「近代」とは革命的な大変革(科学革命、市民革命、産業革命)によって、中世的世界が打ち破られて始まったのだと勘違いしている方が多いようです。
それも一面の史実を言い当てているかもしれませんが、かなり偏向した歴史観であると言わざるを得ません。
実は中世的な世界観は14世紀にはすでに崩壊していたと言われているのです。
ホセ・オルテガは14世紀から近代が本格的に始まる17世紀までの空白の300年間のことを、「危機の時代」と呼んでいます。
古い世界観や価値体系が崩壊したにも関わらず、新しい世界観がまだ確立されていない混沌とした時代だったのです。
その価値の混乱に対応するようにして、古代ギリシャ・ローマの古典やイスラムの文物を参照して、新しい世界観を模索しようとしたのが、ルネサンスだったわけです。
この「危機の時代」に終止符を打って、近代を創始するきっかけになったのが、宗教改革です。
ルターやカルヴァンらのプロテスタンティズムによる新しいキリスト教観が近代の始まりの大きなきっかけとなりました。
ローマ法王や教会を介さずに、神と個人とが直接に繋がるという宗教観が、近代的なるものを生み出したのです。
神の眼差しを強く意識する感覚は、神の視点を自己の内面に内包するという独特の精神のあり方を形作っていきます。
その内包された神の視点が、人間の理性に科学的な合理精神を醸成することに繋がっていくわけです。
それが、デカルトやニュートンを経て、自己をも含めた世界を客観的に観察するという、近代合理主義ひいては近代科学を誕生させるのです。
それから、これはマックス・ウェーバーの有名な説ですが、プロテスタンティズムの精神は近代資本主義の発展にも深い関連性があります。
神の眼差しを強く意識しながら、自身の天職を勤勉にそして合理的に全うするというピューリタンたちが、近代資本主義を拡大させていったのです。
プロテスタントのいわゆる「予定説」の時間感覚は近代的な「投資」をも促進させます。
さらに、神と個人とが直接に結びつくという感覚は、教会や地域共同体を介して神に繋がるという風習、習慣を崩壊させ、教会や共同体から解放された近代的な自立した個人を生み出します。
その自立した個人たちが、契約を結んで国家を形成するという政治思想が、ホッブスに始まる「社会契約論」でした。
宗教改革はヨーロッパ中に宗教戦争を氾濫させて、その極めつけがかの30年戦争です。
その30年戦争の講和条約として締結されたのが、ウェストファリア条約です。
ウェストファリア条約により、ローマ法王の宗教的権威から解放された、世俗的な主権国家が誕生します。
その主権国家に正当性を与えようとしたのが、ホッブスの社会契約論だったのです。
周知の通り、ホッブスの社会契約論はその後ロックを経て、ルソーへと継承されます。
社会契約論の徹底した人民主権思想を導入したのが、ルソーです。
自立した個人一人ひとりが国家を形成し、国家を運営し、国家を防衛するという徹底した人民主権をルソーは夢想したのです。
その人民主権を実現するために考案された概念が、「一般意思」です。
「一般意思」とは国家を形成する個人各々の意見や利害や関心を、国家全体の意思として一つに統合しようという考えです。
しかし、そのようなことはまず実現不可能であり、それを無理やり実現しようとすれば、全体主義国家か衆愚国家に行き着いてしまうことは目に見えています。
でも、そのような矛盾を放置したまま、歴史は歩みを進めて行ってしまいます。
このルソーの思想に多大な影響を受けていたと言われているのが、1789年に勃発したフランス革命です。
このフランス革命が、麗しき市民革命などではなく、この世のものとは思えない残虐の限りが尽くされた地獄絵図だったということは、以前の日記にも書いたので、割愛します。
まあ要はこのようにして、プロテスタンティズムの精神が、西欧において近代社会を生み出していったわけです。
しかし、19世紀になると、このプロテスタンティズムの精神にも大きな変化が生まれてきます。
近代的な個人の一見無機質にも思える合理的な活動に、崇高な意味や価値を与えてくれていたのが、神の観念だったわけなのですが、
世俗的な社会が進展していくにつれて、その神の観念も形骸化して、薄らいでいきます。
宗教的な倫理や価値を喪失した近代的な個人は、「鋼鉄の檻」とも言われる無機質な近代社会の歯車として、近代特有の虚しさや不安に曝されることになるのです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1796642061&owner_id=24518735 より
