狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

メジャー見物がバレて首になった横綱

2006-06-13 14:56:46 | 県知事選

ワールドカップで老いも若きも連日連夜大騒ぎ。

常日頃サッカーにはそれほど興味を持たなかった人も「世界大会」と冠がつくと熱狂するのはWBC野球大会で証明済み。

メジャーリーグ選手で構成されたアメリカ代表チームを押さえて日本チームが優勝したことは、ある一定以上の年齢の野球ファンにとっては信じられない出来事であった。

一昔前の野球漫画「巨人の星」に出てくる「大リーグボール」でも判るとおりメジャーリーグは遥か雲の上の日本人選手には手の届かない存在であった。

更に時代を遡る。

終戦4年目のの1949年(昭和24年)、戦後初めて来日したメジャーリーグの親善試合を見物する為に地位も名誉も、職業さえも棒に振った熱狂的野球ファンがいた。

その人は前田山英五郎、当時現役の力士で曙、小錦、高見山等の高砂一門の大先輩で第39代横綱である。
http://www.jtng.com/p41/p41-39.html

その年の10月、メジャーリーグのサンフランシスコ・シールズが来日した。

当時の事を記憶していた人の書いた某ブログによると、
「第一戦の相手はその年優勝した三原監督(!)率いる巨人軍(と言わないと当時の感じが出ない)で、この年に南海ホークスから移籍してきた別所が先発したが10対0で負けた。(略)そのあと全日本軍だの何だのが戦ったが、まったく歯が立たなかった。」(引用「上村以和於野球噺」)と、やはり当時のメジャーリーグは雲の上の存在であったようだ。

その野球ファン垂涎のメジャーリグの試合を、折りしも大相撲秋場所中の現役横綱が場所をサボって見物に行ったのだ。

横綱前田山は病気と偽って休場をしたが、横綱が現れたのは病院ではなくシールズの試合が行われた後楽園球場であった。

現在のようにテレビ等のメディアが盛んな時代ではなかったとはいえ、天下の現役横綱である。 しかも本場所中の。

一目を偲んだつもりで帽子でチョンマゲを隠し、馴れぬ洋服と黒メガネを着用したが、並外れた図体では先刻バレバレ。

それだけでも充分アヤシいのに、生来の野球好きのこの横綱、シールズのオドール監督とグラウンドで握手したのを新聞で報じられてしまった。

これが相撲協会の目にとまったからさー大変、「横綱にあるまじき無責任な行為」と問題視された。

14日目の土俵入りと千秋楽の取組出場を希望したが拒絶された上に引退勧告をされ、遂には引退に追い込まれてしまった。

メジャー野球観戦の為に名誉ある横綱の地位を棒に振ってしまったこの横綱、自らプレイングマネージャとしてチームを持つ程の野球好きが仇となってしまった。
  
日本人にとっては雲の上の存在であったメジャーリーグへの道は、事実上1995年の野茂英雄のロサンゼルス・ドジャース入団によって道がひらける。

だが、野茂のメジャー挑戦の33年前、日米の野球の実力差が天と地ほどあった時代にデトロイト・タイガースを相手にして、殿堂入りの強打者ケーラインを三振に討ち取り、投げた二回をゼロ点に押さえた日本人投手がいた。

しかも驚いた事にその豪腕日本人投手はプロ野球選手ではなくアマチュアの野球選手であった。

「アポロ13号」プロジェクトに参加した沖縄出身の知られざる日本人の事を前に当日記で紹介したが、http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/fb158f152aa1cbd0a78311
e2e286c011

その知られざる日本人同じく沖縄出身で、メジャーの強打者をキリキリ舞いさせた日本人投手がいた。

その男は、同じく米軍統治下の沖縄で職域野球のエースだった岸本繁夫投手(当時30歳)のことであった。

野茂投手がドジャースに挑戦する33年前、日本のアマチュア投手がデトロイトタイガースの強打者連を二回とはいえ零点に討ち取っていた事を知る日本人は少ない。

沖縄がまだ「日本であって日本でない」時代の、話題にはならなかったが痛快な物語である。

この物語については別稿で紹介したいと思っています。

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ワールドカップ 敵は体力とスタミナと猛暑だった!

2006-06-13 07:08:38 | 県知事選

ワールドカップ日本にとっての緒戦の対オーストラリア戦。

先取点を守れなかった。

対ドイツ親善戦の貴重な経験を生かせなった。

後半、敵は力と体力とスタミナにものを言わせ日本陣になだれ込んだ。

洪水のような破壊力でせきを切ったように疲労困憊の日本の防御提を踏みにじった。

疲れを誘う敵は外にもあった。  暑さ!

が、これは相手も同じだ。

やはり、先取点を取り返す為攻撃に布陣を変えた敵将ヒディンクの智謀が上回っていたのか。

いや、ブラジルチーム監督が言うように、やはり実力どおりの結果だったのか。

選手のことを一番知るのは監督だろう。

が、スポーツ観戦は5人集まれば5人のスポーツ評論家が誕生する。

ジーコ監督よ、クロアチア戦は選手の大幅入れ替えを実行して、選手に渇を入れよ!

