日本に「一時」帰ってます。

2年間。長いようで短いニューヨーク赴任を終えて日本に「一時」帰って来た・・と思っている私の、まだまだ続く旅の顛末。

終わりました。

2016-10-31 10:41:56 | 日記
2016年夏から秋の3部作が終了しました

4・5・6月と稽古して7月上旬に1本、
7・8月稽古して、9月初旬に1本、
そして、9・10の2か月で1本。

あ~!今年は春から今までよう稽古した!!
気が付けば、半そでの時期を過ぎ、セーターも時々引っ張りだすくらい。

特に、あとの2本は余裕がなくて、ブログも書くヒマがなかった。
ようやく終わったので、一度、振り返ってみようと思う。

今回のこともあるのだけれど、それよりも、今は、「今年の3本」について、書きたい気分

今年は、自分でも「よう芝居したー!」って気がしているのだが、実はおととしも3本出演してはいる。
その時は、8・9・10月に1本ずつ出ていて、・・ということは、今回よりも間隔が短かった。

しかも、今年は、その時と同じ演出家の作品に2本出ている。
なので、似ているところもあるのだけれど、自分の中では、
それぞれにステップアップしている気がして、うれしい。
あの時の縁が今につながるし、飛び込んだ分、そして、がんばった分、
前に進むのだと知って、うれしい。

2年前は、こどもミュージカル、大阪小劇場、市民劇団の3本だったのが、
今年は、会場でいえば、アイホール、アトリエ劇研、とカフェ公演、と、
前2本では、自分が見ていた劇団や劇場で出演することができたし、
あとの1本は・・ いわば主演的な扱いで、全体の空気をかき回しながら、
グググッとクライマックスに持っていく、って仕事があった。

演劇は集団創作だ、ということを、つくづく感じる。
(普段、きわめて個人主義の自分が関わろうとするのが、集団創作だってことも、不思議に思う。
 まあ、ただ、何もなく集団でいるということに違和感があるからこそ、
 「創作」という言い訳や目的が必要になるのだろうけれど)

「劇団」のような集団に属していない中で、その集団創作に関わろうとすると、
その時々の集団の性質と、その中での自分の立ち位置によって、
動き方も、関わり方も、表現の仕方も違ってくる。

今年は、割と近い時期に、異なった団体の異なった立ち位置で活動する機会があったので、
こういう時に、自分は、こうなるのかあ・・ とか、
こうなったら、こうしてみてもよいのかも・・ とか、感じたし、考えた。

つまり、

1本目は、ややハイレベルな表現が求められる中で、計算されたアンサンブルの動きと、とりあえず自分の持ち場での1発ギャグ的な突破力が求められ(・・と思っている)

言葉重視の2本目は、その言葉を立て、伝える力と、自分よりも若い人が多かった中で、その人たちと異質な人物像と表現が求められ(・・と思っている)

親しい友人の企画に参加した3本目の舞台では、やや主催者よりの立場で、全体に目配りしながら、芝居では、場をコントロールし、物語を動かしていくことが求められた。(・・と思っている)

その中で、ちょっと揺らいでいることがある。

「役者として自分の仕事はこう」と思ってきた範囲を、逸脱することがあって、しかし、もしかして、その方が良い時もあるのかも・・と感じることだ。

HB Studio 時代に「相手役が思ったように演技してくれないとき、どうすればよいのか?」と質問した生徒に、先生は「相手のことは相手に任せなさい。君は君の仕事をしたらいい」と答えていた。それが正しい答えだと、わたしもずっと信じていた。・・のだけれど、最近のわたしは、それを、ちょっと逸脱している。

自分にとって演技しやすいように、相手役に変えてもらうってことは、役者にとっては、安易な解決策で、自分ができないのと人にせいにすることにもつながる。自分を変えるより、相手を変える方が楽チンだし、快感だから、人は、そういう方向に傾きがちだ。

だから、そういうことはやめておこう、って思っているのだけれど、モノローグでもない限り、一人で演技が成り立たないのも真実で、だから、飛んでくる球が的外れだったりすると、困ってしまうのも事実だ。

それに、結局のところ、多くのお客さんは、物語の全体像を見に来られているのであって、部分部分を見にきている訳ではない、と、つくづく感じるようになってきた。全体が良ければ楽しいし、全体がダメなら、部分でがんばっていても、結局しんどくなるもので・・。だったら、わたしが見ていてしんどいものを放置していては、ダメなんじゃないか、と思ってしまう。やや傲慢に言ってしまえば、それを解消するための手段を、自分は昔よりよく知っているし、それを若い人に伝えられるのでは・・って気もしている。

けれども、わたしの中で、プレイヤーと指導者、役者と裏方、というのは、全然別の神経を使うもので、指導者モードになっているときに、自分も最大限のパフォーマンスを見せるなんて芸当はできないし、逆もまた、然り。別のことをしようとすれば、役者業を100%ではできなるなる気もしている。

それでも、自分の100%が出なかったとしても、ほかを引き上げることができたのなら、パフォーンマンス全体のバランスは美しい、ってことかも知れないし・・。ああ、しかし、やっぱり、何が正しいのか、よう分からん・・。

まあ、しかし・・・。何はともあれ、2016年の3部作は、無事終了いたしました

今年は、芝居がたくさん出来て良かった

冬の間は仕事が忙しくなるので・・ 演劇活動は、ちょっと自粛しますけど・・春が来たら、また、芝居をしよう 

次の話は、何一つ決まっていないけど、今日の一歩が、明日につながるに違いない
そういう楽観が、自分を救うに違いない。

助けてくれた人にも、応援してくれた人にも、大らかに見守ってくれた人にも、感謝やなー。
さー、次、行こう。次
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