狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

八重山教科書裁判、原告応援団が仲間割れか?

2012-03-22 07:48:05 | 八重山教科書採択問題

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愈々新学期の開始まで余すところ1週間余となった。

石垣市の保護者らが石垣市を相手に起こした「教科書無償給付の地位確認請求」の訴訟も新学期が始まってしまっては手遅れだと思うのだが・・・。

昨日行われた八重山教科書訴訟の傍聴報告です。

前回は傍聴希望者が定員の倍ほど石垣市から押しかけ、辛うじて抽選で傍聴券を引き当てたが、今回は原告応援団が前回ほど多くなく抽選なしで傍聴することができた。 被告席には玉津石垣市教育長が着席し、ほとんどが原告応援団の傍聴席には高嶋伸欣琉球大学名誉教授も顔を見せ、愈々被告原告の論戦も佳境に入るのかと思われたのだが、予期せぬ出来事が起きて傍聴者のほとんどは意味がよく理解できないままに閉廷した。結局、玉津教育長には一回も発言の機会はなく、終始無言のまま記者団を避けるように法廷を後にした。

次回は5月16日(水)午前11時から。

前回は被告に県を加えたり外したりで、原告側の準備不足の感を否めなかったが、今回も驚くべこと発覚した。 午後1時45分か始まる法廷で合計5件の裁判を同時に審議するというのだ。 例によって裁判のやり取りはほとんど聞き取り不可の状況だったが、辛うじて聞こえる言葉の端々から推測すると、前回の石垣市の保護者らが原告で石垣市が被告の訴訟の他に、新たに4件の訴訟が与那国町や県に対して提訴されているのだ。 新たな訴訟は原告は個人名になっているが、合計5件の訴訟を同じ井口博弁護士が代理人を務めている。

何より不可解なのは5件の訴訟名がいずれも「教科用図書の無償給付を受ける地位確認請求事件」と同じ内容の請求になっていることであること。

全く同じ内容の請求事件で代理人も全く同じなら、前回の訴状に新たな原告を加え、被告に与那国町を加えれば、新たに県を被告にして提訴したとても、最低2件の訴訟で済むはずだ。 2件に絞れば、このように同じ請求事件を同時に審議するという煩雑な訴訟にはならずに済むはずである。

読者が混乱を来たさないように昨日同じ時間に審議された5件の訴訟を整理してみる。

1)第2回口頭弁論 「教科用図書の無償給付を受ける地位確認請求事件」 
原告:多宇誠 他(代理人井口博) 被告:石垣市(代理人宮崎政久)

2)第1回口頭弁論「教科用図書の無償給付を受ける地位確認請求事件」
原告:新里美智子 他(代理人井口博) 被告 沖縄県 他 (代理人  )

3)第1回口頭弁論「教科用図書の無償給付を受ける地位確認請求事件」
原告:島袋美智子 他(代理人井口博)  被告:沖縄県 他(代理人 )

4)第1回口頭弁論「教科用図書の無償給付を受ける地位確認請求事件」
原告:稲川実三 他(代理人井口博)  被告:沖縄県 他(代理人  )

5)第1回口頭弁論「教科用図書の無償給付を受ける地位確認請求事件」
原告:崎元敏男 他(代理人井口博) 被告:与那国町(代理人 宮崎政久)

筆者が5件の訴訟を最低でも2件に絞れるという言う意味は、上記の(1)と(5)を原告、被告合併させれば1件になるし、(2)(3)(4)は被告が同じなので原告を合併させれば全部で2件に絞れるということ。 

代理人による準備書面、陳述書、答弁書、証拠物件などの提出があり、それで即閉廷かと思われたが、裁判長が各々の訴訟は共通する部分が多いので同時に併合審理にしてよいかと原告、被告それぞれの代理人に尋ね、両者とも裁判長の提案に同意した。 

こんなに同じ裁判を次々提訴し「いい加減にして欲しい」とでも言いたげな裁判長の態度であった。

そして被告代理人に反論の準備書面を朗読するように指示したが、代理人が口述したが声が小さくが、ほとんど聞き取れなかった。

前述したとおり聞き取れる範囲で推測すると、「8・23協議会」が適法で、「9・8全教委協」の協議が違法であると証拠を添えての答弁書のようだった。

裁判長が原告側に反論を求めたが、井口代理人は前日に準備書面を送付されたばかりなので反論の準備が出来ていないとのこと。 そして1週間から10日の猶予を裁判長に請い、了承された。

そもそも、「9・8全教委協」が適法か違法かはこの裁判の争点として事前からわかっていたはず。

これに対する反論に1週間~10日も猶予を求めるとは、やはり井口代理人は事情を知らずに弁護を引き受けたと疑わざるを得ない。

昨日のエントリーで紹介した「ゾンビの会」による「八重山地区中学校社会科公民教科書選定・採択についての問題点」の中にも既に「9・8全教委協」の協議は予想される争点として次のように反論しているではないか。(もっとも破綻した反論だが・・・)

③9・8全員協議は、県教委主導のもとに行われたのではない。県教委は自らも言うように、「『答申』及び『全員協議』によっていずれの教科書を採択するかは、八重山採択地区の3市町教育委員会がそれぞれ判断すべきものである』という基本姿勢で9・8全員協議に臨んでおり、話し合いの「交通整理」役を担い、指導・助言・援助をなしたのである。協議の主役はあくまでも3市町全教育委員であり、進行役は3教育委員長であった。
④9・8全員協議は、同一教科書を採択する前提として3教委の「合意」を図るべく
3市町教委が協議の方法について個別に話し合った。その結果、石垣市教委は「採択の結果は曲げない。協議の形態についてはまとまらない」竹富教委は「13人全員による協議」与那国教委は「合意を条件として全員による協議」となり、議長が
「13名全員で協議するということでいいですね」との確認を求めたところ、異議を唱える委員はおらず、ここに協議は成立した。
⑤県教委の文科省宛説明資料にもある通り、「○13名の委員(1名退出)が、協議の最初から最後まで、協議に出席し、各自の推薦する教科書を上げ、採決に参加した。○協議に参加し、終始意見を述べ続けた教育長が、直後に、協議の無効を文書で訴えたことは不当である」というように、最後まで傍聴した「住民の会」をはじめとする多くの住民が認め、マスコミもそのように報道している。
このように、9・8全員協議は成立し、その結果として東京書籍版公民教科書が採択されたことは周知の事実です。指導・助言・援助をしてきた沖縄県教委もその有効性を文科省へ訴え続けています。