中田選手いわく「次は勝つしかない!」。

その通り! 

                   ◇

サンケイスポーツ 2006年06月13日 更新

ジーコ日本、悪夢の逆転負け…後半残り6分からまさかの3失点

肩を落とす中田英と中村俊輔(左)

試合終了の瞬間、ガックリと肩を落とす中田英と中村俊輔(左)。このシーンが、衝撃の大きさを物語っている=撮影・小倉元司

W杯1次リーグ第4日(12日=日本時間同日、ドイツ・カイザースラウテルン)悪夢の惨劇だ。日本代表が、大会初戦で豪州代表に1-3で敗れた。前半26分に先制しながら、後半残り6分から3失点して痛恨の逆転負け。ジーコ監督(53)は、指揮官として初めて臨んだW杯であまりにも厳しい現実を突きつけられた。02年日韓大会に続く決勝トーナメント進出に向けて手痛い黒星となったが、残りはまだ2戦ある。ジーコ・ジャパンは、必ず巻き返す。

直視したくない現実。ジーコ監督は思わずピッチに背を向けた。1発、2発、そして3発…。後半39分から、ヒディンク豪州の放つ爆弾が日本を次々と直撃した。

「先制した展開から、この結果はまったく想像もしていなかった。難しい展開になった」

ジーコ監督

ベンチ前で頭を抱えるジーコ監督。まさかの逆転負けに声を失った=共同

ジーコ監督が唇をかみ締めた。W杯にはブラジル代表選手で3度、同代表首脳で1度の計4度出場も、監督としては初さい配。水色の長袖シャツにノーネクタイといういつもの勝負服で向かったが、シャツに汗が染みたときに待っていたのは悲惨な結末。率いた国を最近のW杯2大会連続で4強に導いている敵将、ヒディンク監督の笑顔とはあまりに対照的だった。

策が裏目に出た。前半26分にMF中村俊輔のゴールで先制。海外開催W杯で日本史上初の勝利へと前進した。しかし後半11分にDF坪井が足を痛めて退場。怪しい展開に、同34分からFW柳沢に代えてMF小野を投入。MF中田英が上がって1トップの下に俊輔、小野とトライアングルを組ませたが、「ヒデさんがボランチだと止めてくれたから楽だった。交代で役割が少しずつずれた」と俊輔。交代が混乱をもたらした。

逆に相手さい配はピタリ。ハーフタイムにジーコ監督は「カウンターを狙う」と指示したが、ヒディンク監督は「相手が引いてくればこっちのもの」と宣言していた。終盤、展開は敵の思惑通りに動く。後半39分、途中投入のMFケイヒルに守備の連係の乱れをつかれて同点弾を浴びる。さらにケイヒルに同44分、豪快にゴール左へ決められた。そしてロスタイム、これも途中出場のFWアロイージが3点目。「交代がうまくいった」と敵将に自画自賛を許した。

勝ち点を奪えなかった上、3失点は1次リーグ突破に向けて痛恨。だがジーコ監督は「昨年のコンフェデ杯も同じ展開。次に勝つしかない」と前を向いた。昨年6月のコンフェデレーションズ杯。初戦でメキシコに敗れたが、続く欧州王者・ギリシャに完勝し、世界王者のブラジルを2-2ドローと追い詰め、決勝トーナメント進出に限りなく近づいた。次戦18日のクロアチア戦に勝っての同じような展開を、理想図に描いた。

「がっかりしていても仕方ない!」

試合後のロッカー。ジーコ監督は、うなだれる選手に向けて大声を飛ばした。まだ歩みは進められる。指揮官ジーコのW杯初戦は悪夢となったが、大会をハッピーエンドにする可能性は、まだ残されている。

(須田雅弘)

■ジーコとW杯

ブラジル代表として78年アルゼンチン大会(3位)、82年スペイン大会(2次リーグ敗退)、86年メキシコ大会(8強)と3度出場。計14試合出場で5得点を挙げた。この3大会のチーム通算成績は12勝4分け1敗。また、テクニカル・ディレクターとしてベンチ入りした98年フランス大会は準優勝しており、同大会は4勝1分け2敗だった。4大会を合計すると16勝5分け3敗だが、公式記録で引き分けとなるPK戦2試合(1勝1敗)を「勝ち」「負け」で計算すると17勝3分け4敗。監督としては初のW杯で、通算“18度目”となるはずの勝利を目前で逸した。

【ヒディンクは】

豪州代表・ヒディンク監督は「日本のプレーを分析してきた。(同点の起点となった)スローインも練習していたし、すべてプランのひとつだった」と計算通りの勝利に胸を張った。日本の得点についても「明らかにGKに対するファウルがあった。それに対する正義の判断があったということだろう」とコメント。オランダと韓国をW杯4強に導いた名将のさい配が、32年ぶりW杯出場の豪州に大会初勝利をプレゼントした。


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