狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄知事選 - 「平和の顔 VS 財界の顔」

2006-11-04 08:54:41 | 未分類

沖縄知事選 「普天間」が問われる

 沖縄県知事選が告示され、激しい選挙戦が始まった。

 「反自公」が支援する糸数慶子氏、「自公」が推す仲井真弘多氏による事実上の一騎打ちである。

 糸数氏は米軍基地や戦跡で戦争の悲惨さを伝える平和ガイドの先駆けから、県議を経て2年前、参院議員になった。

 仲井真氏は元通産官僚で、沖縄電力の社長や会長、県商工会議所連合会長などを務めた。

 最大の争点は、米軍普天間飛行場の移設問題だ。この飛行場は住宅地にあって危険なため、撤去することが10年前、日米両政府で決まった。しかし、沖縄県や受け入れ先の住民らとの調整がつかず、なおも混迷が続いている。

 普天間移設は過去2回の知事選でも争点になった。現知事の稲嶺恵一氏は8年前、「15年の使用期限」などを条件に県内移設を容認して知事選に勝った。

 だが、名護市辺野古沖に移すという当初の計画は住民らの抵抗で行きづまった。日米両政府は新たに名護市の陸続きの辺野古崎に建設する案を打ち出した。これに対し、稲嶺知事は「過去に検討過程で消えた案で容認できない」として反対に転じた。稲嶺氏は普天間問題を動かせないまま引退する。

 辺野古崎案に対し、糸数、仲井真両氏の考えは真っ向から対立している。

 糸数氏は普天間飛行場を県内でたらい回しすることを認めず、国外へ出すことを主張する。

 一方、仲井真氏は移設先である名護市などの十分な納得を条件に、「県内移設はやむを得ないことはあり得る」として、県内の移設を容認する。

 糸数氏の訴えは明快だ。だが米国の姿勢を見れば、国外へ移すのは容易ではない。辺野古崎案に反対し続ければ、普天間飛行場はいつまでも動かない。

 仲井真氏には、政府との関係がこじれたままでは沖縄の経済に展望が開けないという思いがある。仲井真氏が勝てば、移設に弾みがつくだろう。しかし、辺野古沖への計画を断念に追い込んだ住民の反対運動が収まるとは思えない。

 日米両政府の案を拒むにせよ、受け入れるにせよ、その先には難しい問題が横たわっている。そこに沖縄の悩みの深さがにじむ。

 基地は要らないが、政府の経済的なてこ入れはほしい。これが多くの県民の気持ちだろう。だが、政府から見れば、沖縄の振興策は、県内で移設を受け入れることと抱き合わせだ。これも県民にとっては悩ましい。

 本土復帰以来、10回目となる今回の知事選は、自治体の首長を選ぶことにとどまらない。米軍基地の県内への移設を認めるかどうかは、米軍再編に大きな影響を与える。米軍にとって、普天間の移設は日本の本土を含めた基地の再編と切り離せないからだ。

 投票日の今月19日、沖縄は複雑に絡み合った重い選択を迫られる。

                        (朝日新聞 2006年11月4日 「天声人語」) 

 

 

朝日新聞としては糸数候補を社を挙げて応援したいところだろうが、

まだ全国紙としてのプライドが残っているからか、

今朝の「天声人語」は比較的中立的。

問題は「住民」の反対運動 をどう捉えるかだ。

実際はほとんどが「プロ市民」だが。

ところが朝日の弟分とも言うべき沖縄タイムスは、

両候補を紹介して

「平和の顔 VS 財界の顔」

とはびっくり!

(沖縄タイムス・平和の顔 VS 財界の顔/知人が語る二人の素顔

「平和の顔」の対語はフツウー「戦争の顔」でしょう。

さすがにそうも書けないから「財界の顔」? 

連想ゲームで「財界の顔」から「基地容認」→「死の商人」→「戦争の顔」

と飛躍するのは勘ぐり過ぎか。

 

次の仲井真氏の経歴を見たら「財界の顔」というより中央官庁出身の「通産官僚の顔」或いは「行政マンの顔」といった言葉が思い浮かぶが。

仲井真弘多 職歴

昭和36年 通商産業省入省  
昭和55年 沖縄総合事務局通商産業部長
昭和57年 通商産業省機械情報産業局通商課長
昭和61年 工業技術院総務部技術審議官
平成2年 沖縄県副知事
平成15年 沖縄電力㈱取締役社長を経て
同社代表取締役会長
 

朝日新聞OBの筑紫哲也さんは8年前の沖縄県知事選・「大田VS稲嶺」の時、

太田知事の敗北を悔しがって、次のような文を沖縄タイムスに寄稿していた。

筑紫さん、くやしそー!