それも一面の史実を言い当てているかもしれませんが、かなり偏向した歴史観であると言わざるを得ません。
実は中世的な世界観は14世紀にはすでに崩壊していたと言われているのです。
ホセ・オルテガは14世紀から近代が本格的に始まる17世紀までの空白の300年間のことを、「危機の時代」と呼んでいます。
古い世界観や価値体系が崩壊したにも関わらず、新しい世界観がまだ確立されていない混沌とした時代だったのです。
その価値の混乱に対応するようにして、古代ギリシャ・ローマの古典やイスラムの文物を参照して、新しい世界観を模索しようとしたのが、ルネサンスだったわけです。
この「危機の時代」に終止符を打って、近代を創始するきっかけになったのが、宗教改革です。
ルターやカルヴァンらのプロテスタンティズムによる新しいキリスト教観が近代の始まりの大きなきっかけとなりました。
ローマ法王や教会を介さずに、神と個人とが直接に繋がるという宗教観が、近代的なるものを生み出したのです。
神の眼差しを強く意識する感覚は、神の視点を自己の内面に内包するという独特の精神のあり方を形作っていきます。
その内包された神の視点が、人間の理性に科学的な合理精神を醸成することに繋がっていくわけです。
それが、デカルトやニュートンを経て、自己をも含めた世界を客観的に観察するという、近代合理主義ひいては近代科学を誕生させるのです。
それから、これはマックス・ウェーバーの有名な説ですが、プロテスタンティズムの精神は近代資本主義の発展にも深い関連性があります。
神の眼差しを強く意識しながら、自身の天職を勤勉にそして合理的に全うするというピューリタンたちが、近代資本主義を拡大させていったのです。
プロテスタントのいわゆる「予定説」の時間感覚は近代的な「投資」をも促進させます。
さらに、神と個人とが直接に結びつくという感覚は、教会や地域共同体を介して神に繋がるという風習、習慣を崩壊させ、教会や共同体から解放された近代的な自立した個人を生み出します。
その自立した個人たちが、契約を結んで国家を形成するという政治思想が、ホッブスに始まる「社会契約論」でした。
宗教改革はヨーロッパ中に宗教戦争を氾濫させて、その極めつけがかの30年戦争です。
その30年戦争の講和条約として締結されたのが、ウェストファリア条約です。
ウェストファリア条約により、ローマ法王の宗教的権威から解放された、世俗的な主権国家が誕生します。
その主権国家に正当性を与えようとしたのが、ホッブスの社会契約論だったのです。
周知の通り、ホッブスの社会契約論はその後ロックを経て、ルソーへと継承されます。
社会契約論の徹底した人民主権思想を導入したのが、ルソーです。
自立した個人一人ひとりが国家を形成し、国家を運営し、国家を防衛するという徹底した人民主権をルソーは夢想したのです。
その人民主権を実現するために考案された概念が、「一般意思」です。
「一般意思」とは国家を形成する個人各々の意見や利害や関心を、国家全体の意思として一つに統合しようという考えです。
しかし、そのようなことはまず実現不可能であり、それを無理やり実現しようとすれば、全体主義国家か衆愚国家に行き着いてしまうことは目に見えています。
でも、そのような矛盾を放置したまま、歴史は歩みを進めて行ってしまいます。
このルソーの思想に多大な影響を受けていたと言われているのが、1789年に勃発したフランス革命です。
このフランス革命が、麗しき市民革命などではなく、この世のものとは思えない残虐の限りが尽くされた地獄絵図だったということは、以前の日記にも書いたので、割愛します。
まあ要はこのようにして、プロテスタンティズムの精神が、西欧において近代社会を生み出していったわけです。
しかし、19世紀になると、このプロテスタンティズムの精神にも大きな変化が生まれてきます。
近代的な個人の一見無機質にも思える合理的な活動に、崇高な意味や価値を与えてくれていたのが、神の観念だったわけなのですが、
世俗的な社会が進展していくにつれて、その神の観念も形骸化して、薄らいでいきます。
宗教的な倫理や価値を喪失した近代的な個人は、「鋼鉄の檻」とも言われる無機質な近代社会の歯車として、近代特有の虚しさや不安に曝されることになるのです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1796642061&owner_id=24518735 より











