄のマスコミは彼の証言は封殺してきた。

これまで金城さんは学術調査団の質問に何度も「『集団自決』に軍の命令は無かった」と断言している。

「当時の村長から手りゅう弾をもらったが不発だったので、600名ほどで軍の陣地に言って、機銃で殺してくれと頼んだ。」

「戦争をするのは軍人だ、バカなことをしてはいかんと言われた。」

「現場に残った阿波連の人たちが殺し合いをした」

当時満14歳の金城さんは当時のことをはっきり覚えていると言う。

 

だが、予想通りというか上記琉球新報の記事では金城さんの証言は封殺されて、当時満6歳の吉川さんの証言のみを報じている。

同じ記事を沖縄タイムスで見ると、

「集団自決」の現場では、体験者の金城武徳さん(76)と吉川嘉勝さん(68)が当時の状況を語った。金城さんは「軍の命令があり、村民は集落から移動した。米軍の迫撃砲が着弾する中で村民が集合し、村長が『天皇陛下万歳』と叫び、手榴弾が破裂した」と証言した。

(米軍の迫撃砲のため)軍の命令で場所を移動しただけで、

軍命令で自決したとは言っていない

  吉川さんは「防衛隊員だった義兄が手榴弾を爆発させようとしたが、爆発しなかった。父は火をおこし、その中に手榴弾を放り込んで爆発させようと試みた」「母が『死ぬのはいつでもできるじゃないか。手榴弾を捨てなさい』と叫び、そうして逃げられた」と証言した。

吉川さんも自決の状況の証言であり、軍の命令で自決したとは言っていない。 何よりも吉川さんは当時満6歳で自決の命令系統が同だったか理解できたとは考え難い。

■【動画と“新聞証言”の違い】

いずれにせよ、マスコミは自分等に不都合な事実は報じない。(これは金城さんも言っている)

琉球新報、沖縄タイムスが「集団自決」の生き残りで当時14歳の金城さんの証言をどのように歪曲して報じたか、つぎの【動画】で確かめて欲しい。

【動画・金城武徳さんの証言】http://www.youtube.com/v/P16oG_3X89o

 

沖縄タイムス 2007年7月6日(金) 夕刊 1面  
 
「集団自決」の現場視察 県議会文厚委<NOBR>(写真)</NOBR>
 「史実のねじ曲げは絶対に許さない」。県議会文教厚生委員会(前島明男委員長)の全委員が六日、沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」があった慶良間諸島を訪れた。「集団自決」の現場を視察し、体験者の証言を聞くなどして、県議会でも「集団自決」への日本軍の関与を独自に検証し、文科省に検定意見撤回を再度、要請する。県議団は「軍の関与という事実を教科書から消させない」と思いを強くしていた。
 視察には、同委員会所属の県議や県職員計十六人が参加した。午前には渡嘉敷島を訪れ、心ならずも自ら命を絶つことを強制された三百二十九人の慰霊碑「白玉之塔」や、「集団自決」現場を視察した。

 「集団自決」の現場では、体験者の金城武徳さん(76)と吉川嘉勝さん(68)が当時の状況を語った。金城さんは「軍の命令があり、村民は集落から移動した。米軍の迫撃砲が着弾する中で村民が集合し、村長が『天皇陛下万歳』と叫び、手榴弾が破裂した」と証言した。

 吉川さんは「防衛隊員だった義兄が手榴弾を爆発させようとしたが、爆発しなかった。父は火をおこし、その中に手榴弾を放り込んで爆発させようと試みた」「母が『死ぬのはいつでもできるじゃないか。手榴弾を捨てなさい』と叫び、そうして逃げられた」と証言した。

 引き続き、渡嘉敷村中央公民館で金城さんらへの質疑応答があった。吉川さんは当時、村長の助手をしていた兄の「米軍上陸の直前、日本軍は村役場を通じて十七歳以下の少年に厳重に保管していた手榴弾を二発手渡した。一発は米軍に、もう一発は自決用にということだった」との証言を紹介し、「日本軍による指示、誘導、命令、場の設定がなければ『集団自決』は絶対になかった」と断言した。

 証言を聞き終えた前島委員長は「検定意見削除は県民の総意だ。文科省にさらに強く訴えていく」と話した。
 
 

 
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