K馬日記

Art always makes me happy.

N.S.ハルシャ展 チャーミングな旅

2017年07月13日 | 美術
おはようございます。Amazon Prime Dayで戦利品(ビジネスバッグ、サンダル、革靴、ワイヤレスイヤホン、Fireタブレット)をゲットしてホクホクしているただけーまです。

今更かよ感満載ですが、先日まで森美術館で開催されていた展覧会「N.S.ハルシャ展 チャーミングな旅」に行ってまいりましたのでその感想をば。



インドの現代アーティストであるN.S.ハルシャのミッドキャリア・レトロスペクティブに位置付けられる展示会です。
彼の作品の特長を一言で表すとすれば「曼荼羅的ミニマリズム」(勝手に造語)でしょう。インドのアーティストだから曼荼羅的と考えるのは、非常に安直な私ですが、その繰り返される人物像はまさに仏の繰り返しである曼荼羅に通じる表現ではないでしょうか。




N.S.ハルシャ 三連作《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》



N.S.ハルシャ《ここに演説をしに来て》

特に《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》(「森美術館 公式ブログ」にアクセスします)は、ゴーギャンの《我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》に通じるような、人類起源にフォーカスを当てた壮大な連作のように感じました。寧ろ、これがゴーギャンの作品に対するアンサーだとしたら、興味深いですね。つまり、私たちは何者でもあり、何者でもないという全と一の宇宙観。仏教的ではないですか!

そして、途上国における資本の流入という社会的な問題にもN.S.ハルシャは着目しています。


N.S.ハルシャ《私の目を見て》


N.S.ハルシャ《必要悪》


N.S.ハルシャ《2度目のオーガズム》

《私の目を見て》では、インドの伝統的なブラーフマンの像の首回りに、欧米的文化のアイコンが首輪のように並んだわかりやすい表現です。
逆に《2度目のオーガズム》は、鍬がビジネスバッグに突き刺さり中から米が溢れているという、資本流入による農村文化への悪影響を示唆した作品に見えるのですが、タイトルの真意が不透明です。
昨今の資本流入が2度目だとすれば、1度目は16世紀に興った東インド会社の度重なる設立でしょうか。考察の余地が多く、最後まで真意を図りかねました。

そして、ハルシャの社会問題への関心は、労働問題、女性差別問題、ナショナリズムと徐々に広がりを見せます。特に《ネイションズ(国家)》(「森美術館 公式ブログ」にアクセスします)という、193台の足踏みミシンを使用したインスタレーションアートは圧巻でした。インド独立運動を示唆するチャルカと呼ばれる糸車に着想を得た作品です。
また、参加型のインスタレーション《未来》(「森美術館 公式ブログ」にアクセスします)では、子供たちが白シャツに絵を描くというワークショップを通じて生まれた作品です。
「未来の多様性」と「ミニマリズム」が掛け合わされた圧巻の作品でした。



N.S.ハルシャ《未来》

最も興味深かった作品は、ハルシャの宇宙観を示した《ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ》(「森美術館 公式ブログ」にアクセスします)という作品です。


N.S.ハルシャ《ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ》

ここで興味深いのは、宇宙が空間的な広がりとして描かれていないことです。一筆で円環的に描かれている。つまり、宇宙の流れにはある種の指向性があるという宇宙観を持っていることがわかります。

宇宙がどういう方向に広がっているかはわかりませんが、少なくとも時間的にはある一定の方向に進んでいます。
時間という概念を考慮しない前提で、物理学では「割れたコップが元に戻る可能性はゼロではない」らしいですが、時間という概念があるが故に、覆水盆に返らずという状況になってしまうそうです。
それは、ビッグバンが起きた際、宇宙は「エントロピーが増大する」という方向性に舵を切ったから。それが時間的な方向性の裏づけになっている(という説がある)そうです。なのでタイムトラベルは、エントロピーが増大していく未来には行くことができますが、過去へは戻ることができないそうです。

ナショナルジオグラフィックで得た薄い素人式の知識で恐縮ですが、そういった背景も踏まえるとさまざまな宇宙観に興味をそそられます。
円環的なのは輪廻転生につながるブディズムに託けるのはあまりにも安直でしょうか。
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