生きるヲるびれ

この世の見方のアレやコレ。

一体感と分離感は同じもの?

2016-10-18 13:18:11 | 悟りの見方
またまたお久しぶりでございます。
それではさっそく始めましょう。

今日のテーマは「一体性(ワンネス)」についてです。
なんとなく、これを書くことで、なぜ更新頻度が落ちているのかが
わかるような気がしますので書いてみたいと思います。

悟りや目覚めなどが語られるとき「一体性」という言葉が登場したりします。
「一体性」とは、私の認識では「すべての存在はもともとひとつのものであり、
それぞれの存在はひとつものの変化である」で、その「ひとつのもの」を
生命と呼んだり、意識と呼んだり、真我と呼んだり、神と呼んだりしています。

それで、悟りや目覚めに興味がある方に陥りやすいトラップというのがあって、
私も漏れなくハマッたのですが「一体性」と「一体感」を混同するんですね。

「一体感」というのは、座禅などをして思考が止まったときに感じる、
沈黙や心が満ちた状態、至福感、または普段感じている“私”という枠が
なくなる感じ、なのですが、この状態がずっと続くことが「一体性」だと
勘違いするパターンが多いのです。

そのため「一体感」とは逆のように思われている感覚の
「分離感」(思考が浮かぶこと、思考や感情と同化すること、
“私”の枠がある感じなど)をダメなものと認識し、
幻の「永遠の一体感=一体性」を目指して、スピリチュアル的に
シンドイ道を歩むことになるのです。

でも、実際の「一体性」というのは「一体感」だけではなく
「分離感」をも含むものです。
さきほど「一体性」とは「すべての存在はもともとひとつのものであり、
それぞれの存在はひとつものの変化である」と書きましたが、「一体感」も
「分離感」も「一体性」の変化に過ぎません。
どちらも平等に「一体性」の変化のひとつなのです。

たしかに「一体性」に気づくためには「一体感」を感じるプロセスというのは
重要だと思います。
「一体感」を感じて「一体性」の存在に気づき、その後「分離感」を思考が
否定し始め、「一体感」を必死に追い求め、苦しみ、降参したりしながら、
「一体感」が増し、その「一体感」が、思考が「分離感」を否定することが誤り
だと気づかせ、「一体感」と「分離感」がどちらも同じ「一体性」で
あることに気づく。そんなプロセスはあります。(私の場合はそうでした)

結局「一体性」が「一体感」と「分離感」がどちらも含むことに気づき、
それが定着すると、もうスピリチュアル的には、なんにもやることが
なくなるわけです。何が起ころうが「一体性」なのですから。

だから、まぁ、書くこともなかなか無くて、
ブログの更新が遅れるってわけなのですね 笑。

それでも、何かまたスイッチが入れば更新すると思いますので、
気長にお待ちいただければ幸いです。
もし気長に待てない方は、このブログや只之スグルのツイッターにコメントを
お送りください。個別に対応します。

読んでいただきありがとうございました。
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