 

沖縄タイムス <1998年11月22日> 朝刊 1版 総合1面(日曜日) カラー

 [筑紫哲也の多事争論かわら版]/大田さん/輝いていた沖縄の知事
 「残念だ」「がっかりした」。

 沖縄県知事選挙の取材から戻ってきた私は、未だにこの二種の感想にしか出会っていない。


 選挙結果と引き較べると、どうやら大田昌秀氏は、当の沖縄より本土の方が人気があったのではないか、と思えるほどである。


 普段は沖縄のことにそう関心を持っているとは思えなかった人たちの口から、そういう感想を聞かされると、なぜなのだろうと考えてしまう。


 そういう人たちをふくめて、全国的知名度のある唯一の沖縄の人が、安室奈美恵さんを除けば、大田さんだったということが、まずある。沖縄から本土に向かって何事かを問いかけ続けた「発信体」であり、「象徴」でもあった。


 "大田人気"の第二の理由は、その発信のなかみである。そこには、中央政府への「抵抗」、異議申し立ての要素が多分にふくまれていた。


 週末は東京以外の全国各地に身を置くことを習慣にしてきた私は、地方保守政界にすら根強い大田人気、と言うより期待があることを発見して驚いたことがある。箸の上げ下ろしまで指図しかねない中央集権、権力の一極集中にうんざりしてきた人たちは、米軍基地をいわば"人質"にして中央政府に抵抗を示す大田さんがどこまでやれるかを、半ばわがことのように注視していたのである。


 人気の第三の理由は、大田さんがこの国の諸々の指導者のなかで珍しく、理想、理念、原則を語り、それに従おうとした人物だったことだと思う。時あたかも、中央ではそれらを全て欠いた権力争い、離合集散が続いたから、この対照は一層鮮やかであり、「いっそ大田さんを首相にしたら」という巷の声ともなった。


 この夏、私がかかわっている郷里の市民大学は、二日間にわたる特別講座を催した。参加者も全国各地から集まったが、講師も中坊公平、菅直人の各氏をはじめ、多彩な顔ぶれで、大田知事にも加わっていただいた。「これからの日本をどうする」という大テーマに、沖縄は外せないと思ったからである。


 「大田さんの輝きの前に、わが県の知事は色あせて見えた」と地元参加者が感想を語った。「わが県の知事」は、実績も個性もあり、他県とは群を抜いた存在だと私は思ってきたのに、である。


 結果的には、第二、第三の理由は選挙戦で大田さんの足を引っぱることになった。そして、沖縄は有能な「スポークスマン」を失うことになった。沖縄だけでなく、この国のありようを問い、考えさせてくれた大田さんに「ありがとうございました。そしてご苦労さまでした」と申し上げたい。


 「残念」「がっかり」の感想のなかには、自分たちが自分たちの場でなすべき努力を棚上げして、他者にそれを期待する、例によっての身勝手がふくまれている。が、現実として、そういう人たちの沖縄への関心は当面は潮が退くように遠くなるだろう。「中央とのパイプ」の代償に、そういうこともあることを覚悟して、稲嶺さんにはがんばっていただきたい。

 

コメント

『議論封殺』の不可解

2006-11-04 07:28:31 | 県知事選


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『議論封殺』の不可解
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                花岡信昭

 


日経BP社サイト「SAFETY JAPAN」連載コラム「我々の国家
はどこに向かっているのか」第32回(10月31日更新)再掲


安倍首相は70%前後の支持率を背景に順調な政権運営を続けているが、
ここへきておかしな空気が出てきた。「言論・議論の封殺」ともいえる
風潮である。

中川昭一政調会長の「核保有をめぐる論議のすすめ」、下村博文官房副
長官の「河野談話見直し」発言に対して、野党のみならず政府・与党内
からも議論そのものを封じ込めようという動きが出ている。

なんともナイーブな、といわなくてはなるまい。日本の議会制民主主義
はそれほど「ヤワ」だったのか。

安倍体制を支える要人の発言に対して、民主党はじめ野党側が責めるの
は、まだわかる。安倍政権に抵抗し、国会対策上の劣勢を挽回しようと
すれば、「なんでもあり」の世界である。

それによって、とりわけ政権担当政党になろうとする民主党の「未成熟
さ」が問われようとも、それは自身の責任で乗りこえていかなくてはな
るまい。

不可解なのは、与党内から異論が出ていることだ。10月15日、中川
政調会長がテレビで「核の議論は当然あっていい」発言したことに対し
ては、自民党や公明党の幹部から、「議論すること自体が核保有の疑念
を与えることになる」とストップがかかった。