 

井口代理人が「9・8井戸端会議」の内幕を知らされないままに代理人を引き受けた疑いがますます濃厚になってきたと同時に、この時点でこの裁判は「勝負あった」と感じた。

訴訟を敢て5件にしたのは最初から負ける訴訟なので敢て煩雑にし目くらましを企てたのか、それとも5件の訴訟にして代理人の井口弁護士が弁護料を荒稼ぎしようと目論んだのか。 疑念は募るばかりである。

実際、原告側の関係者と思しき人物の次のような嘆き節が耳に入った。

「裁判費用が大変だ。 650万円プラス150万円!」

「裁判が長引けば費用も大変だ」

「プラス150万円!」は、仮処分のための審尋が予期せぬ出費だったようである。

傍聴席のほとんどは原告応援団で占めていたせいか、次のような野卑な会話も聞こえた。

「こいつが玉津か。 笑いながら入ってきたよ」

「あんな宮良出身の田舎者が教育長になったからこの騒ぎだ。 成敗しないといけない」

原告側の印象だが、裁判が5件に増えたことと仮処分の費用も追加で、資金繰りに四苦八苦しているような印象。

一方の被告側はいずれも役所なので公費で裁判費用はまかなえる。

そもそも「教科用図書の無償給付を受ける地位確認請求」というのが裁判の目的なら職務権限のある文科省を被告にするのが筋ではなかったか。。

同じ負けるのなら文科省を相手で負けたほうが格好がつくと思うのだが、文科省を被告にしたら東京地裁に提訴せねばならず、それでは経費が嵩み過ぎるので、お門違いの手近な石垣市や沖縄県を被告にしたものと推測できる。

勝てる裁判なら経費が掛かっても文科省を訴えていたはずだ。

いずれにせよ経費的には被告の方が圧倒的に有利なので、原告側はそのうち資金不足で行き詰まり、仲間割れするのではないか。

お門違いの訴訟を吹っかけられた玉津教育長らはとんだ迷惑だろうが、いずれにせよ原告応援団の金が消えていくばかりの不毛な裁判である。

なお記者席には約10名の記者が傍聴していたが、デタラメ情報をばら撒いて問題を複雑化させた発狂新聞が、この複雑な裁判を正しく報道できるだろうか、疑問である。

 

【おまけ】

月刊誌『正論』4月号に掲載の記事の紹介です。

       ★

あの子は今どこに   無職 伊藤一雄(静岡県沼津市・90歳)

私はサイパン玉砕戦の生き残りです。 最後の玉砕攻撃で頭部に被弾し、出血のため失神していたので、掃討戦で射殺されず、気がついて島の北部に行ったところ、米軍に追いつめられた民間人の人達の集団での自決が始まっていた。 海岸は追いつめられた人達でいっぱいであった。 海なのでこれ以上は逃げられない。 海岸に多数の漂流したいが漂っていた。 私は赤ん坊や幼児の殺人は我慢がならなかった。親は子を残せないからだが。 その時また、米軍の放送が始まった。 「戦いは終わったのです。 無駄に死なないで手を挙げて出て来なさい。水もパンもあります。 早く出てきなさい。 これから掃討に入りますから」との放送です。 掃討が始まれば火炎放射で終わりである。
私は断崖の中程にある丸い入り口の洞窟に行き、とっさに2歳ぐらいの子を背中にしばり、皆に「俺について来い」と言って断崖を登り投降した。 この時20人ぐらいの人が続いた。 米軍の担当者によってトラックに乗せられチャランカノアの収容所へ向かった。 私は米軍の野戦病院で一命を救われた。

私はこの子がどうなったか忘れたことはない。 名前も年齢も聞いていない。 ただこの洞窟の人が「アッサミヨー」と言ったのだが、わからないので記憶に残っている。 日本のどこかで長生きされていることを祈っている。

       ★

サイパンには多くの沖縄県人がいた。 同行の民間人が「「アッサミヨー」と言ったのならこの子どもが沖縄県人の子どもであることにほぼまちがいない。 1944年当時2歳ぐらいでご存命なら現在70歳前後だと想像できる。

伊藤さんは現在90歳なので当時22歳の日本兵だったことになる。

キーワードは1944年の7月、サイパン北部の断崖途中の丸い入り口の洞窟から子どもを背負った若い日本兵に続いて投降し、チャランカノアの収容所に収容された沖縄県人約20名。

サイパン引き上げ者の身内の方で、上記キーワードに合致する方は「あの子」の消息がわかるかもしれない。

何か情報をお持ちの方はご一報願ください。

     

 ■■講演会のご案内■■

テーマ   「ウチナー口の起源」 Ⅱ

講師:ドキュメンタリー作家 上原正稔氏

会費: 1000円 (希望者のみ会費制懇親会あり)

とき: 平成24年3月24日 (土) 午後3時~

ところ: 那覇市西2-12-14

     学校法人 ゴレスアカデミー
     日本文化経済学院 3階ホール

連絡先:098-865-3230

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