麻生外相は24日の衆院外務防衛委員会で「日本がなぜ核を持たないか、
議論をしておいたほうがいい。議論は封殺すべきではない」と答弁した
が、これが当然の態度というべきだろう

。だが、同じ外務防衛委員会で久間章生防衛庁長官は「100人のうち
1人が核を持つべきだと言い出すと、50対50の議論が起きていると
喧伝される恐れがある」などとして慎重な姿勢を示した。

日本が核武装をしていないのは、沖縄返還をめぐる佐藤栄作首相の国会
答弁から発した「非核3原則」による。「持たず、つくらず、持ち込ま
せず」の3原則は以来、日本の「国是」ともなっている。

安倍首相も「非核3原則堅持」を繰り返して明言しているが、政権担当
者としてはここで踏み込むわけにはいかない事情もよく分かる。

しかし、北朝鮮の核実験、核保有宣言は日本にとって、当面する最大の
「脅威」なのだ。理論上の話ではなく、現実にいま進行中の事態なので
ある。

国民の間には大きな誤解がある。憲法9条によって日本の核武装が禁じ
られている、という受け止め方だ。これは完全な間違いである。

日本が核武装していないのは、憲法の制約に基づくのではなく、「政策
選択」による。日米安保条約によりアメリカの「核の傘」に入っている
ほうがあらゆる面でベターという政策判断が優先したためだ。

この基本的認識が徹底していないから、日本はアメリカの核戦略の重要
な部分を支えているという意識が欠落し、反米・嫌米の不可思議な現象
が起きる。在日米軍基地をめぐる沖縄の反応などはその典型である。

一方で日本は核拡散防止条約(NPT)体制を支持し、毎年、国連に核
軍縮決議案を提案し、採択されている。だが、アメリカは核実験全面禁
止条約(CTBT)を中国と共に批准していないから、CTBTの早期
発効を盛り込んだ日本の決議案には反対している。これが核をめぐる国
際社会の現状である。

ことは単純明快ではなく、複雑に入り組んでいるのだ。そうした実情を
踏まえて、「北の核」という現実の脅威にどう向かおうとするのか。そ
の議論の文脈に日本自主核武装の是非が含まれても、なんらの齟齬もな
い。

むしろ、議論しないことそのものがおかしい。最初から手足を縛ってし
まっては、国際社会の現実に立ち向かう外交パワーは出てこない。

日本としては、「核武装の能力も技術も備わっている。核武装に踏み切
ろうとすればただちに取り組むことは可能だ。

しかし現時点での政策選択として核武装は採用しない」ぐらいのスタン
スでいるのが、最も賢明なのではないか。議論そのものを封殺しような
どというのは、国際社会から侮られるだけだ。

下村官房副長官の「河野談話見直し」発言(10月25日、都内での講
演)も同様である。「慰安婦関係調査結果発表に関する河野官房長官談
話」は1993年8月4日、宮沢政権下で出された。いわゆる「従軍慰
安婦の強制連行」の事実を認めたものだ。

「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多
くあり、更に官憲等が直接に荷担したこともあった」といった内容であ
る。

これが裏づけの乏しい調査(直前のソウルにおける元慰安婦からの聞き
取り調査など)によってばたばたとまとめられたものであることは、当
時の石原信雄官房副長官のその後の証言などによって、明らかになって
いる。国家や軍による組織的な強制連行があったという証拠はなにひと
つなかったのである。

総選挙での自民党過半数割れによる宮沢内閣総辞職、細川政権発足(8
月9日)のわずか5日前である。そのどたばたの中で、当時の盧泰愚政
権を守らなければいけないといった微妙な日韓関係を背景に打ち出され
たものだ。

安倍首相はこの「河野談話」についても「私の内閣では変更しない」と
してはいるが、もはや古文書に属するものとして、触らないほうが得策
という判断によるのであろう。たしかに「河野談話」の是非をめぐる非
生産的な議論よりも大事なことは山積している。

ではあっても、政府見解としては生きており、南京事件の過剰な犠牲者
数(30万人!)が中国側主張としてまかり通ることなどとの関連で位
置づけられるケースも多い。

下村氏は「私自身の今後の検討課題」「時間をかけて客観的、科学的知
識を収集して考えるべきではないか」などとしている。しごく当然の認
識であり、官邸中枢からこうした「正論」が出てきたことを評価したい。

その場しのぎの緊急避難的談話が10数年たって、なおむし返される。
政治家の歴史的責任を改めて実感するが、その談話の主はいま、衆院議
長の要職にある。

 

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